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(2024:その03) おねがいづとめ

2024年3月8日の部内教会での神殿講話の原稿です。
原稿内にでてくるメールの発信者の方々のご了解を得てお話をしております。
本人の気持ちとお願いをする側の気持ちが合わさった真剣なおねがいづとめは必ず不思議な御守護があるものと信じています。

以下神殿講話原稿です。
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本日は、おねがいづとめについてのお話をしたいと思います。(かしわ手)

1月8日に難病の信者さんからメールが届きました。
以下の内容です。
***************彼女からのメール*************
最近副作用が酷くなったので、全部のお薬を抜いて、減薬している最中ですが、もう色んな身上がありすぎて、生きている居心地もせず、正直死にたいです。一人じゃもう自宅の事もなにもできないぐらい心が追い込まれ、なにも手がつきません。
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正直私はなんと彼女に声かけをしていいか分からずに言葉に詰まりました。
心通りの守護と天理教では教えられていますが、それを病気で苦しんでいる方に言ってみても心が治まる筈もなく、どうしたものかと悩みました。
そこである方に相談を致しました。
そう致しましたら、このような答えを頂きました。
***********ある方かたからのメール*********
先ず、医学を信じているのであれば、素直に医者の言うことを聞くことが大切と言うこと。
神様は身上は『かしものかりもの』と明らかにしています。
それなのに、天理教の方々は当たり前の様に医者薬を頼ります。
何故なのか?
答えは簡単です。
『かしものかりもの』が全く分かっていない(治まっていない)からです。
何故医者薬に掛かるかと言えば不安だからです。
そして神様の教えより、医学の方が信頼(信心)に値すると思っているからです。
どんな科学的な治療も一時凌ぎの対処療法でしかありません。
川が氾濫し堤防が決壊しているのに、決壊だけ塞いで解決したと思っていますが、肝心の氾濫が治まっていないので、また別の場所から決壊する。
これが現在医学の抱えている問題です。
 
病の元は心から。
心に原因があるのに、病状だけ治めたところで病の根から次々と病状が現れるのは当然です。
 
神様が何故身上を見せるのか?
人間に罰を与えるためか?
人間を不安にさせるためか?
そうではなく、ただ『かしものかりもの』を知って欲しいのです。
『かしものかりもの』を知り、何時も側で神様が守っている事実を知って安心して暮らして欲しいのです。
人間の本体は魂。心一つの存在。
その心一つに与えられた『かしものかりもの』。
ならば神様は常に人間と共にあるのです。
神様が身上(病)に見せるのは、人間の心(魂)を救うため
身上(病)は突然降って湧いてくるわけではありません。
『心通りの守護』という厳然とした理の上で成ってくる神様の与えです。
人間心は神様を知らぬ故に、我が身思案(不足、不安、先案じ)が癖性分として根付いている故に、『かしものかりもの』に気を付かせ、心一つで何でも心通りに守護くださる人間の真価を教えてくださるのです。
自分が守っているわけでもなく、医者が守っているわけでもない、薬が効くわけでもない、神様が守る故に、心臓が動き、呼吸ができ、目が覚め、飲食をいただき、仕事や趣味など好きなことを自由に行えるのです。
その事実を知って、何事も不足や心配もせずに、出来ることを神様の守護と喜んで暮らしていれば、その心通りに出来る範囲が広がると共に喜びの感受性が広がり、日々豊かな心で陽気に暮らせるのです。
身上だって心配ない。
事情だって心配ない。
全て心通りに与えて頂いた喜びの対象。
『心通りの守護』という理が喜びそのもの。
なぜなら、現れた身上事情が心通りの守護なら、己の心一つで身上事情も治まるからです。
痛い思いして患部を切除したり、副作用に苦しむ必用もありません。
『病の元は心から』
このお詞を翻せば、心一つで病は治まると言うこと。
 
神様が人間をお創りくだされた理由は『人間の陽気ぐらしを見て共に楽しむこと』。
この一言こそ信仰の対象であり、この一言を信じているならば身上事情も陽気暮らしに必要な与えと分かります。
そして身上事情を心通りの守護と喜び(たんのう)さえすれば、その心通りに身上事情も治まります。
人はこれを不思議な守護と言いますが、神様のお詞を信じて人間も不思議な心を使ったのです。
本来なら喜べない身上事情を、神様のお詞を信じることで喜びという不思議な心を使えたのです。
 
これが信仰の芯なのです。
 
病気になって医者薬を頼っていたら何時までたっても『かしものかりもの』は分からず、神様の守護など分かりません。
心一つで神様を信じて、心通りの守護を頂くことではじめて神様(理)の実像が垣間見えてくるのです。
このように理の信仰を続けているから、日々にかしものかりものに守られた喜びを感じられ、陽気暮らしの実感に至るのです。
 
今、薬の副作用で様々な問題が起きていてもなお、医者薬を頼るのであれば私達にできることはありません。
もし本当に神様を求め、この道で救われたいと思うなら、本当に信じるべきものは何か?本人がしっかり思案する必要がありますが、今の状態で心を作ることは難しいでしょう。
 
そこで一つ方法があります。
一日一回でいいので、『座りづとめ』から『みかぐらうた12下り』を心静かに唱えること。
理の元を知り、この唱え一条を21日間続けることで御守護いただくとお詞を頂いています。
何も手に付かない状態であっても、静かに唱えることは出来ると思います。
これが私からの提案です。


医者を信じるか?
神様を信じるか?
 
天理教を信仰し天理教をしている方に、この問いは愚問のように聞こえるかも知れませんが、皆言葉で「信じる」と言うだけで、信仰の中身を誰一人として理解していません。
「ここまで信心したけれど元の神とは知らなんだ」
この一節の感慨に到達するのが信仰の喜びであり醍醐味。
ならばお詞を信じて心を使うこと無しに信仰は始まりません。
 
お供え、普請、ひのきしん(ボランティア活動)、路傍講演、戸別訪問など、信仰に形は必要ありません。
家事をしていても、仕事をしていても、遊んでいても信仰があるから、安心安全、未来に確かにつながる喜びの種を紡ぎ出せるのです。
 
身上事情で仕込まれているのは本人だけではなく、周囲を代表して仕込まれているのです。
だから周囲の人間も他人事だと思わず、共に心を治めて行くことで同様の理が頂けるわけです。
1人が仕込まれることで周囲も救かる。
それが天の方法、神様の慈悲。
神様のお詞に心の芯(信)を置けば、そこから必ず喜びの花が咲きます。
 
先ず、もいちゃんがこれらの事をしっかり治めて、心の底から神様に凭れて安心と喜びの心で、その方の不安を取り除いてあげてください。
神様はもいちゃんに神様の代役をつとめて欲しいのです。
よろしくお願いします。
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私はこのメールを読んで正にその通りだと思い、難病の信者さんにすぐに次のようなメールを打ちました。
**********以下もいちゃんのメール*************
あなたは神様を信じていると私は思っています。
神様は人間が喜ぶ姿をみたいから人間をつくられたと教えてもらっています。
そして人間に体を貸し与えて、心だけは自由にさせてくださっています。
『かしものかりもの』ですね。
あなたが今苦しんでいるその体はあなた本体ではなく、あなたが一時的に神様から借りているものです。
今のあなたの状態はとても苦しくてつらい状態だと思います。
でも、その状態というのはあなたの本体の症状ではなく、一時的に借りているかしものの体の症状です。
かしものの体が病んでいる状態です。
私は大教会の神殿で、この体がかしものであると心から理解できることで病気が良くなりました。
でも、この体験はなかなか普通にできるものではないと思います。
でも、かしものかりものを心から理解できる方法が一つあります。
おつとめです。
今は体が苦しい状態ですから、ておどりなどは無理かと思います。
でも、お歌を心の中で唱えることはできるとおもいます。
あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと ×21回
ちょいとはなし
あしきをはろうて たすけせきこむ いちれつすまして かんろうだい×3回×3回
よろづよ
1下り目~12下り目
これを心の中で唱えてみてください。
唱える時は、神様から貸し与えられたあなたの体の頭の中で考えて、心の中でことばを発してください。
神様から与えられた体が考えて、その頭の中で発する神様のおことばです。
神様の声として発せられているものです。
そう想いながら、唱えてください。
全部やりきると1時間程度かかるかもしれません。
でも、神様を信じ切って、凭れて、唱えてみてください。
これを21日間つづければ、必ず症状は治まってきます。
続けているうちに、みがぐらうたの御詞の意味が心に染みわたってきて、あなたのこころが綺麗になっていきます。
結果として、かりものの体の状態がよくなります。
だまされたと思ってやってみてください。
私もあなたの状態が良くなるように、私自身の心を磨きます!
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そして彼女は心の中でのおつとめを始めましたが、なかなか続けることができず途中で一旦中断してしまいました。それでも、私も一緒につとめるからあきらめずに一緒にがんばりましょう!と励まして、また、一からつとめられていかれました。
私自身も心を作らないといけなと思い、彼女に合わせて仕事が終わって教会に帰ってきてから毎晩深夜に神殿の神床で21日間の十二下りのお願いづとめをさせていただきました。
そして彼女は無事に21日間つとめあげられました。
その当日のメールです。
*************彼女からのメール**************
おはようございます!
会長さん、おかげさまで、21日間のおつとめとみかぐらうたをつとめさせて頂く事が出来ました!
本当にありがとうございます!
体調も良くなり、考え方や言葉の使い方等、様々ですが、色々と変化が出てきまして、正直私はこのままおつとめとみかぐらうたをさせて頂こうかなと思っています。
あと私は継続する事が今まで出来なく、自信がない所が多々ありましたが、今回の件でとても自信がつき、これから何かするにあたっても継続出来る自信も出来ました!!
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と、元気なメールが返ってきました。
そしてその翌日にまたメールが来ました。
*************彼女からのメール**************
おはようございます!
会長さん、いつもお世話になります!
おかげさまで、今日仕事に行く事になりました!
今までは身体の体調がずっと悪く、在宅ワークだったのですが、今日は通所出来るぐらい、回復しました!!
会長さんが一緒にお願いづとめをして頂いたおかげです。本当に感謝しております。いつもありがとうございます!
お願いづとめをさせて頂き、私も元気になってきているように、感じます!
いつも本当にお心遣いありがとうございます
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以上です。
 
約1カ月半の間は色々とメールのやり取りもあったのですが、ポイントのところだけご紹介させていただきました。
しかし、彼女もすっきりと全快した訳ではありません。
それでも最初に比べれば今の状態を喜ぶことができる心づかいができるようになりました。心さえ喜べれば全てが救われます。
こころすみきれごくらくや です。
私も十二下りを21日間つとめることにより、神様の御詞が心に染みわたって心の中が綺麗に整理されていく感じがして、神様がいいたいことはこういうことなのだと理解が深まりました。
彼女も心が救われたかもしれませんが、私自身の心も彼女によって救って頂きました。
最初は21日間のおつとめと言われて、どういう結果になるかなとも思いはしましたが21日間神様を信じて凭れ切った結果が以上のようなことでした。
 
おつとめを真剣に求めてつとめればきっと心がすくわれると思います。心が救われた結果として身上・事情がいい方向にいくのだと私は確信しています。
 
是非皆様もおつとめを真剣につとめられては如何かと思います。
 
以上つたないお話ではございましたが、御清聴ありがとうございました。(かしわ手)

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