(2024:その02) 心通りの守護
本日の講社祭りでのお話の原稿です。
『心通りの守護』 からかなり引用させていただきました。
こちらをベースとしていますが、最近の私の実体験を踏まえて私なりに理解していることを信者さんにかみ砕いてお話をしたものです。
神様の思いに添った心づかいであるならば、心通りの守護になります。
できるだけ我が身思案の人間心を捨てて、神様の思い(理)に添った心づかいを心がけていきたいものです。
以下原稿です。
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本日は、心通りの守護についてのお話をしたいと思います。(かしわ手)
『心通りの守護』とは、読んで字のごとく、人間の心通りに神様がご守護くださることです。
明治十七年、奈良監獄署に拘留されたおや様と鴻田忠三郎先生のお話です。
「結構」と思えば、神様が受け取る理は「結構」。
「不足」と思えば、神様が受け取る理は「不足」。
このように、人間の心通りに守護するのが天の理です。
教祖口伝でも『心通りの守護』に触れられています。
「難儀を無理」と思えば、神様が受け取る理は「無理」。
「難儀を喜び」にかえれば、神様が受け取る理は「喜び」。
難儀していても心さえ喜べれば、自ずと有り難いと思える日が心通りに御守護いただけるのです。
本席様の『おさしづ』でも『心通りの守護』は頻繁に諭される理の要です。
おや様も本席様も体は人間ではありますが、お心は神心そのものですので、同じ神様が何度も『心通りの守護』について言われているのです。
ただ、間違えてはならない大事なポイントがあります。
『心通りの守護』ではありますが、『思い通りの守護』ではないということです。
私たち人間は生まれながらに『色々な理』を頂いています。
その理の範囲内で『思い通り=心通り』の『守護』を頂いていますから、自分の『思い通り』に物事は成すことができると考えてしまいがちになっています。
神様が定めた『心通りの守護』は微動だにしませんが、『思い通り』にいっている時は、ただ単に『神様の思い(理)』に『人間の思い』が大きく外れていないだけで、それを人間がただ単に『思い通り』だと感じているだけです。
例えば、私たちがある程度自分の体を『思い通り』に動かせるのは、神様から体をある程度は動かしてもよいという『理』を戴いているから動かせるのです。
いくら人よりも早く走りたいと『思って』も、『早く走れる理』を戴かないと早く走ることはできません。
『理を戴く』ということは『神様の思い』に添うことです。
『早く走れる理』を戴く為には、努力をして、喜んでトレーニングを積んで、その理を戴く必要があります。努力を積んで神様から良くやったと『理』を頂いたら、初めて『心通りの守護』を戴けます。
しかし、不足の心や神様が作られた「この世界の理」にかなわない心遣いをしていると「理」を見失っていき、最初にもらっていた『色々な理』さえも見失っていきます。
そうすると今まで『思い通り』と思っていたことが、『思い通り』ではなくなっていきます。
これを人間側からすれば、身上・事情と感じてしまうのですが、しかしそのことによって神様のかしもの・かりものの理を悟きっかけとなることができます。
そこで正しく悟り、見失った「理」をまた取り戻しさえすれば、すぐに『心通りの守護』となって神様はまた『守護』をすることが可能になります。
理を戴くということは、冒頭にも申しました通り、
「結構」と思えば、神様が受け取る理は「結構」。
「難儀を喜び」にかえれば、神様が受け取る理は「喜び」。
ということです。
世間一般でもそうだと思います。
どのようなことでも率先して喜んで仕事をしている人がいるとします。
そういった人を褒めることはあっても、誰が非難したり、蔑んだりするでしょうか?
一部の心ない人もいるかもしれませんが、評価できる人には必ず評価していただけます。
単純にそういうことだと思います。
神様は人間が喜べば、神も喜び、さらに人間を喜ばせるとおっしゃられておりますし、そうなるように最初にこの世界をつくられています。
そのルール『理』は神様自身も変えることはできません。
『水を飲めば水の味がする。』とのお言葉にもありますように、この世界は考え方をちょっと変えるだけで喜びだらけの世界になります。
喜べば「理」が積まれていきます。
「難儀を喜び」に変えて、努力さえすれば、さらに「理」が積まれていきます。
そうすれば、どのような『思い』であっても、「理」を戴いて『心通りの守護』になるようになっていきます。
是非喜びのタネを探して、「理」を積み、一粒万倍の「喜びの理」を戴いては如何でしょうか?
そして、『心通りの守護』の働きが見えてきたら、もう喜びの心ばかり使えるようになってきます。
これこそが陽気ぐらしの世界だと思うのです。
以上つたないお話ではございましたが、御清聴ありがとうございました。(かしわ手)
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