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ススメ、ススメ、 ただ ススメ

田舎の夜の道は車通りが殆どない。まして国道はできるだけ避けて設けられたルートだ。生徒たちのぼそぼそ話す声とざっ、ざっざざっという足音が響いていく。大勢の足音が結構な音を立てるものだということをこの行事で知った。
夜中にも関わらず1000人の生徒たちが3kmほどにわたる列を成し黙々と歩いているのは壮観だ。でも知らない人が見たら、暗がりを白装束(言い方w)の群れが移動してるって、ちょっと不気味かもしれない。
場所によっては月明かりくらいしかない。懐中電灯は それで遊ぶのももう飽きたから、この時間になればただじっと足許を照らすだけだ。

制服はもちろん、規則のほとんどない学校だった。唯一の決まりが「体操服は白いジャージのみ可」なのは明らかにこの行事のためだろう。
ただ70kmを歩く。3年間で3コース、修学旅行はないが歩く会はある。

とうに日付は変わっている。気温はどんどん下がってくる。

少し前の小休止のときも既に雑談は殆ど無かった。潰れそうになったマメの上に新しい絆創膏を貼る。よれて半分剥がれた絆創膏を交換する。道端に座り込んで足を伸ばすなんて、しかもそれにためらいが微塵もないなんて、18歳の女子高生としてどうかと思うかもしれない。でも地面が濡れたりしていなければどこでも座る。電柱の下は犬の散歩コースの可能性があるから、たいていの人は避ける。
休憩終了、の声が実行委員たちから告げられると、石のようになった足を引き上げ、また立ち上がる。お決まりの文句を言う声ももう独り言程度。

道が続くから歩く。ただ歩く。

ゴールは見えないけれどゴールがあることは知っている。

どうして歩かなければいけないのか。
そんなことを考えるのは愚問だ。というか、どうでもよくなる。
歩く。前の人が歩くから歩く。後ろのひとが追いついてくるから歩く。


大休止の、仮眠をとれる中学校まではあと30分もかからないはずだ。先頭の1年生たちはもう到着しているかな。
朦朧としてくる意識をどうでもいい会話で繋ぎ止める。最近覚えた公式とか日本史の年代、果てはしりとり歌合戦とかをしながら、なんとか意識と気力を保とうとする。たいして面白くない答えにそれが聞こえた集団だけで笑う。罰ゲームもないから突然途切れる。しばらくすると誰かが思い出して再開する。もう誰も何も、たいして考えられていない証拠だ。

10月だというのに、アスファルトの間や歩道脇には 雑草がまだ夏の勢いを忘れられず繁っている。気をつけていないと特にこの時間帯はこいつらに足を取られかねない。疲れがピークを越えてくると靴底に感じる異物への反応が鈍くなるからだ。こんなところで捻挫なんてしていたら、大休止あとの自由歩行20kmまでとても持たない。

毎年午後10時以降がツライ。このまま座り込んで救護バスに拾われてしまうという選択肢はある。でもそれは悔しい。完歩、他人には殆ど意味を成さないその言葉が、学生の間では「せめてそれだけは手にしたい」ものになっている。

右、左、右、左、右、左・・・ 前へ前へと投げ出されるランニングシューズのつま先を見ながら、意味もなく右、左と頭のなかで繰り返す。飽きると、数を数え出す。すぐ忘れる。また右、左が始まる。

「大休止、まーだか、大休止、まーだか、大休止、まーだか・・・」

私の隣で仲良しのYがぶつぶつ言っている。可愛い子だろうがなんだろうが“そうなる”時間だ。気持ちは、わかる。

道の曲がり角には反射板付きの上着を着た実行委員が立つ。誘導灯を振りながら生徒の列に声をかける彼らの声がかすれ気味だ。疲れ切って曖昧な笑顔を貼り付け惰性で腕を振り子運動させている人もいる。



「・・・ね、なんか人の声が聞こえてきたね」

同じクラスのひとりが言う。
真夜中の田舎町は、私達の足音と虫の声と時々通る車の音くらいしかしない。足は休めず少し耳を澄ますと、確かにどこからかざわざわ、と耳に届く声がある。列になった生徒たちからではない。どこかの定点からまとまった人数の声が夜の湿った空気に乗って届いてくる。少し向こうの夜空に、光がぼわっと膨らんでいる。

「着いたかな?」
「もう着くね!」

皆の足が自然と速くなる。しばらく進み次の道の角を曲がると、少し先に煌々とライトのつけられた町の中学校の校舎が見える。校舎の中にも電気が付いていて、暗い中をずっと歩いてきた私達はまぶしさに目を細めた。
団体歩行の終了だ。

「男子は体育館でーす。女子は、校舎の教室ですので、指示に従ってくださーい」
「校舎の入り口に割り振り、かいてありまーす」
「男子はこっちーーーー」・・・

実行委員はここでも生徒の誘導に走る。クラスの女子で固まって移動しながら「ありがとうねー」と彼らに声をかけ、早速確認した仮眠を取れる部屋へ行く。

仮眠、といっても学校の床になにかがあるわけではない。固い床の上に、バックパックを枕にして寝るだけだ。さすがに3年目になると、大抵の子は新聞紙を一束持ってきていて、床の上、身体の上にと布団代わりに拡げる。薄っぺらな新聞紙がかなり保温してくれる、という智慧は誰がくれたんだっけ。



もう2時になっちゃうよ、早く寝よう。
・・・コンタクト外してない!
起きるの何時だっけ。
スタート、5時半とかじゃない?
目覚まし、かけた?私かけたけど、起きなかったら起こしてねー


そんな話がぼそぼそと聞こえ、徐々にその声も疎らとなり、やがて規則的な呼吸の音だけになる。電気がつけっぱなしだ。もう起き上がってスイッチまでいく気力も体力もないよ・・・・ 誰かがため息をつきながら電気を消した。

固い床の上でも、身体を横たえることができるこの教室は天国みたいだ。暖房もうっすら入っている。さすが天下の東海村。フツウの公立には暖房なんて入らない。周りからすぅ、すぅという寝息が聞こえ始めた。
私も寝たいのに、足の先から背中が、身体が、どろどろと溶けて床を突き抜け闇に沈み込むかのようなのに、頭の芯は冷えてしんと冴え、周りの音を鮮やかに聞きながらじんじんしている。


起床時間のこと、ごつごつと痛みを感じる背中、田んぼの中の道、言葉少なになった夕暮れの海・・・・ じんじんする頭の芯のまわりで、考えなければいけないことや今日見てきた景色、さっきまで避けながら歩いた雑草の形、しりとりのとき出た言葉、そんなものが渦を巻く。

ぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる・・・じんじん、じんじん・・・

寝ないと明日もたないんだよ。


じんじんじん・・・ぐるぐるぐる・・・



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突然 高校の行事を思い出しました。本当に突然。何だろう。
残念ながらドキドキすることや青春!みたいなことは行事の中に「なさ過ぎ」て何も書けないのですが、あるいは逆にいろいろ覚えていることが濃過ぎる。
ただ歩くこと。そこに感情って殆どついて来ていませんでした。

なのに歩くだけの行事に思い出すものは沢山あります。

去年は被害の大きかった台風のあとの残念な大雨で中止になったと聞きました。今年はどうなんだろう。567騒ぎ、落ち着いて決行できるといいなぁと願っています。歩く本人たちはなくなった方がいい、とか思ってるのかもしれないけれど。
でもね、歩くだけ、ただそれだけなのに忘れられない。ただそれだけなのに人生の縮図みたいだった。すごく大事だった時間。これってオトナになっても印象が変わらない。

だから負けないでやってほしい。

・・・で終わりにしようと思っていたら、実家を守ってくれている姉から「とっとく?」と写真が届いた。高校の合格通知書。そんなものあったとは知らなかったわ(残っている、という意味ではなく、存在している、という意味で)。合格は各学校に張り出されるものと、地域新聞に発表される名前で確認するものだと思っていた。
とりあえず保管をお願いしたけれど、なんというタイミングだろう。

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高校時代のこと、なんだか芋蔓式に思い出しそうです。
(え、昭和!?って指を折って数えているひとが何人くらいいるんだろう、って考えると可笑しいな。私にはみずみずしい思い出なんだけどね。トシをとってもその切り取られた瞬間って変わらないね。)





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