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見たものが まだ言葉にならない。

数日前にオットが映画を見に行くって言うので付いていきました。

まぁうちのオットが見に行くのってちょっとマニアックだったり、アクションもので血がどばーっていうのとかも結構あるんですけどね。
今回は聞いたら「1917」っていうから え、それ見たかったんだけど、と思って「一緒に行って良い?」と聞いてみました。邦題は「1917 命をかけた伝令」なのかな。

(そういや、結婚する前はこうやってついていくのを嫌がられたんだよねぇ。イマイチ、オットのそういうところは理解出来ませんでした。大分文句を言ったので変わったけどね)

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ワンカット、という撮り方が有名らしく、オットはそんなところを中心に見てたのかな。私はむしろストーリーだけで見る方なので、あとからその撮影方法の特殊性とかをみて「ふーん、なるほどねぇ」だったんですが。
 ↓その撮り方についての動画、英語ですがよかったらどうぞ↓

この話は監督サム・メンデの祖父の体験談に基づいたお話だそうです。
メンデ氏は自身のポッドキャストで「子供の頃おじいさんに聞いた第一次世界大戦のときの伝令の話がね、断片的にずっと僕の中にあったんだ。まぁ、自分の中でものすごくその話を大きくした、って言えるけど」と話しています。

映画の舞台となった場所は恐らくベルギーとフランスの国境近く、フランダース地方のパッシェンデールという小さな町あたりと思われます。
「パッシェンデール」「1917年11月」と聞けばイギリス・ベルギーのひとなら「第一次世界大戦」とすぐ結びつくくらいの激戦地だったそう。フランドル地方はとにかく泥地で、この年の夏は雨が酷かったと記録されています。


監督の祖父アルフレッド・メンデは交信係でした。
この地方での激戦ののち、軍が出した《この激戦の中で生き残り兵がどのあたりにどれくらいいるか探しに行く》というミッションに「志願した」と自伝に書いています。そしてアルフレッドは多くの生存していた兵たちを確認し、それにより彼らは救出されます。そのミッションの最中、「多くのスナイパーやマシンガン、砲弾をくぐり抜けて怪我を負うこともなかったけれど、全身の毛が逆立つような経験も沢山した。その夜の話は、僕の孫やひ孫に絶対忘れられないものとなっただろう」と彼は書いています。
この勇敢な功績によりアルフレッドは表彰されています。

だから、映画1917はメンデ監督が「祖父から聞いた忘れられない話」をもとに、史実と合わせながら その時のその状況ならこんな敵の沢山いるであろう場所を走り抜けたこともあっただろう、という想像を働かせ書いたものだそうです。


・・・私の中ではこのストーリーはまだ咀嚼中で。

うん、そういうこともあったかもしれない、というか、途中途中で描かれてたのは実際あったことだろう。戦争ってそういうものなんだろう。
映像もすごかったしなぁ・・・

調べてみて、こんな有名な激戦地あたりを舞台として設定してるとか、監督の祖父が実際にこのエリアの町奪還の戦いに関わってるとかもわかった。

なのだけど。

ワンカット、という撮影法のためなのか、わるい夢(なんだったら超悪夢)をみていたような 気持ち悪さが残っています。
あ、映画が、じゃないです。自分の言葉が捕まえようとすると散っていく感じの気持ち悪さ・・・

人間の死に慣れていく私達、というところにも気持ち悪さの根っこはあるのかなぁ。

起きていることは本当に恐ろしいのだけど、もっと恐ろしいのは映画の中で だんだんと沢山のひとの亡骸を風景として認識し始める自分かなと、ようやくそこまで来たところです。でも本当に自分が感じたモノはまだ、これ、という形になっていません。

  ー☆ー☆ー☆ー

映像や訳者さんの素晴らしさは まぁ是非みてもらうということでね。
自分のなかの感想が簡単に言葉にならない映画ってのも久し振り。そういうところが、良い映画と言える理由にもなるのかなぁ。

ということで、言葉に落ちてこないままですが、備忘録として一応書いておくことにしました。まとまってなくてスミマセン。

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