目指す場所は同じだから
受験に見えるもの
ただいま、受験期まっただなかです。
受験生たちの悲喜こもごもを見聞きするにつけ、色々と考えさせられる今日この頃です。
受験の結果によって、その後の人生が決まってしまうわけではないとはいえ、真剣勝負ということに変わりはありません。
そんな真剣勝負の中で、子供たちは今、一生懸命に人生を味わっているところです。
客観的に見ていて思うことは、人それぞれ、その人の魂が求めている経験をしているのだろうなあ、ということです。
魂の求めるもの
私は、人間を「魂」として見ているところがあります。
子供であっても、ひとつの「魂」です。
私は、全ての魂は、「自分は全てである」ということを思い出すために生きているのだろうと思っています。
急になんだか大袈裟な話ですが。
つまるところ、私たちは、これ ↓ を体現したいのではないかと思っています。
影でもあり、光でもあり、全てを内包するものです。
生きていると、色々なことがあります。
良いこともあれば悪いこともあり、安心することもあれば不安になることもあります。
良いことばかりでは悪いことはわかりませんし、安心することばかりでは不安になることはわかりません。
どちらもあるから、どちらでもない、もわかるのです。
人類みな兄弟
それぞれが、それぞれの人生において、果てしなく経験を積んでいくと、どこかでふと、「あ、みんな同じなんだ」と気づくのではないか。
noteで文章を書いて発信するようになり、色々な方に私の文章を読んでいただいたり、色々な方の文章を読ませていただいたりする中で、私のその思いは、確信に変わりつつあります。
「人類みな兄弟」
そんな言葉はきれいごとだと思っていました。
が、自分の心を掘り下げていくと、ものすごく悪いヤツも、ものすごく良いヤツも、そうでないヤツもたくさんいて、それって「世界が自分の中にある」ってことだよな、と思ったのです。
「人類みな兄弟」どころか、「全て私」なのです。
それは、たぶん誰にとっても同じことなんじゃないかと思います。
だから、受験の結果に泣く子も、喜ぶ子も、目指す場所は同じなはず。
そう思っています。
今は辛いかもしれません。
でも、経験から生じる感情を、めいっぱい味わってほしいです。
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