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バイタリティ高めなウチュウジン。

大阪に子供達と3人で移動してきた。
子供二人とも、日本社会を垣間見させてもらうチャンスを得たからなのだが、こんな短期で「社会」を見せていただけるなんて本当にありがたいことだ。
日本ってどんなところなのか、自分はなにを心地よく思い何をいいなと考え、なにを疑問に思うのか、もうこればっかりはそれぞれが自分の足を使い人に会いに行き、実際にコミュニケーションを取る中でしか得られないことだから存分に浸って欲しいなと思っている。

同時に、成人年齢の子の母は自由時間をもらえたことになる(嬉しい)。

そんなわけで?大阪に来てから毎日人に会いに行っている。基本noteやSNS、オンラインで既に接点をいただいているが まぁ初めましてばかりだ。そういうのを結構昔からやっているので(だって物理的距離が遠いから)私自身に抵抗は少ないが、私の親世代からみると私は宇宙人だろうな。


よく「バイタリティがある」と言われる。
バイタリティVitarityはラテン語のvita(生命)が語源らしい。日本語としてどういう意味で使われているのかを探したら類義語としてこんな風に書いてあった。

生気(せいき) 生き生きとした気力
英気(えいき) すぐれた才気、何かをしようとする元気
エネルギー 物事を成し遂げる気力・活力
エナジー 物事を成し遂げる気力・活力
モチベーション 物事を行うための,動機や意欲になるもの
ガッツ がんばる気力や根性
エネルギッシュ 努力を必要とする仕事や活動をどんどん行なうさま
タフ がんじょうで、たくましいようす

まぁなぁ・・・そう見えるよね。私はそういう人なんだろう。

でもそれはもともと、というところよりも環境や経験でそうなっていることが多いと自分では思っている。・・・あ、もちろん子供の頃から無駄に元気でもありましたが(笑)。

水を得た魚的なものは、母国だからこそ、である。言葉が通じる、習慣を知っている、おいしいお店なんかに出会う喜びも知っている。お茶や美味しいごはんを共に楽しむことが人間関係の「共通項」として経験の中の大切な位置を占めていくことも。

そして密かにすごく大事に感じている、「吞みニケーション」。
アジアは酒類に対してハードルが低いと感じているけれど、アルコールの加わった、コミュニケーションに届いてないのに めっちゃ楽しい吞みニケーションは素晴らしいと思う。👽ウチュウジン吞みニケーションスキダゾ。

でも一応「母」とか「ヨメ」とかの立場もあるから出没場所・時間には気をつかう。昔みたいにいつでも飲み歩くわけにはいかない。

だけど好きなのだ。なので、チャンスがあったら出来るだけ多くの人と吞みニケーションとりたい。意味のない話をして笑って、昨日なんの話であんなに笑ったんだっけ、といいたい。キット👽ウチュウジンノナカミハJapaneseオッサンナノダ。


まぁ「吞む」というのはそんなわけで少々ハードル高い。バイタリティで乗り切れるものではない。
でも私のバイタリティは「会いたい人に会いに行く」に向けられれば上等。

大阪に来た翌日はたまたま大阪にいらしてたAzusa Sugaさんとお喋り(そして2件目は立ち飲み屋w)、翌日はなんとありがたいことに嶋津さんご夫妻とステキなコーヒー店で4時間ちかく喋り倒し、そして今日はみ・カミーノさんと美味しいごはんと甘味で5時間喋り倒し笑い転げた(コロナ禍あけに世の中に嫌われそうなことだが)。

ウチュウジンは明日も誰かに会いたいなぁ、と思いながら布団にもぐり込んでおります。



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