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#アメリカ

#ルート66の旅 (8)

シカゴからブルーミントンまでが一日目、今回2日目セントルイスまでの後半、スプリングフィー…

#ルート66の旅 (7)

ブルーミントンから先に進みます。このあたりは高速道路 I-55のすぐそばをルート66(多くが193…

#ルート66の旅 (6)

ジョリエットの少し南からの記録です。 ポンティアックには見どころが沢山。アメリカのクラシ…

#ルート66の旅 (5)

さて、シカゴを出て・・・我が家は初日、ポンティアックの少し先のブルーミントンという場所を…

#ルート66の旅 (3)

くどいけれど2000マイル超えのロードトリップは大変。 移動し続けているので体力勝負でもある…

#ルート66の旅 (2)

写真を付け忘れました↑。 前記事にも書いたのですが、国道66号線は1985年に正式に「廃線」に…

#ルート66の旅 (1)

(ツイートに慣れてないのがバレる、日本語の酷さよ・・・失礼しました。) 昨日の記事で触れましたが、自動車がだんだん一般のひとにも使われるようになってきた時代、それが1920年代後半。 1930年頃にはグレートプレーンズでの土壌浸食(風食)のため、オクラホマ、カンザス、テキサスからカリフォルニアに仕事を探して移住するひとたちがルート66を使いました。スタインベックの映画「怒りの葡萄」で描かれていたのはまさにそのあたり。 交通量の増加で1930年代にはいくつかの大きなルート

#ルート66の旅 シリーズを始めました

Twitterにて #ルート66の旅  シリーズを始めました。 私達家族が「Route 66」の標識に初め…

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弾丸南ユタロードトリップ(5)