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(20231029ようぼく一斉活動日講話) かしもの・かりもの・元の理

教祖140年祭に向けてのようぼく活動日の当支部での第1回目の会場がうちの教会になりました。
そして、個別プログラムは私の講演になってしまいました。
何を話そうかと、、考えて冒頭のタイトルで50分程度のお話をさせてもらいました。
参加者は約100名でした。
ご高齢の方が比較的多かったです。

・病気になった経緯
・教会長になった経緯
・父の出直し
・大教会神殿当番での不思議な体験
・なぜか病気が治ったこと
・現代科学からの元の理について
という流れです。

若者にも好評でしたが、なぜか80代、90代の方にもご好評でした。
名刺をいただいたりしました。

私が書いた本、秋治さんの本、やんぴ師匠さんの本が、ほとんど持っていかれて在庫がなくなってしまいました。(;^_^A

2023年10月29日某所のようぼく一斉活動日の風景

 ************************* 以下講演原稿です ***********************
本日は、私が天理教の教会長になった経緯と1年前に私が体験した不思議な体験とそこからの かしもの・かりもの・元の理 についてお話したいと思います。(かしわ手)
 
私は天理教の教会に生まれ育ちました。
小さい時から教えはいいとは思っていたのですが、
『貧に落ちきれ』
とか
『江戸時代のような上下関係』
が嫌で、貧乏からなんとか抜け出して自由な生活をしたいとずっと思っていました。
その為には勉強していい大学を出ていい職業につかないといけないとずっと思っていました。
教会にはお金がないので予備校や私立の大学は無理と諦めていました。
そうなると選択肢は教会から通学できる地元の国立大学に現役で奨学金を使っていくしかないと思い、高校時代は深夜迄毎日5時間勉強して地元の国立大学理学部物理学科に入学しました。
その後大学院に進学して平成五年に大手重工業メーカーに入社しました。
しかし、当時は大企業でもサービス残業やパワハラは全く当たり前の状況でした。
私は上司から毎日罵声を浴びせられても口答えもせずに、毎晩深夜まで仕事をしていましたが、だんだんと精神的に追い詰められていき、毎日死にたいと思うようになっていきました。
それでも自分が悪いから上司から叱られるのだと、自分で自分を追い詰めていきました。
34歳の時に自宅の風呂場でパニック発作を起こし、過呼吸で体中が痙攣して風呂の中で溺れそうになり救急車で運ばれました。
その時は心の中で
「こんなに頑張ってもみんなが私を責める。
もう誰も信じられない。死にたい!助けて!」
と叫んでいました。
翌日会社の産業医から精神科を受診して会社を休職するように言われました。
その時の診断名は「うつ病」でした。
一年間休職はしましたが、その後になんとか復職することができました。
復職後は病気もかなり安定していて、その頃に前妻と知り合いました。
しかし、六年前にまた職場で上司のパワハラに遭いうつが酷くなって休職することになりました。
そのことを自宅に帰ってから前妻に言ったところ
「キチガイが家にいたら、こっちまで気が狂う。出ていってくれ!」
と言われて行く当てもないままに実家であるこの教会に一人戻ることになりました。
私としては病気のことは結婚前から妻には言っておりましたし、実の妻からそのような酷いことを言われては もう一緒にはやっていけないと思い詰めました。
しかしどうしたらいいかの心が定まらず天理教のある先生の所に相談に行きました。
その先生から
「あなたの病気は 脳のホルモンバランスが崩れる病気ですよね。
頭の病気だから あなたは目上の人を立てきれていないのではないですか?」
と言われました。
私は言われた瞬間は意味がよく分からなかったのですが、
「ご両親は、あなたにどうしてほしいと思われていますか?」
と問われ
「きっと実家に正式に帰ってきてほしいと思っていると思います。」
「ならば、あなたは大学を卒業してから二五年間ずっと親不孝していたのですね。」
と言われ、ハッとしました。
「親不孝?私は良い大学を出て、良い会社に入って、金銭的には親には何も迷惑をかけていなかったはずなのに、、」
と愕然としました。
そこで、きっぱりと前妻とは別れようと決心すると共に、療養の為に精神病院に4カ月入院しました。
そして、入院期間中に前妻に対して離婚調停を申し立てました。
入院中で体調が悪い中ではありましたが離婚調停が成立しました。
離婚後体調も安定したので無事退院できて、藁をもすがる想いですぐに修養科に入修しました。
修養科に入った時は、まだまだ精神科のお薬をかなり飲んでいたのでフラフラの状態でしたが、修了後にはかなり安定して、平成30年3月末でまだ休職中だった重工業メーカーを正式に退職し、翌月から地元で叔父が経営していた会社に入社して、その翌年には社長に就任しました。
その時はまだ教会長になる気はなかったのですが、令和2年1月に父が倒れ、主治医から余命僅かと宣告を受けました。
そんな時、信者さん方から父が存命のうちに教会長を交代することが一番の親孝行ではないかと諭され、自分でもそうかもしれないと思い、教会長を受ける決心を致しました。
そのことで父は安心したのか私が教会長になってからちょうど一年後の令和3年7月14日に安らかに出直していきました。
私が教会長になってからの1年間は、父を安心させるために親神様からいただいた貴重な1年だったと思っています。
 
ここで、いきなりですが私は毎月29日に大教会での神殿当番を担当しています。
昨年2022年6月29日の神殿当番での出来事についてお話します。
大教会での神殿当番とは、30分交替で神殿の結界の中で教服を着て杓をもったままじっと正座するものです。
普段の神殿ではエアコンは効いておりませんし、30分じっと座っているのは意外と時間が長いもので時計を見ながらあと10分、あと5分と思いながら座っておりました。
ただ、6月29日の16時に着座した時、5月末に亡くなられた部内の前会長さんのことや父の一年祭が近いことなどを考えながら、
『人間の生きる意味・人生とはなんなのだろうか?』
と、漠然と考えながら目をそっとつぶりました。
着座して目をつぶって一呼吸おいた瞬間なのですが、意識が体から離れたようななんとも言えない不思議な感覚に入り込みました。
自分の意識が頭の上からすっと上昇していって、天界というか宇宙全体というかこの世界と意識が一体になったような感覚になりました。
その瞬間に次の3つの事が理屈や学問や読み物からなどではなく、心の奥から瞬間的に理解できたというか、実体験したというか、仏教でいうと悟りを得たというか、全ての真理が分かったかのような感覚になりました。
その3つとは以下のことです。
・この宇宙・地球とは神様がつくられた世界であるということ。
・この神様が作られた世界の中にあるこの自分の体とは一時的に今まとってはいるが、自分ではあると同時に自分ではないということ。
・この自分の体をまとって神様が作られたこの世界に自分が存在する理由とは、この世で人間として神様が望まれた陽気ぐらしを体現する魂になるためであるということ。
です。
『あ!そういうことだったのか!!』
と一瞬で全てが理解できた感覚になった瞬間に、はっと意識が自分の体に戻って目を開けました。
たった今目をつぶった筈なのに、時計を見ると既に30分が経過しており自分の神殿当番の時間が終わっていました。
 
私ごときがこのようなことを言うとおこがましいのですが、お釈迦様が菩提樹の木の下で悟りを開いた時とはきっとこのような感覚だったのではないかと思えるような出来事でした。
また、同時にこの世の理(ことわり)の全てが理解できたという感覚にもなって、今回の人生での生きる目的はもう達成したようにも思えました。
もう死んでもいいとも思いました。
(家に帰って半年前に結婚した今の妻にこの体験の話をして
『もう死んでもいいと思った。』
と言ったら
『結婚したばっかりで何を言ってんのよ!』
と怒られました。)
その瞬間から頭の中の回路が組み変わったような、また なにか現実と非現実の区別がつかないような感覚になり、表現を変えると魂が半分抜けたような状態になりました。
大教会でのこの体験はなんだったのだろうかと自分でも良く理解できませんでしたが、神殿当番が終わって大教会から車で自分の教会に帰る途中の車の窓から見える平野の水田や山並みの緑、初夏の夏のきれいな青空の中に浮かぶ白い雲をみていると、なんとも美しく、私が生きていたこの世界とはこんなにも美しかったのかと生まれて初めて気付き、その景色を見て恍惚とした感覚になりました。
自分はこんなにも美しい世界の中で生かされているとともに、この美しい世界の一部でもあるとしみじみと実感することができました。
 
この世の中においては私達人間の魂はこの体に縛られているので、この美しい世界に生かされていることを忘れがちになり、自分の周囲に起こる人間関係や色々な事情・身上に悩み苦しみます。
しかしながら、この体は神様から一時的に借り受けたかしもの・かりものの体であり、自分の魂はその体に一時的に入り込んでいるだけです。
そして、この体を使える時間は1回の人生では長くても115年というほんの一瞬であり、その短い人生を経験しながら神様が望まれる陽気ぐらしを体現できる魂に近づいていくことがこの人生の目的であるということを心の底から真理として理解できると、今までの自分の人生で悩んでいたこととはほんの些細な一瞬の出来事であり、そこまで悩む必要もないものであったとも思いました。
それらの悩みは一時的に見せられてはいますが、それは本質ではなく、その悩みとは陽気ぐらしができる魂となる為の人生の砥石でもあるとも理解できました。
 
人間の本質とは神様から分け与えられた分け御霊である魂であって、神様が九億九万九千九百九十九年かけて作ってくださった生命としての人間の体を今回の人生で一瞬の間まとって、この貸し与えられた体を使っていかに自分の魂を神様が望まれるより良い方向に向上させて行けるかどうかが大事なのだなとも理解しました。
 
元の理では、神様が人間を創造された目的とは、この世に人間という生命を作り、その人間という生命同士が陽気ぐらしの世界で助け合って楽しんで暮らすのをみて共に楽しみたいからだと言われています。
また、人間を創造する為に神様が3度のやりなおしを経て、九億九万九千九百九十九年という非常に長い年月をかけて苦労されてこの人間という生命を作ってくださったことが示されています。
また、自分の本質とは魂であり、この体はかしもの・かりものであり、この体は我がのものであっても我がのものでもないと教えられています。
この人間という生命体での寿命が尽きたら、魂は一旦この体を脱ぎ捨てて、また次の新しい体をまとってこの世に生まれ出でてくると教えられています。
以前からこのことは頭ではなんとなく理解はしていたのですが、この大教会の神殿当番での不思議な体験は、自分自身がこの世界と一体となる感覚を体験することで、元の理がおとぎ話などではなく、実際のことであったと本質から一瞬で理解できた出来事でした。
 
昨年の6月29日段階でも症状は安定していたとは言え、気分を安定させるために精神科のお薬を1日10錠程度飲んでいました。
しかしその不思議な体験をした瞬間から、精神科のお薬を飲むと逆に調子が悪くなって全く飲めなくなりました。
それまでは精神科のお薬を飲まないと気分が酷く落ち込んだり、昂ったりしていたのですが、現在まで1年以上お薬なしで過ごしていますが気分的には特段問題がない状態です。
また、好きで毎日晩酌していたお酒も飲むと逆に体調が悪くなり、今ではお客様とのお付き合いで飲む時以外は飲まなくなりました。

私にとって、20年以上苦しんでいた躁うつ病とはいったい何だったのだろうかと改めて思っています。
ストレスを発散するために飲んでいたお酒の意味とは一体何だったのだろうかと思っています。
この精神科のお薬・お酒を全く飲まない状態の自分が今回の人生での本当の自分の姿なのだと改めて気づきました。
 
当然人間ですから今でもストレスはありますし気分の浮き沈みもそれなりにはあります。
しかし、病的ではない状態になってしまいました。
逆に気力・精神力、知力・頭の回転力、体力は1年前より格段に良くなり、実年齢では10歳以上若返った感じがしています。
 
また、この体験によって自分が生かされている意味とは何かが分かりましたので、私は今回与えられている自分の残された人生を精一杯生きていかなければいけないと思い直しました。
 
神様からいただいたこの体はどんなに頑張ってもせいぜい115歳までしかもちません。私の残された寿命もせいぜいあと20年~30年程度かもしれません。
でもそうであるならば、その残された人生でやるべきことはまだまだ沢山あると思っています。
この体の寿命が尽きて、今回の人生を終える時には、神様に対して、
『今回の人生では色々なことがありましたが、結果的にいい人生を送ることができました。私の今回の人生をほめていただけますか?』
と自信をもって言えるように残りの人生を送っていきたいと思っています。
そしてまた、次の人生、そのまた次の人生も精一杯生きて行きたいと思っています。
 
このような 不思議な体験により私はかしもの・かりものの意味を真に理解できたと思っていますが、かしもの・かりもののお話は天理教経典の元の理に詳しく書かれています。
 
元の理を読むことでもかしもの・かりものの理を頭で理解することができます。
 
元の理とは、
**********************************************
イ:親神様は陽気ぐらしを見て共に楽しみたいと思召して人間を創造された。
ロ:まず夫婦の雛型をこしらえようと、うを と み を引き寄せ、最初に産みおろす子数の年限が経たった暁に、神として拝をさせるとの約束のもと、承知をさせて貰もらい受けられた。
ハ:さらに、六種の道具衆を引き寄せ、承知をさせて貰い受け、食べてその性を見定め、それぞれに応じた役割に使われた。
ニ:泥海中のどぢよを皆食べて、これを人間の種(たね)とし、夫婦の雛型に月日が入り込み、元のぢばで、九億九万九千九百九十九人の子数を宿し込まれた。
ホ:最初は五分から生まれ、九十九年ごとに三度の出直し、生まれ替わりを重ね、四寸まで成人して皆出直した。
ヘ:そののち、虫、鳥、畜類などと八千八度の生まれ替わりを経て、最後にめざるが一匹残った。その胎(はら)に男女各五人の人間が宿り、五分から生まれだんだんと成人するとともに、海山、天地なども次第に形作られ、五尺になったとき,世界は出来、人間は陸上の生活をするようになった。
ト:この間、九億九万年は水中の住居、六千年は知恵の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みをもって育てられ、子数の年限を経過した約束の時が立教の元一日である。
**********************************************
(天理教ホームページより)
 
簡単に言うと、
親神様がようきぐらしを見たいために、約10億年前泥海中どじょううお食べて人間の種とした。
そして全ての生物が3回絶滅した。
その後、八千八度の生まれ変わりを経て、めざるが1匹残った。
そこから人間が生まれた。
1万年前から人間の知能が高くなり、4千年前に文字ができた。
そしてやっと親神様のお話や文章を聞いたり読んだりして理解することができるようになった。
ということです。
 
実はこれらは現代科学と非常によく一致しています。
細かく説明すると時間が足りませんので割愛しますが、一部だけご紹介します。
 
ちょっと難しいですが、少々お付き合いください。
現代科学で実証されている生命の歴史で約10億年前に何が起こったかというと、真核細胞生物が生まれました。(最新の科学では約22億年前と言われています。)
この真核細胞生物というものが進化して人間を含む地球上の多種多様な生命へと進化していきます。
では真核細胞生物がどうやって生まれたかというと、それ以前に存在していた更に小さなアメーバーのような原核細胞生物から進化しています。
海洋研究開発機構が2020年にYouTtubeにアップした動画を見て欲しいと思います。
私たち真核生物はどうやって地球上に誕生したか—新しい進化説E3モデル— - YouTube
38億年前から存在していた小さな原核細胞生物が食べられて真核細胞生物が誕生していきます。
実際に食べられているのです。
この食べられている原核細胞生物はひょろ長く、へび(み)に見えます。
そうやって、親神様が約10億年前原核細胞生物を食べて心根を味わって真核細胞生物を作ります。
また、その後に地球は完全に凍り付いて殆どの生物は絶滅しました。
全球凍結と言います。
それが3回あっています。3度の出直しです。
約22億年前、約7億年前、約6億年前です。
その後、八千八度の進化を経てアフリカの1匹の女猿から人類が誕生します。
人類の文明が発達したのは紀元前4000年前頃と言われていることも知恵の仕込みが1万年前、文字の仕込みが4000年間前と言われることもとも非常に符号します。
その生命進化の過程と文明の発展の歴史を述べたものが元の理です。
※詳しく知りたい方は解説書である『生命の進化』を神殿入口に置いておりますので御覧下さい。
 
元の理に書かれていることが科学的に正しいのであれば、元の理に書かれている人間を創造した目的が陽気ぐらしであることも正しいと思います。
 
私は大教会での神殿当番での神秘体験かしもの・かりものを直感的に心から理解できましたが、親神様は江戸時代の人たちには理解できないかもしれないけれども、180年先の現代の人類にはかしもの・かりものが科学的に正しいと頭で理解できるように元の理を準備されていました。
 
かしもの・かりものの理が理解できれば、10億年かけて何度も何度も生まれ変わりを経て現在の人間に進化してきて、これかも永遠に親神様と共に陽気ぐらしをしながら永遠の魂として生きていくことが私達人間の生きる目的であることが分かります。
そうであるならば、今回の人生だけで決して終わりではなく、次も、また次も、そしてそのまた次も人生があります。
そうであるならば、今回の人生においても、300年先、500年先、1000年先を見据えて生きていかなければならいことが理解できると思うのです。
私の場合はそう心から思えた瞬間にこの人生を精一杯生きて行かなければならないと思えるようになりました。
 
皆様も是非我々の本質は永遠の魂であるという元の理の教えを信じていただいて、これからの人生を精一杯生きていって戴ければと思います。
 
以上つたない話ではございましたが、御清聴ありがとうございました。(かしわ手)



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