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不安定な未来

白く鋭い、圧倒的な力を持った陽射しが、コンクリートの打ちっぱなしに反射して、彼の青白く痩けた頬を打ちのめす。
彼は一瞬ぐらりと傾き、歩みを止めたが、再び体制を建て直すと、白く輝く灼熱の地へと一歩足を踏み出した。

暑い。
頭がくらくらする。

彼が先程までいた屋上に通じる暗い踊り場の階段も、のっぺりとした熱気が重く充満して大層息苦しかったが、ここはまた別格だった。

13階の屋上という開けた空間のはずなのに、爽快感は全くない。
容赦なく照りつける無慈悲な陽射しのせいなのか、威嚇するようにそびえ立つ周囲のタワーマンションのせいなのか。

彼はよろよろと歩を進めるとようやく屋上の端まで辿り着いた。
そして、しばらく逡巡するように足元をみていたが、ふと、何かが聞こえたような気がして、おもむろに後ろを振り返った。
軽く首を傾け、何かを探すかのようにチラチラと目を游がせる。

どこからか、吹いてもいない風の音に混じって、彼を呼ぶ小さな声がこだましていた。

彼はその声にしばらく耳を傾けていたが、やがて顔をひきつらせ、ぎゅっと目を瞑ると、再び前に向き直り、また一歩足を踏み出した。

虚空を見つめ、許してくれと小さく唇を動かす。

そしてぐらりと、重苦しい大気に押し出されるように、聞き分けのない陽の反射に足を掬われるように、ビルの谷間に落ちていった。


くそ。失敗だ。
N氏は唇を歪めるとチッと声に出して罵った。
また死にやがった。

N氏が時間管制官として勤務を始めて20年、彼を担当するようになってそろそろ一年が経とうとしていた。

本当に手強いな。
前人者から話は聞いていたが、これはなかなかの難門だ。
娘の懸命の説得すら彼を押しとどめることは出来ないのか。

彼の人生は全て調べがついている。彼の生い立ち、趣味嗜好、果ては彼が小学生の頃に書いた恥ずかしい日記の内容まで、全ての資料は揃っている。

N氏は彼に死を思いとどまらせるため、これまで散々な試みをしてきた。
彼の両親や妻や娘、親しい友人の写真、思いれの強い品を置いてみたが全て無駄。
しまいにはあまたの美女たちのホログラフィーまで試してみたが、どうやら天女のお迎えが来たらしいとばかりに、微笑みすら浮かべてこの屋上から落ちていくのだ。

しかし今回はかなり自信があった。
彼の娘の音声を完璧に再現したし、娘の人格を忠実に再現したAIによる完璧なシナリオで呼びかけた。

かなりの自信作だったのに。
N氏は再びチッと舌打ちすると、手元のグラスに口をつける。
軽くのどを潤すと、再び彼の資料を目の前のモニターに映し出した。

彼の名前はY・イソザキ。
こう見えて天才的な科学者だ。彼はこれから10年後画期的な発明をする。タイムマシンだ。

まあ、厳密にはタイムマシンといえるかどうかわからない。人がそのタイムマシンに乗って過去や未来に行けるわけではないからだ。

しかし、過去や未来のある時点の情報を、映像という形で見ることは出来る。
彼は自身の発明したタイムマシンを使って、未来の地球を検索した。
そして数年後、小さな隕石が地球に激突して、そのせいで地球環境が激変、環境の変化に適応できなくなってしまった人類は、徐々に滅亡への道を歩み始めるということを知ったのだ。

当然世界は大騒ぎ。もちろん大きな隕石なら、普段から宇宙をパトロールしている天文学者たちが事前に発見して、地球にぶつかる以前に衛星で吹き飛ばしてしまっただろう。

ところが、この衛星は天文学者たちに見つかるにはちょうどいい塩梅に小さく、発見の目をかいくぐってしまうのだ。

しかし、人類は生き残った。
Y・イソザキの発明したタイムマシンのおかげで、隕石の正確な軌道を知ることが出来た人類は、地球に衝突する前に無事その隕石を吹き飛ばすことが出来たのだから。

しかし、その結果ちょっと困ったことがおこってしまった。

本来なら滅んでしまっているはずの人類が生き残っている、そんな現在を修正しようとする力でも働くのか、人類の存在が不安定になり始めたのだ。

隕石のせいで本来死ぬべき人たちが、突然消え始めて、N氏も所属する時間管理委員会が慌てて組織された。

もちろんその役割は、本来あるべき時間の流れを守り、他から干渉させないことだ。しかし、人類の存亡に関わることは話が別である。

我々は、彼、Y・イソザキがタイムマシンを発明して、隕石の衝突という危機から人類が生き延びるという現在を導かなくてはならない。
今では技術が進んで、音や映像や、ちょっとした小物くらいなら送れるようになったタイムマシンを使って。

N氏は再び手元のグラスに口をつけると、どうしたものかと思案を始めた。

いっそこいつをさらっちまって、二度と自殺しないようにどこかに閉じ込めておこうか。
いやいや、それはできない。
そんなことをしたらこいつはタイムマシンを発明しないだろう。

そもそも簡単に屋上に出られるのが悪いんだから、いっそこのビルを吹き飛ばしてやろうか。
いやいや、そんな過激なことは出来ない。大きく過去を変えるわけにはいかないのだ。あくまで夢幻、目の錯覚、気のせいだったと、彼が思えるようなところ、ギリギリのラインで止めておかなくては、俺たちのいる未来は存在しないことになってしまう。

N氏はふと思いついて立ち上がると、タイムマシン装置に近づいた。
そして、その中に白いボックスから取り出した金色の缶を押し込むと、タイムマシンのスイッチをいれた。
そして、再びモニターを調節するとその中の映像に見入った。


屋上に通じる小さな扉がゆっくりと開いて、小さな人影がふらりと現れた。ギラギラと照り付ける陽射しの中に、よろよろと歩み出る。

彼はきつく照り返す熱と光に、うつむいた顔面を炙られながらもゆっくりと屋上の端に向かって歩き続けた。

彼は自分自身ではどうしようもない、恐れと不安に苛まれていた。なぜなのか。その理由は彼自身にも良くわからなかった。

研究がなかなか進まないせいなのかもしれない。資金繰りがうまくいかないせいかもしれない。あるいは同僚とうまくやっていけないせいなのかもしれない。はたまた昨日妻や娘と諍いを起こしてしまったせいかもしれない。
思い当たる理由が多すぎてわからない。
しかし、彼には死ななくてはいけない理由が確かにあった。

彼はよろよろと歩を進めるとようやく屋上の端まで辿り着いた。
そして、しばらく逡巡するように足元をみていたが、ふと、目の端にきらりと光るものが映って、ふと屋上の右の隅に目をやった。

あれは、何だろう?

彼はゆっくりとそこに近づくと、それを手にとった。

缶・・・ビールだ。
彼は驚いて目を見張った。
しかも、キンキンに冷えている。

なぜこんなものがここにあるのか?誰かが置いていったのだろうか?
彼はしばらくそれを見つめていたが、そういえば暑くてのどが渇いていたことを思い出して、そのプルトップに手をかけた。

プシュッと爽快な音が響き渡る。

彼は一瞬たじろいで身を引いたが、おそるおそるそれに口をつけた。

ごくりと飲み下す枯れた喉に、鋭い刺激が突き刺さる。んん・・・思わず声が出る。そしてもう一口。彼ははーっと息を吐いた。
そう言えばここしばらくずうっと忙しくしていて、アルコールなど口にしたこともなかった。

久しぶりに口にした刺激がのどから鼻に抜ける。その刺激が寝不足と強い陽射しに痛めつけられた目を突き刺した。

彼は突然座り込み、缶を持ったまま足を抱え込んだ。日差しを避けて足の間にうずめた顔の、ぎゅっとつぶった瞳から、一筋、涙が流れ出る。
彼は静かに、そして、十分に長い間、肩を震わせ嗚咽した。

そういえば随分長い間泣いていなかった。
彼は顔を上げるとゆっくりと立ち上がった。
働きすぎだ。今日はもう家に帰ってゆっくりと休もう。寝酒でもやりながら。

彼はやや西に傾いた日差しを背中に受けて、ゆっくりと階下へ通じる階段の扉の向こうへ消えていった。



ブラボー。

モニターを見つめながらN氏はにっこりと微笑んだ。
良かった。
成功だ。
これで地球の危機は救われた。

とりあえず8月6日の危機は。

後は8月18日の危機と26日の危機だけだ。今月は。

全くこいつ、いったい何回死に損なったら気が済むんだ。

こいつが未来をかえたせいで、時間軸が不安定になってしまった。
以来果てしない鼬ごっこが続いている。
しかしそのお陰で自分達がいかされてるとも言える。
責任重大だ。
とはいえ今日のノルマは無事終了だ、祝杯でもあげようじゃないか。

N氏はそう声に出していうと、飲みかけていた黄金色に泡立つ液体を飲み干した。

人生には息抜きが必要だ。度々ね。

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