▶︎ 冒険をする
本当の冒険
私の夫は、ゲームが好きです。
ドラクエなどのRPG(ロールプレイングゲーム)を、以前の夫は、攻略本(または攻略サイト)を見ながらプレイしていました。
今でもたまに思い出して言われることがあるのですが、ある時、私にこんなことを言われたのだそうです。(私はあまり覚えていません)
「攻略本見ながらやってて、楽しいの?」
夫は、そのひと言にかなり衝撃を受けたらしく、それ以来攻略本を見るのをやめ、ようやく本当の冒険(ゲーム)の楽しさを知ったのだそうです。
夫にとって、ゲームは攻略本を見ながらやるのが当たり前だったそうなのですが、私に言われて初めて、攻略本を見ずにやるという選択肢があることに気づき、ハッとなったのだそうです。
私からしたら、答えをわかっていながらその通りにプレイする遊びのどこに面白みがあるんだ、とは今考えてみても思うので、確かに言ったのだろうと思います。
たかがゲームとはいえ、遊び方には、その人の生き方があらわれるような気がします。
ゲームには攻略本がありますが、人生には攻略本はありません。
が、攻略本らしきものは様々あり、そういったものとどういうスタンスで向き合っていくかということは、生きていくうえで、けっこう大事なポイントになってくるような気がしています。
人生の攻略本
唐突ですが、私は「土井善晴とクリス智子が料理を哲学するポッドキャスト」という音声番組が好きで、たまの配信を楽しみに聴いています。
中でも、#3の「レシピとは他人の物語」の回が好きです。
私には、生き方について常々思っていたことがあったのですが、それを土井善晴さんが、料理という別の視点を通して語られていて、ほんとそう、と思ったのです。
しびれます。
世の中に様々ある「人生の攻略本」的なものは、「レシピ」のようなものだと、私は思うのです。
土井さんの言うところの、他所の人の思い出、他所の人のメモ、なのです。
確かに、中には共感するものや納得できるものもあるのだけれど、なんかこう、自分の人生にはぴたっとフィットしない、というか。
フィットさせようと努力しても、どうしてもどこかに隙間ができるし、その隙間を埋めようとすると、今度は別のどこかに隙間ができて、どうにも気持ちが悪い、というか。
私の人生は私しか体験していないはずなので、当然と言えば当然のことなのですが、当然すぎて、意外と見落としがちなポイントのような気がします。
そんな当然のことをあえて書きますが、私の人生の攻略本は私にしか書けない、ということです。
枠の外へ
私は、生き方に正解はない、と思っています。
もし正解があるとするならば、それは自分の心だけが知っている、と思っています。
裏を返せば、私以外には誰も私の正解を知っている人はいない、ということです。
つい先日、自分で自分の髪の毛を切ってみたのですが、自分の好みにぴたっとフィットして、自分でも驚くほどの満足感を得ました。
これまでも、前髪をちょっと切るくらいのことはやっていたのですが、全体に手を入れるのは初めてでした。
私の母は美容師で、今でも現役の美容師として働いています。
生まれてこのかた、髪はずっと母に切ってもらっていたのですが、ふいに自分で切ってみたくなり、母からもらったお古のスキバサミでチョキチョキしてみました。
母に切ってもらった時の感じより、好きかも。
それが、正直な気持ちでした。
母はプロの美容師ですが、私の好みを、細かいところまで全て知っているわけではありません。
私は美容師の資格は持っていませんが、自分好みに自分の髪を切ることはできるようです。
美容師は国家資格ですし、だからなおさら、髪のことは美容師に任せたほうがいい、となりがちなのですが、自分にしかわからないことだってあるし、自分でできるのなら、自分でやったっていいのです。
自分は専門家でもないしそんなたいそうなことはできない、なんて思ってやらずにいるけれど、やってみたらできることって、案外たくさんあります。
誰のものでもない、自分の人生です。
ただ自分を喜ばせるためだけなら、たいそうなことができないといけないわけでもないですし、なにより、自分の手で何かを成せるというのは、ものすごく楽しいのです。
世界の果てを目指すことだけが、冒険ではありません。
日常の中で、何度でも出かけてみれば良いのです。
ちょっとだけ、枠の外へ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?