見出し画像

「それでも諦めない。」第4話

あなた、鬱なんですよ

20x6年11月。

飯田さんが小池さんと交代して週に2回うちに手伝いにきてくれるようになり、亜衣さんからの電話フォローも始まって3ヵ月があっという間に経った。
それまでも変わってしまった父を理解しようと、そして支えようと、俺ばかりではなく福田さんも矢島くんも無理を押してかなり頑張っていたのだけれど、この頃からヘルパーの飯田さん、サポートの亜衣さんが「現状はこんな感じなんですよ」「こういうときは今回みたいな対処で行きましょう」と言葉にして状況を説明してくれるおかげで、少しだけれど父と過ごすやり方も分かって来た。

気付いたらもう父の病気から2年が経っているのだ。そりゃやり方が身につかないと困るよな、と自嘲的になってしまうこともある。大分長い間、目の前の今をやり過ごすことに夢中で、時間の経過とか季節とか、全く意識に上がってこなかった。
11月の街の中や工場裏手の小さい庭にある木々は紅葉し、もう葉を落とし始めている。最近は寒いから窓はほとんど閉めたままだ。
何気なく窓の外の木が目に入り、俺の頭の中に「最後の一葉」っていう大昔読んだ話が思い出される。だれだっけ、なんか有名な人が書いた話だったよなぁ。生きる希望を持たせるために窓に一枚の葉っぱを描いてくれたひとがいたんだっけ。なんとなく作者を知りたくなって手許のケータイで検索する。あ、オー・ヘンリーかぁ。
父さんには俺や福田さんたちが葉っぱを描いてもみせられるだろうけど、俺のためにはそんな人いるかなぁ。。。落ちる葉っぱと一緒に消えちゃったりしてもいいかなぁ。生きてる意味、分かんなくなってきたし。
・・・あれ、なに思ッちゃってんの、俺。ダメじゃんそんなの思ってちゃ。疲れてんのかな。

実際疲れていた。でも大変なところを頑張ってるのは俺だけじゃないと言い聞かせる。幸い、というか有り難い事というか、福田さんも矢島くんも退院前からいろんなことを理解してくれ手伝ってくれるおかげで工場は動いているが、父への尊敬や思慕を持ってくれている二人がいなかったらこんな無茶な状況、やってこられなかっただろう。
そして離れていったように見える友人たちも、距離をとってくれてはいるが(というか、キレた父が皆を遠ざけたのだが)実はいいお客さんのままでいて我が家を支えてくれている。福田さん、矢島くんの人柄と腕がいいこともあるだろうけれど。そのおかげで、父の入院の頃から心の片隅で重さを増していくばかりの「うちのお金のこと」という問題は、結局ぎりぎりでもなんとかなってきている。もちろん、いつだって社員のお給料のこと、父の日常にかかるあれこれのお金、会社の収支とか、頭の中で考えてる。

父が以前みたいな父に戻れないと分かった今、「自分が頑張るしかない」と思っていた。これまでも頑張って来られたし何とかやってきた、頑張るんだ。

・・・と、追い込んだのがいけなかったらしい。11月のある日俺は倒れて病院に運ばれた。過労、といわれて点滴を受けた。
この頃はなかなか眠れなくなり、ずっと頭の中で父のこと、工場のこと、仕事も自分の生きる方法もまとめてぐるぐると考え続けていた。考えてるつもりがなくても頭からなにかが離れない。食欲も落ちた。普段履きのデニムがゆるいのでベルトを使わなくてはいけない。ベルトの穴も今では2つずれている。
こんな生活をどれだけ続けなければいけないのか、と、気付くと頭の中で悲観的な言葉が渦巻いている。いや違う、簡単じゃないけど父がいて福田さん矢島くんとお喋りもできる今の生活から逃げたい訳じゃ無い。でも突然全部を止めてしまいたくなる。
そしてまた、俺は眠れなくなるのだ。

倒れて運ばれた病院に迎えに来てくれた福田さん夫妻にはこっぴどく叱られた。いつも陽気で笑った顔しか見たことのなかった福田さんの奥さんなんて泣きながら「康太くんは康志さん同様、私達の家族なのよ、どうして全部自分ひとりでやろうとするの」と本気で俺に怒った。なんてありがたいことだろう。だけどその時の俺はなんだかぼんやりとしていて気持ちが上がらなくて、その有り難さもよく分からなかったんだけど。・・・それに、なにについてどう頼ったらいいというのか。

「康太さん、それ、念のため広木先生に報告しますね」

病院から戻ったあと最初の定期連絡電話で、ごく簡単に倒れたことを話したら亜衣さんにそう言われた。その翌日には「康太さんは当院の心療内科にかかるように」と広木先生からの伝言があったそうで、「こちらで予約を取りますがご都合は?」と亜衣さんが尋ねてきた。来週になると休日も入るからさっさとやりましょう、と。
なぜ心療内科?とは思ったが、亜衣さんはその電話の間にもテキパキと色々やってくれる。で、あっという間に亜衣さんのところから予約が取れたということで(院内コンピュータでの処理だから早いらしい)その翌日の金曜には俺は心療内科にかかっていた。きっと何かの手をつかって押し込んでくれたんだろう。

「鬱ですね。過労で倒れる前に、しばらく眠れない時期が続いていたとおっしゃっていたのもその症状です。」

これまでの一通りの情報が広木先生(もしくは亜衣さん)から先に届いていたようで、俺の心療内科での診察はさっくり終わって「ごく弱い」薬も処方された。しばらくそれで様子を見ましょうと。そしてその外来の後、本当に久し振りに俺は広木先生に会いにいった。心療内科外来からの帰り際に「広木先生がお話したいのでICUに寄ってくださいって言ってましたよ」と心療内科の先生に言われたのだ。
それでそのままICUに向かって、中の看護師さんに声をかけたら、いつもの入り口手前の小部屋にお入りください、と言われた。最初に父がICUに入った時説明をうけたあの小部屋だ。入ると、結構すぐに広木先生もばたばたと入ってきた。

「お久しぶりです、小林さん。先日は倒れられたとかで大変だったみたいですね、もう大丈夫ですか?今日はこちらにも足を運んでいただいちゃってすみませんでした。」

広木先生は背が高く恰幅もいいのだけれど、いつもどことなく背中を丸めてちっちゃくなっている印象がある。患者家族の僕たちに目線を合わせようとしてくれているからだろうか、話し方がやさしいのもあるだろうか。

「こちらこそお忙しいときにスミマセン、先生お元気そうで。」
「はい、お陰様で。・・・で、立ち寄ってもらったのはちょっとお話がしたくてですね、小林さんとお父様の康志さんのことで。あ、細かい報告は亜衣ちゃんからずっと聞いてますけれど」

・・・? 広木先生、藤枝さんのこと亜衣ちゃん呼びなんだ。

「ありがとうございます、・・・藤枝さん、本当にいつも心配りくださって」
「亜衣ちゃん、いいでしょ。僕も素晴らしい出来だとおもうんですよ」

広木先生はにかっと思い切り笑顔になる。

「亜衣ちゃんのおかげで小林さんたちのお家の状況も大分わかりましたし、記録も取れてきてますしね。」
「はい、ありがとうございます。そうそう、ヘルパーさんの飯田さんも、亜衣さんに話したことを必ずその次からの訪問日に解決してくれますし。すごいチームですね」

うんうん、と嬉しそうに広木先生は頷く。

「で、ですね、小林さん。次の外来ででもお話しようと思ってたことだったんですけど、二度手間にすることもないかと思って。退院されてからのお話をいろいろ伺っていてもしかしたら、って考えていたことなんですが、お父様の康志さんの変化って集中治療後症候群ってやつだと思うんです。PICSピクスって呼ばれてるんでるんですが」
「はぁ・・・え?病気は他にもあったと?」
「いえ、なんというか、PICSピクスはICUに入っているとき、あるいはICUを出たその後に出る運動機能、認知機能、メンタルヘルスの障害という定義なので、他の病気というより命を助ける中で起きたことなんです・・・つまりお父様はICUにいる間のことが心や、脳を含めた身体の大きな傷になってしまい、昔のような日常を送れなくなった、というのが僕たちの見立てです。PICSピクスのことは亜衣ちゃんがわかりやすく説明してくれるはずですのでここでの説明は省きますが、今日こちらでお伝えしたかったのは康太さんの鬱症状もPICSピクスの一部だと僕は思ってる、ってことです。家族ファミリーのPICSなんでPICS-Fって呼ばれます。」
「俺が?父じゃなくて???」

広木先生は頷く。

「頑張りすぎる人が鬱になる、っていうことを聞いたことはありますか」
「ああ、なんとなく」
「もちろんその根拠はって言われると統計的数字は出ないと思うんですけどね、ほら、頑張りなんて数字にできないし。でも明らかに康太さんはそれが後押ししちゃったんだと思います。もちろんきっかけはお父さんが生死の境にいらしたころから会ったんだと思うんだけど、康太さんはなんでも自分でやらなきゃって思ってらっしゃるって亜衣ちゃんの報告にはありましたしね。もともとお父さんがあんな大変な状況になって康太さんの心、ものすごく負荷がかかったんだと思うんですね。さっき心療内科の先生とも総合的に話して、患者さんのご家族が罹ってしまうPICSだろうと意見は一致してます。鬱になっちゃってるのがそれですね。」

さっき診療内科で鬱といわれたときはちょっと他人事に聞こえていた。ふーん、そうなんだ、くらいだったのだが、やっと今俺に向かって「あなた、もう大分長い間鬱ですよ」って言われてるんだと、気をつけてほしいから呼ばれてるんだと、ようやく気付いた。

「すみません、もっときちんとお話しなきゃいけないんですけど今ほかの患者さんがICUに入ってきてまして・・・亜衣ちゃんの報告信頼出来ますし、こちらの言葉を正確に届けてくれますし、またなにか疑問があったら彼女を通して伝えて下さい。すぐに要約が僕の所に届くようなプログラム組んでますんで。」
「あ、はい・・・ありがとうございます。・・・ていうか、先生ご自分でいろんなプログラムを作っていらっしゃるんですか?」
「まぁ、昔取った・・・あ、取っちゃいないか、取ろうとした杵柄っていいますか。ごく簡単なもんなんですよ、入力されたものを箇条書きにして一目で見られるようにする、みたいな。」
「おーなるほど、面白そうですね。あ、すみません、俺も違う方面ですけどエンジニアだったんでそういう工夫とか好きで」

広木先生はにやっと笑って「エンジニアってそうですよね」と言うと立ち上がった。

「じゃ、ホントにバタバタしてすみません、でもね、PICSって長い付き合いになるので・・・くれぐれもご自分を追い詰めないように。僕らのチームはそのためにいるんです。康太さんみたいな症状は、他の方、えーとお名前失念しましたけどよくしてくださる工場の人たちがいらっしゃるって伺いました、そういう人たちにもないとは言いきれませんからね。ほとんどご家族同然って伺ってますし。」

弾丸のように話して、広木先生はまたばたばたと出て行ってしまった。忙しいなかでも色々心配してくれてるんだな、ということは分かった。
それにしても亜衣ちゃん亜衣ちゃんって・・・広木先生って亜衣さんと特別親しいのかなぁ。


↓ 第5話


サポート戴けるのはすっごくうれしいです。自分の「書くこと」を磨く励みにします。また、私からも他の素敵な作品へのサポートとして還元させてまいります。