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車を変えた。で、思う事。(2)

テスラの車をみてオドロクのは、シンプルさ。
もうここから車ではない、と思う。下手するとオモチャ?と思う。

ギアはある。
方向指示も普通の車と一緒。

でも殆どのことは、フロントシートの真ん中にあるこのタッチスクリーンに表示され、かつここでコントロールする。


そう、タッチスクリーンのラップトップを車に持ち込んで、ぽんぽん、と僅かな必要操作をすると乗り物が動き出す、そんなかんじ。


だから最初は戸惑う。
これまでずっと乗ってたガス車とは全くちがうから。
同じところは沢山あるけど違うのだ。

でもそのうち、この「less(より少ない)」が十分だと気付く。
よい工業デザインはシンプルになるものだと聞いたコトがあるが、まさに。

だって、これは「自動車」じゃない。違う乗り物だから。
比べること自体まちがってると思う。アナタは電動自転車とバイクを当たり前の様に比べますか?比べないよね、最初からその乗り物の「使用用途」や「性質」が違うんだから。
テスラはもうそんな感じなの。


こうなると、「自動車や移動のための乗り物って、なんだっけ」と根本的なものを考え出す(これがエネルギーのことをかんがえ始める大元になるんだと思うけれど)。
私に取っては・・・移動範囲がひろがること、自分の1日の可能性が広がること、気持ち良く移動できること、移動時間がたのしいこと、なんかが 移動のための乗り物に求めることなんだなぁ、とわかった。
ぶっとばしたい、とか、カッコイイ車に乗ってる自分を自画自賛したい、が無いとはいわないけど、もうオバサンにはそのへんはあまり意味を感じられないのだ。(大体、むちゃくちゃなスピードはきらい。ジェットコースターなんて大嫌い)

機械のヘルプで今まで出来なかったことがスムーズになる。これは文明の恩恵だよね。でもその機械の見た目・操作のシンプルさが増せば増すほど、その恩恵を受けた先に自分が何を欲してたっけ?みたいな哲学的ともいえる問いが生まれてくる。


今は オットの乗っていたスポーツセダン車を私が主に使っている。よく走る車なのでこれも楽しいが、ときどき「ここにあるメーターやボタンを使い切ってない私に取って、この車の全ての装備は必要だろうか?」と思うことがある。いや、前にも書いたように「使用目的」自体が違うものだから比べること自体間違ってるんだけどね。ただ、今の私はその車のできることの2割も使ってないかもなぁ、ってぼんやり思うんだよ。実際、なんのために使うのかよく分かってないボタンもいくつかある。


テスラ3のタッチスクリーン、慣れるまでは戸惑いも多い。よく路肩に停めて、「あれ?あれ?」といいながらどのアイコンのどの部分に必要なものがあったっけ?と首を傾げていた。
だけど3日もすると、それぞれのアイコンというかフォルダというか、そこに分かり易く配列されてるのだなぁとわかり、かつ慣れる。今までとは違う会社の新しいコンピューターに慣れるまでの時間、ってかんじ。


「コンピューターゲームみたいに、画面上で指示を入力したらゲーム機が動くようなかんじで車が動く」だなんて、いや、ありえないでしょ、と数年前の私だったら笑ったかも。
でも人間の想像力・創造力ってすごいよね。いままでありえなかったものって、「結構十分だし使いやすいじゃん」っておもえるものを産み出す。


たかだか、車を変えただけなのに、車をたいして知らない私でさえどんなに「固定観念」にしばられていたかを痛感する(そして残念ながらココまでのインパクトは、他の電気自動車にはなかった)。


日本ではテスラはかなり高い車らしい。いや、アメリカでも安かないけどな。それでもモデル3は大分手が届きやすくなった。日本の交通事情ならシングルエンジン(バッテリーが1つだけでRWD、最大走行距離が260マイル=416km)のでも十分かもしれない。我が家は雪国だと言うことと最大走行距離をもう少し欲しいと思ったのでデュアルエンジン・AWD(最大走行距離310マイル=約500km)にしたけど、それはちょっと「長めの距離」が平気で6時間運転とかになるから。日本はそこまでじゃないでしょ。

テスラのモデルSとかモデルX(SUVタイプ)とかは 基本でもかなり高い(カイエンとか買えちゃう)から、それよりはずっといいかな。


何が言いたかったかっていうと、結構mind blowingマインドブロウイングな体験をし続けられるとしたら、手に入れてみるのも悪くない車(not a car but a viecle)じゃないかなぁとおもうよ、って事です。



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