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(2024:その04) 夫婦

2024年4月8日の部内教会での神殿講話の原稿です。
原稿内にでてくるメールの発信者の方のご了解を得てお話をしております。
ふうふが陽気ぐらしの単位です。
3回結婚している私が言うのも変ですが、ふうふが治まって初めて陽気ぐらしの輪が広がります。

以下神殿講話原稿です。
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本日は、夫婦についてのお話をしたいと思います。(かしわ手)

今年の1月から2月にかけてある方のおさまりを願って、お願いづとめを始めました。
『この件は座りづとめだけでは難しいな。』と思い、最初はよろづよまでつとめることから始めました。
そのうち、2下り目まで、4下り目まで、前半まで、後半までと段々長くなっていって、最終的に十二下り目までのお願いづとめになり、それを21日間つとめさせていただきました。
その間、私的には真摯に神様と向き合っていくようになっていったと思っています。
そんな中、昼間は普通に仕事をしておりますし、土日も天理教関連の講社祭りや月次祭や大教会の行事ごと、御本部への参拝や信者さん宅の訪問などをできるだけ夫婦でしておりました。
そういった状況の中で時間を縫っての十二下りのお願いづとめをしておりました。
夫婦で仕事が終わって帰宅するのはだいたい毎晩19時頃です。
そこから、奥さんは夕食の準備、お風呂、洗濯をして寝るのは大体深夜1時頃です。
私も夕食後の皿洗いなどは率先してやってはいましたが、十二下りのお願いづとめを21日間つとめるようになって、奥さんもそのことは知っているので、
『家事の手伝いはいいからおつとめしてきたら?』
と言ってくれていましたので、私も甘えて奥さんの1日の段取りも考えずに、神殿で一人十二下りのお願いづとめをしておりました。
15日目が過ぎたころから、
奥さんが、
『最近のもいちゃんってバリ天よね。』
などと言うようになりました。
自分としては深く考えずに、
『ピュア天と言って。』
と笑って聞き流していました。
しかし20日目頃から奥さんが段々元気がなくなってきて、
『全然陽気ぐらしじゃない。』と言ってきました。
奥さんも限界が来ていたのだと思います。
自分として、十二下りのお願いづとめをしている目的も奥さんは分かっている筈だし、その為に協力してくれていると思っていたので、なんでそういう発言をするのか正直分かりませんでした。
最終的に21日間十二下りのお願いづとめはやり遂げましたが、奥さんに確認した訳ではありあませんが、夫婦の間に大きな心の溝ができたような感じがしておりました。
 
そこで、ある方に以下のようなご相談をメールでさせていただきました。
以下私のメールです。
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こんにちは😃
ちょっとご相談があります。
最近、私なりに真摯に神様と向き合っているつもりですが、その分妻に負荷がかかっているようです。
理解してくれていると思ってはいたのですが、もともと天理教を信仰している訳でもなく、神様を強く信じている訳でもなく、私を信じている先に神様を見ている状態だと思うのですが、ちょっと思いに乖離が生じてきています。
どうしたものかとも思いますが、両立するべきですが、だんだんと間が開いてきているようにも思います。
半分愚痴のような相談ですが、このような類似のケースでのおことばなどありましたでしょうか?
会社と教会とどちらも手を抜かないようにしているので物理的に無理があるのかもしれません。
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その方からの以下のような返事がきました。
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もいちゃんは教会長と社長を兼業するスパーマンの様な方だと尊敬しています。
私ともいちゃんでは立場が違い過ぎますが、あくまで理の上で私なりの悟りを述べさせていただくなら、教会長、社長業よりも一番に優先すべきは奥様です。
世界は鏡と教えられますが、もいちゃんにとって一番の世界は奥様なのです。
そして奥様に映っている状況から鑑みて、もいちゃん自身の心の状況が芳しくないと、奥様を通して神様(理)が伝えて下されているのです。
 
私はもいちゃんに会ったこともないし、どんな生活やご苦労をされているかも分かりません。
でも理は絶対の物差しです。
 
『夫婦揃ってひのきしん、これが第一物種や』
 
夫婦揃ってひのきしんとは『夫婦揃って天理教を信仰する』と言う訳ではなく、『夫婦揃って神一条の心、神様と同じ様に人の喜びを見て共に楽しむ心』になることです。
奥様は天理教を信仰していないにも関わらず、旦那であるもいちゃんを立て、もいちゃんが喜ぶならと月次祭でお料理を作ったり、もいちゃんの力になろうと努められて来たのだと思います。
奥様自身の主義主張を超えてもいちゃんの喜びの為に尽くされて来たのではないでしょうか?
 
もいちゃんにとって社長業も教会長も大切な勤めに違いありませんが、奥様はもいちゃんが大切だからもいちゃんが大切にしているものを大切しようと務められた・・・
これは私の想像かもしれませんが、もしそうなら奥様は神様は知らなくても神一条に近い心だと言えます。
これはもいちゃん自身の優しい心(他人の為に尽くす心)が奥様に映った結果とも言えますね。
 
天理教の信仰には様々なつとめや運びがあると思われるかもしれませんが、神様が信仰して欲しいのは親心です。
いつも側でガッチリと子を守っている親を信じて欲しいのです。
親心を信じて陽気ぐらしして欲しいのです。
本当に神様の心が分かるなら、誰でも陽気ぐらしできるのです。
そして陽気ぐらしの心は周りも陽気にします。
世界は鏡ですから。
そして一番の鏡は、もいちゃんに一番近い人。
 
極論を言ってしまえば、もいちゃんにとって一番の陽気ぐらしとは奥様を喜ばせること。
奥様一人を陽気ぐらしさせることが『もいちゃんにとって一番のつとめ』。
 
これは私も同じです。
 
私と妻はある先生の元で出会い、お互いに同じ信仰を持っていますが、同じ心ではありません。
同じお詞を聞いていても悟り方、理解の仕方はまるで違います。
育った環境が違うので当然なのですが、お互い同じ信仰を持っているからと過信してしまうと、相手の心をなおざりにして、傷つけてしまうことになり兼ねません。
ましてや信仰者と無信仰者で心を同じ様にすり合わせることは至難の業です。
 
私も日中は仕事をしているので、夜や週末はお詞の勉強やブログ書きたいのですが、それよりも妻との時間や家族の団らんを楽しむことの方が重要なので、自分の事は時間が空いた時に楽しむ様にしています。
 
私と違い、もいちゃんは人の倍以上多忙でしょうから、やるべきことも沢山あると思います。
しかし会社や教会は守護の賜物、いわゆる形です。
形なら神様がいくらでも創造できますが、心は違います。
心は神様にも自由用できません。
奥様の心を動かせるのは奥様自身と、鏡であるもいちゃんのお二人です。
 
誰かを喜ばせる時、自身の主義主張(信仰含む)ほど邪魔なものはありません。
奥様の喜びは奥様に聞かなければ分かりません。
例えそれが俗っぽいことでも、もいちゃんの主義主張に反することでも、奥様の喜びは奥様自身が感じること。
 
『人の喜びを見て共に楽しむ』
 
自分を立てていたら絶対にこの境地へは近づけません。
これはある意味、自分を捨てる必要があるのです。
自分の主義主張や価値観に拘っていたら、他人の喜びを喜ぶどころか高慢な心で批難や蔑む可能性もあるのです。
 
『会社と教会とどちらも手を抜かないようにしているので物理的に無理があるのかもしれません。』
 
もいちゃんはもいちゃんで本当に立派な方だと尊敬します。
お詞は『無形の物理』と教えられる様に、心の理(種)を作ることで物に作用を起こすので、『会社と教会とどちらも手を抜かない』これも一つの種ですが、『夫婦揃ってひのきしん』の物種に勝るものはありません。
第一に立てるべきもの(形ではなく)を立てていれば、自ずと形は立って行く。
それが信仰の神髄ならば、目に見えない無形を信じることで真に盤石な形(会社や教会)を御守護頂いてこそ信仰の真価、信仰の喜びを夫婦揃って分かち合えるのではないでしょうか?
その姿は紛れもなく陽気ぐらしそのもの。
陽気ぐらしが世界に映るなら、会社も教会も陽気に立って行くが理の必然です。
 
色々書いてしまいましたが、もしもいちゃんの心を余計に煩わせたら申し訳ありません。
これに懲りずにまた何かあれば愚痴でも文句でも遠慮なく吐き出してください。
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それに対して以下の返信を致しました。
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ありがとうございます😊
心が治りました。
考え違いをしていたようです。
一番近くの鏡を見落としていました。
反省致します。·
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そして、すぐに
『奥さんに申し訳なかった。心得違いをしてた。』
と深く反省して、奥さんに直接謝った訳ではないですが、奥さんが喜ぶようなことを心がけないといけないと奥さんにすり寄っていきました。
ほどなく、私達夫婦の関係も元に戻ったと思っています。
今ではいい感じで二人で暮らしております。
 
陽気ぐらしとは、『目的』も『過程』も『結果』も全て陽気ぐらしでなければいけません。
私は『目的』と『結果』だけを求めて、『過程』をなおざりにしておりました。
 
『過程』とは『家庭』かもしれませんが、『家庭』がおさまっていない状態でいくら人の助かりを願っても、それは灯台元暗しであって、地に根が張っておりません。
 
本当に優先順位を間違えていたと思っています。
まずは、『夫婦揃ってひのきしん これがだいいち物種や』です。
ここでいうひのきしんとは天理教の御用をすることだけではありません。神一条、神心となって人の喜びを願うということだと思います。
夫婦で人の喜びを一緒に喜んでいく。その為には夫婦同士も喜べないといけない。
それが第一の物種であると神様は言われています。
 
今後も夫婦仲良く、その上で周囲の方が喜べるような形でこの人生を送っていきたいと思っています。
 
ちなみにその後も十二下りのお願いづとめを21日間つとめましたが、事前に今回の目的を奥さんに話をした上で、奥さんの負担にならないように夫婦で全ての家事を終えて、あとは寝るだけの状態になってから、神殿に一人上がって十二下りのおつとめをつとめるようにいたしました。

これも正直ギリギリのところだったと思うのですが、今回のお願いづとめで奥さんとの心の溝は感じませんでした。

これからも夫婦仲良く暮らしていきたいと思います。
皆さんも是非夫婦仲良くされて陽気ぐらしの輪を広げていっていただけたらと思います。

以上つたないお話ではございましたが、御清聴ありがとうございました。(かしわ手)

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