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三が日くらいは「正月」でいたいけど

1月も3日目。日本なら三が日だし、もしかすると日本では大分薄れたとは言え松の内の間は、ってことで世の中はまだお休みモードなのかもしれない。

アメリカは、一応2日から「通常営業日」だ。まぁその前にサンクスギビングだクリスマスだと大型連休といってもいいくらいの2-3週間があるものだからそういうものかもしれない。

一応私は三が日の間は 朝はお節料理と雑煮・お汁粉を並べ、用事が特になかったらオットと朝から呑んでたりする。何かを始めるのは一応4日以降で、と思っている、というか、頑なに「そこだけはお休みモードを崩したくないんだよね」な気分が自分のなかにある。あるんだけど、今年はもうやむを得ず3日の朝に歯医者の治療予約をいれた。先月決まった治療の予約はそこしか空いてなかったのだ。あああ、とうとう3日間何も予定を入れず・・・が出来なかった。


自分の育った地域(国)の文化・風習を保持しようとしてもやっぱり住環境にある社会の動きが優先されるし、なかなか難しいもんだなぁ、と毎回思う。半分諦めているけれど同時に「どうやって失わないように出来るか」ということも考えてしまう。

「日本語中心」で暮らす、というのはまず最低限。もちろん夫婦で日本人だし幸い子育てもほとんど終わったので今は全く問題ないことだけれど、ここまでの20年をぼんやりと考えると、そこそこ悩んできた言語環境だった。とはいえもともと私はそれほど思い悩む人間ではないので「悩んで」というのはウソかもしれないが。

あとは日本の祝祭日や行事をちょこちょこ取り入れること。もちろん自分に負担の大きくない範囲で、だけれどね。風呂に浸かる風習のない社会では菖蒲湯とかゆず湯とかはとてもできないのだけれど、子供達は「節分」「雛祭り」「端午の節句」・・・のような代表的行事をどんなことをしたりどんな意味があったか、くらいの知識を持てていると思う。私に出来ることはその程度だと思っていたのでまぁ満足。あとは本人たちが必要な時に思い出したり調べて知ったりしていけばいい。

でも風習というのはそれだけではないから、この20年でどのくらい自分が子供の世代に伝えていけたのかはかなり怪しい。幸い我が家の二人ともがそこそこ日本に行き来できて、それぞれが自分からあちこち歩いたりしてきたことがあり、私の伝えた最低限のことに自分たちで肉付けは出来たんじゃないかなと思ったりもする。


自分では一番日本らしいのではないかと思える正月という時期には毎年、「どこまでどうやって伝えられるか」にうっすら苦しい気持ちを感じている。だが、まぁここまで来たらあとは子供たち次第。私自身に関していえば自分で満足する正月になればいいか、とそんな開き直った気持ちになっている。

だって私の知っている日本の風習だって今じゃほとんど残っていないようなものだ。多分「松の内は学校も休み」だった私の子供時代は、今の日本では「7日間も休みだなんて信じられない!やってられない!」って言われるんだろうしね。

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