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(2023:その8) 十月秋の大祭にあたって

2023年10月8日の部内教会での神殿講話の内容です。
今回は原稿を書かずに即興で以下のお話をしたのですが、内容を残しておくために書き起こしたものです。
最近色々と考えることが多いのですが、それらを踏まえてのお話をしました。
自分自身も親神様の想いにちょっとでも心が向かえるように日々心を整えていきたいと思っています。

以下神殿講話の内容です。**************************************************************
本日は、十月秋の大祭にあたってのお話をしたいと思います。(かしわ手)

 前回お話しておりましたその後の経緯を少しお話したいと思います。

 まずアルコール依存症で入院した社員の件ですが、9月末日に病院で私・ご本人・ご家族・病院の先生・看護師・ソーシャルワーカーさんとでミーティングを実施致しました。
ご本人はお酒のない環境で1カ月過ごしましたが酷い離脱症状もなく経過は安定していました。
10月からはお酒のある環境でアルコールをコントロールできるかを確認する為に病院から一時的に自宅に戻る外泊をしてみましょうとのことでした。そこでアルコールをコントロールできるのであれば10月中旬には退院も可能だそうです。
ただ、退院してもすぐに復職できるのではなく、暫く自宅からのアルコールミーティング参加や通院をしてスリップ(再度飲酒すること)がないかを経過観察して、問題なければ段階的な復職を産業医と相談していこうということになりました。
 また社内の産業医と相談した結果では、
『アルコール依存症が進んだ状態では、アルコールは覚醒剤と同様であると考えるべき』
とのご意見でした。
この為、職場側でもその社員を復職させにあたってのアルコール依存症の他の社員に対する研修が必要とのことでした。
ご本人の意思だけではコントロールができないので、そうやってアルコールに接しないような環境を整えることが大事だそうです。

 コンプライアンス違反をした別の社員の件では、前回の話し合いの結果その方が大きくいい方向に変わられたので問題が収束していっています。
会社としてもコンプアイアンスを遵守する体制を構築する為に弁護士と顧問契約を結んで、顧問弁護士から全社員に対する説明会を実施して再発防止を図ることにしました。

 また、借金問題に苦しんでいる信者さんの件は、その方のお住まいの近くの弁護士と契約を結んで問題処理の依頼を完了しています。
また私はその信者さんと毎日電話で30分以上お話をしながら、今やるべきことを話し合い、お金の使い方に優先順位をつける勉強をしています。
それらの対応をすることでその信者さんも心の平穏とお金やご迷惑を掛けた方々への感謝の気持ちが芽生えてきているようです。

 自分自身が深く反省して思案できたことで今回の一連の物事が全て順調に回りだしたように感じています。

 さて、今月は10月の大祭月です。
なぜ大祭が10月にあるかと言いますと、皆様ご承知のように天保九年十月二十六日におや様(中山みき様)に親神様が神憑って立教の御宣言をされたことによるものです。
『我は元の神・実の神である。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。』
また、これはだめの教えとも言われています。
『天理教教典』には「十とおのものなら九ここのつまで教え、なお、明かされなかった最後だめの一点、元の親を知らして」
とあります。
これは、親神様は従来の宗教や思想において既に人類には倫理や色々なルールを9割までは教えていた。
しかし最後の1点であるなぜ人類を創造したのかの理由を今回教えるというものです。
 それは元の理にあるように親神様の分け御霊である魂を人類に分け与えて、その魂が親神様が何もない世界から創造された人間という体を使うことで、この世で親神様と同じような神の心を持った自由意志によってお互いが助け合って陽気に暮らし、その姿を見て親神様が人間と共に楽しみたいからということです。
このように天保九年から親神様が直々におや様の口を通して人類に語りかけてこられた訳です。

 また、おや様が亡くなられた後の明治20年からも、明治40年までは本席様(飯降伊蔵様)の御口を通して親神様のお詞をお伺いすることができましたので、親神様の教えは烈火のごとく日本全土に拡がっていきました。
しかし本席様が亡くなられた後は親神様のお詞を直接お伺いする術がなくなってしまいました。
この為、残されたみかぐらうたおふでさきおさしずを読み解くしか現在は親神様の真意を伺う術がなくなっています。
この為、どうしても人間思案に陥って親神様の真意からずれてきている所が現在の我々にはあるのではないかと心配するところがあります。

 私は昨年の6月29日の大教会の神殿当番での不思議な体験から、以下の3つを体感しました。
・この宇宙・地球とは神様がつくられた世界であるということ。
・この神様が作られた世界の中にあるこの自分の体とは一時的に今まとってはいるが、自分ではあると同時に自分ではないということ。
・この自分の体をまとってこの世界に自分が存在する理由とは、神様が望まれたこの世で人間として陽気遊山の暮らしを体現する魂になるためであるということ。

 今回の人生だけだと思っていたならば50歳を過ぎていく頃から残りの人生はカウントダウンに入って流しながら生きて行こうとなるところが、このことを心から理解できると人生の命の日が消えるその日まで精一杯に生きて行かないといけないと人生観が大きく変わっていきました。
今回の人生で精一杯行った経験・知識・やさしさなどは次回の人生では記憶としてはなくなっていったとしても魂に刻まれて引き継がれていきます。
そして、それはその次の人生でもまたその次の次の人生でも永遠に引き継がれていきます。
そう思えてくると115年の人生だけの短視眼的な価値観で行動するのではなく、200年、300年、1000年先のことを見据えた行動ができると思うのです。

本当はそうでないかもしれません。
でもそう思えることで今回の人生が命尽きるその瞬間までとても意味があり素晴らしいものへと変容していきます。

元の理が正しいならば我々は今まで10億年生き続けているのです。
これからも私達は永遠に生き続けていくのです。

 また、そうであるならばどういう生き方をしていったらいいのかと思われるかもしれません。
その手本としてはおや様の人生であるひながたが参考になるかと思います。論達の中にはひながたとは貧に落ちきられた・・・の下りがありますが、
これはおや様が生活に困っている近隣の方々に少しでも喜んでもらって陽気に心を立て替えて欲しいとの想いから、手元にあるものを喜んで差し上げていった結果として貧乏になられたということかと思います。
貧に落ちきったというのは結果であり、目的はおや心から人々を喜ばせたいということだったと思うのです。
目的は人を喜ばせ助けたいというおや心であり結果として貧に落ちきったということだと思うのです。

この目的結果を逆にしないように注意しないといけないと思います。
皆様も是非周囲の方を助けて喜ばせることをしてあげて欲しいと思います。

その為には手元にある程度のお金がないと助けられないこともあるかと思います。

お金とは、はたはたを楽させた結果としていただいた大切な対価ですので、大事に使ってご家族や周囲の方を喜ばせる有効な使い方をしていただいたらいいかと思います。

 また、我々人間の元の魂は親神様からの分け御霊ですので、人間はそれぞれが10億年をかけて色々な個性へと多様化していますが、元は自分自身と同じ魂です。
ですので、周囲に色々な方がおられても、それは自分自身が別の形をとった姿だと思えると、目についていた嫌な面も自分の不出来な部分を敢えてみせられた鏡とも思えてきます。
お互いがそうやって鏡としてお互いの魂を磨きあっていけば、10億年かけて互いに積んできた人間心を互いに磨きあって魂のコアにある親神様からの分け御霊の心へと近づいていけると思うのです。
実はそうではないかもしれません。
でもそうであると思えたら今までよりもちょっとだけその方を赦せるし優しくなれると思うのです。

 色々と申し上げましたが、冒頭の話に戻りますと私はこれからも周囲の方々が助かっていただけるような具体的な行動を通じて親神様の想いを少しでも伝えていければと思っていますので引き続き宜しくお願い致します。

以上つたない話ではございましたが、御清聴ありがとうございました。(かしわ手)

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