〈書きかけ放置復活2〉チャレンジするひと

これは一年ほど前にほぼほぼ出来てたけど、何故か下書きだった。
Jちゃん・・・おっと、本名に直してって言われたんだ、じょんちゃんにOKをもらったんで公開しようとおもう。
結論をどこにもって行く気だったかがどうしても思い出せない。
だけど、こんな風に人生にチャレンジするひとがいる、あなたも自分のやり方でやればいい、っていうメッセージをただ送りたかったんだと思うので、そのまま出すことにした。

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じょんちゃんはまだまだ若い。
しっかり聞いたことないけど、30歳になるかならないか、じゃないだろうか。

初めて会ったのは(と言っても私はアメリカなので、大抵の方はオンラインでビデオチャットとかになる)私のサービスのひとつだったアドバイス系のセッションだった。どこかで私を知ってくれたらしい。つながった瞬間にビデオチャット画面がぱぁっと明るくなるような、そんな笑顔をしていた。元気いっぱい、そんな言葉が似合う女の子だった。

いわゆる一流大学を出ている。そのまま「好きな科目」を教える先生をしていたという。でも私が出会ったときのじょんちゃんは教職を離れ「士業」につくための試験勉強をしていた。セッションの時は どうしてその仕事をしたいのか、聞いたか聞いてないか覚えていない。というか聞かなかったんだろうと思う。彼女の近未来像にそれを楽しむ彼女は見えなかった。というより、その仕事じゃない気がした。そういうとき私は 直接本人から聞かれない限りそちらに話をふらない。だって彼女が選択するなかで出てきたモノが その目標に掲げたもので、そこから現実にまで引き寄せてくるかどうかはこれも彼女自身の選択にかかってるし、更に言えば「試験の結果」ほどヒトによっては「あちら(守護霊さんとか時に神様とか)」の軌道修正がはいるものはないから。

結果から言えば、その年の試験はダメだったようだ(ココだけの話、あちらからの軌道修正、と私は受け止めたけど)。しばらく元気を無くしていたが じょんちゃんは大きな方向転換を決めた。方向転換どころか、国を飛び出して行ってしまった。それまでにつくった貯金と、家族からの援助を得て。ワーキングホリデー、というシステムを使ってね。


じょんちゃんの持ち前の明るさ、元気さ、SNS上に出してくる自分の写真は見るヒトを元気にする。が、時にそれを「easy going」とか「なんでも気楽に上手く行ってる」とか、勘違いするヒトもいるらしい。先日珍しく ちょっと強い語調で 私だって苦しんできてるんだ、みたいなことをJちゃんが書いていた。うん、わかるよ。とってもよくわかる。


チャレンジしているひとを見つけよう、その人達のことを書こうと思ったとき、じょんちゃんがぽん、とアタマに浮かんだ。多分 その他のヒトのことばにちょっと傷ついている彼女の言葉を見たから、というのもあるかもしれない。

でもそれ以上に じょんちゃんの頑張りに私自身勇気づけられたり発破をかけられたりしているからだと思う。時々しか話さないが、彼女のことは私は比較的よく知っているほうだろう。最近やっているお金塾、という「じぶんにとっての豊かさ」を探す講座の中で、受講している彼女の変化はもの凄いものがある。講座内容ももちろんアマちゃんなことを伝えてないつもりだが、それよりご本人の意識の変化や突き詰め方がすごい。あ、連続で受けてくれているヒトたちみんな、驚くほど変化しているんだが、彼女は私がやってきた10年以上の歩みをこの4ヵ月ほどの間に成している。


・・・だけど、その理由は私はなんとなくわかる。今のじょんちゃんは、小さい頃から「世の中はこういうもの」という、周りから差し出される上着やシャツをただうけいれて身にまとってきたのだろう。彼女のチャレンジは結局それを全部脱ぎ捨てる、というところだ。

「慣れ親しんだ」もしくは「凝り固まった」考え方を刷新するのに一番手っ取り早いのは「住環境を変える」ことだと私はおもっている。そして彼女はそれを選んだ。持ち前の人生に対する嗅覚かもしれない。あるいはずっと仕舞い込んでいた「ほんとはやりたい」ことの実現を想いだしたのかもしれない。


じょんちゃんはいつもの場所から飛び出した。国まで飛び出してしまった。「士業」のことはいつかもどってくる夢なのかもしれないけれど、なんにしても彼女は「今」を選んだ。その大きな変化を越えるために 家族との絆もまさに「鍛えて」から出かけていった。それらはどれも、もの凄い「自分の人生に対してのチャレンジ」だっただろうと思う。


以前「イタイ、もと高学歴女性」みたいな記事を読んだことがある(一応私もそれに入るのかな)。その記事は特に女性たちを揶揄してはいなかったと思うが 正直なところまぁ、何とでも言え、と思った。社会の中で敷かれたレールから自分で外れてみるのは 当に「言うは易く行うは難し」なのだ。社会にうけいられているレール上で立ち止まること自体 その社会の中で生きて行くオトナとして大きな挑戦なのだ。その本当の意味でのチャレンジがいかなるものか、どういうプレッシャーの中で「自分を大事にする」をやっていくか、一歩間違えれば簡単に「我が儘・世間知らず・勘違い」と呼ばれる世界に入ってしまうことを、他人との距離を測りながら一歩一歩大事に進むのは本当に簡単なことではない。

じょんちゃんはワーキングホリデーの毎日を 多分今までの数倍の濃さで過ごしている(ようにみえる)。「濃い時間」を過ごすということは なんでも上手く行っているということではない。他人との接点を多く持ち他人を巻き込んだ共有時間をもつことで濃度を上げているのだから、摩擦も大きくなるし『ツライ』と表現も出来よう。

だけど彼女はそうしない。軽やかに笑いで覆っていく。
流してしまうこともしない。積み上げられた苦しいことも大変な事も、結果として彼女の笑顔のための足台となることを、意識に上らないところで知っているから。

かっこいいなぁ、じょんちゃんは。




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tomoko

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