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吐きそうな気持ちでカミングアウトを終えたら少し違った景色も見えた|パンセクシュアルのわたしとカミングアウト

かぞく(両親)にカミングアウトをしました。
すんごく気合を入れてした、わりにあっさりとしたものでした。

ここ数日、カミングアウトを意識しはじめてから、ずっと胃のあたりが気持ち悪かったし、修羅場中とか別れ話保留中くらいの負荷が自分の胃腸にかかっていたが、そんなものは感じられないカミングアウトだったとは思います。
(偶然)父の日に、ごはんをごちそうするという話のなかで、さらっとお話しました。後重たい手紙もわたしました。

結果、特段大きな否定は受けず、
「あなたの人生なのだから好きにいきなさい」的な言葉と
「わたしが幸せでいることが一番幸せ」的なテンプレートうれしい言葉をいただいた(ふざけた表現をあえて選んでしまっているが心の底からうれしかった。帰宅したからゴリゴリに泣いた)。

取り急ぎ、今日の感覚は今日しか味わえないと思うので、記録。



■内在化されたホモフォビアを実感 …? は、結果論

ツイートにも記載したけど、「あー一番気負っていたのは自分だったんだな」と、親からポジティブな言葉をもらってから思って、めっちゃ泣きました。

でもちょっと経ってから思うと、それはうまくいったからなんですよね。
たぶん、ここで、否定されていたら、「やっぱり自分は気持ち悪い存在なんだ」とか「恥ずべき存在なんだ」とホモフォビアが強化されて終わっていた可能性も十分にあった。

結論、かぞくへのカミングアウトという大きなハードルを越えた今、
あと戦うべきは内在化されたホモフォビア、になっただけで、
かぞくから否定されていたら、身近な人のホモフォビアとも、自分のなかのホモフォビアとも戦い続けるという、そういった形になっていたわけなので、
結果的に「内在化されたホモフォビアを実感」しただけになっただけ、のように思えています。

まあよかったことには変わりはないんだけど、やっぱりカミングアウトがリスキーなもの、という構造は大きく変わりないなと、冷静になってからは思う。
そして自分のなかのホモフォビア、厄介だなあ…。


■土壌はめちゃくちゃつくっていた

しかも今回のカミングアウト、一番気負っていたのは自分だった、の裏側にはもう一つあって、まあ両親どっちとも知っていたんですよね、自分のセクシュアリティ。だから一番気負うの自分だけなのは当たり前だった。

下積みはかれこれ7.8年ほど。
大学でLGBTに関する発信をしはじめたころから徐々にかぞくにはいろんな刷り込みをしていました。
田舎で信頼度抜群なNHKのLGBT関連の番組を食事時に見る、自信が参加している団体の新聞記事を見せる、LGBT当事者の友人がいるアピール、あげく院まで進学して論文を書いていたら、さすがに私のセクシュアリティも気になるだろう、とは思っていました。

本当は聞かれたらしっかり伝えるをやりたかったのだけれどなかなか聞かれず(その方が向こうも覚悟ができていいだろうと思っていた)

母には数年前にやんわり、ゲイの友人の話をしていたときに
「でもあなたは‘‘ちがう‘んだよね?」と聞かれたので

その時に肯定しないくらいのことしかできませんでした。
とはいえ、LGBT関連のネット記事やテレビ番組があるのを見かけてはシェアしてくれたり、一緒に視聴したり、はできていたので、ALLY予備軍としてはだいぶ育てられていたとは思う。

こんなこともあって、自分の年齢的な部分もあって、言った方がいいのかなあとはいつも思っていたのかな~


■パンセクシュアルならではの難しさ

カミングアウトは、世の中的な指標がもしあるのなら、「成功」したんだと思う一方で、やっぱりパンセクシュアルならではの難しさも感じていて。
それはやはり「期待は残る」だと思う。

母は昔から孫がほしい孫がほしいと私にささやいてくる人間で(悪気がないからなおさら私の責任感とミスマッチなのだが)、特段いま、将来を想定するパートナーがいないこともあり、やはり両親は「異性と結婚する可能性もある」というところは、希望として残っているのではないか、という不安があります。

まあでもこれも思いこみかもしれない。まだよくわからない。

ただわかっていることは、私がシスヘテロ男性のパートナーを選ぼうと
それ以外のパートナーを選ぼうと人生いろんな障壁は生じるし、
自分で子供をうめるか、うみたいかもまだわからないし、
どのみち選ぼうと未知数、というところ。

それはかぞくもわかっているから、未知数な部分まで勝手に心配したくないなと私は思うし、かぞくもそうなのかもしれない。


■わたしが欲しかったもの

結構昔っから私はALLYコンプレックス(と名付けている)をこじらせている部分があって、要はLGBTフレンドリーな友人や家族をうらやましい~~~!!って思っちゃう側面がある、ということなんですけど。
ちょっとそれ今回もこじらせていたな、と思いました。


カミングアウトをして改めて、誰よりも自分自身がわたしに、「良い娘役」を強いていたことに気づかされたし、その「良い娘役」にいろんな要素を組み込んでいたのもわたし自身だったんだな、と。

両親に対してプレゼントしたり、実家をちゃんと手伝ったり、そういう行動の根幹に、「いい子にならなきゃ」とかいう根っこの責任感とかしがらみがあって、さらにそのうえで「セクシュアリティによって不幸にしている」という呪いがのっかってさらにそのしがらみをどろどろとしたやっかいなものにしてしまって、勝手にしばられてしんどいよお、って泣いていたような。そんな感覚。

・なにを両親が望んでいるか
・なにならわたしが提供できるか 
ここはきちんと整理して、お互いちゃんと話せた方がいいんだろうな、と思いました。

勝手に期待されていると思いこんで(思い込まされて)、勝手に自分自身を追い込んで、それでなんにも見せないのに「理解されたい」とか、エスパーかよ、という。

当たり前だけど両親は私がいつ頃からセクシュアリティを自覚して、いつ頃からどんなしがらみを抱えていたかとか知らないんですね。
だって見せていないから。

そりゃあわからないよな、と思いましたし、同時にわたしは自分のしがらみ責任遂行にとらわれていて、両親が本当は何を望んでいるのか、言葉で聞いたことはなかったな、と思いました。

世間のよくある親孝行を遂行しなければ、という想いが強くて、本当のニーズを聞いたことってあんまりなかったな、と。

うん、なんかこれ喪女の恋愛観に近しいものがあるよね。
書いていて本当に反省している。
きらきらしたものに対して憧れていたり、そうしないと、生きられない、みたいな思い込みが自分のなかに無数にあるのだと、改めて思った。

過去ツイートでこんなことも書いていた。

TRPにかぞくや恋人と来る人が昔はめちゃくちゃ羨ましいと思っていたなあ。いつの間にやら忘れていたのは、それだけ私がいろんな人とつながれたということなんだと思う。


■これから

とはいえ、何もかもがクリアになったわけでは全くなく。
なんか、喪女卒業とか、就職とかとも近いな。なにかが大きく変わったようにみえて、いうほど変わっていないというか。これからもカミングアウトのハードルは私の人生で何度も発生してくるし、そのたびに私は悩むんだと思います。

自分の中のホモフォビアはそう簡単になくならないから、これからもきっと、こわい、という気持ちはなくならないんだと思う。

それでも何度かそういう想いを繰り返して、だんだん、怖い言葉を返されても倒れない、土壌をどんどん踏み固めていくしかないんだろうな、とは思います。
今後もフルオープンでは生きていかないし、いけないし。

顔色をうかがいながら、言いたいなと思った相手にお伝えする、そうやっていきていくんだろうと思います。
今後も悩み続けることとかくそだるいな、という気持ちしかないけど、それでも悩まないでカミングアウトをできるほどホモフォビアがなくなることもないだろうし、しんどいけどこれからも脳みそぐるぐるまわして生きていくんだろうなと思っています。

そもそもいまパートナーいないけどパートナーによって生じてくる問題は変わってくるし、必要なカミングアウトも変わってくるしね。エンドレスだね。



■カミングアウトを悩む人へ

なんかいま自分が一番恐れているのが、かぞくに伝えて、それが悲惨な結果だったことで、クローゼットの中にいるひとから勝手に「遠くに行った人」に思われてしまうことなんですよね。

これもまた喪女ににていて。
彼氏がいる、とか、セックスをしたことがある、とか、クリアした人間からは大したことじゃないんだけど、そこにコンプレックスを抱えている人間から見ると天と地ほどの差があるように見える。し、私は実際そう見えていました。近くにいろんなものオープンで活動している友人も多かったから、なおさら。

自分の場合は、「隠せる」セクシュアリティでもあったし、すごくいろんなタイミングが奇跡的に重なって今回えいやと気合をいれてカミングアウトをしたけれど、やっぱり自分がしたいと思ったときにしたらいいと思う、し、したくないならしない方がいいと思う

今回のカミングアウトはすごく悩んだし、前日もいろんな人にたくさんお話してその時点で泣いて、悩んで、結果的に言おうとその場で思えたから言いました。
でもそうじゃなかったら全然言わなかったし言えなかったと思います。

とはいえ、した後の人間の言葉なんてできていない人間からするとふーんて感じなんだろうなとは思うんだけどね。
でも、やっぱりなによりカミングアウトは健康第一で、相手からどんな言葉が飛び出すかは本当にわからないから、少しくらい攻撃されても平気な装備を用意できてからしたほうが、いいんだろうな、とは思いました。

まあのんびり悩める状態にいなかったり、生きるためにカミングアウトが必要な場面はもちろんあると思うけど、誰にも相談しないで決めるのはたぶんすごく視野が狭まってたり認知がゆがんでたりすることがあると思うので、行政でも各種ピア団体でもいいからどこかの誰かと一度お話ができるといいかもしれないです。それくらいしか言えないや。

ただ前日(これはまた後日書きたいけど)、「あなたは好きに生きていい」と言ってくれた方と、ハグしてくれた方と、それより前からわたしの答えのない「どうしよう」を聞き流してくれた人は私にとってはすごく重要だったので、もし悩んでいる人がここにたどり着いてしまったなら、あなたも誰かと一度お話できるといいですね、とお伝えしたい。

し、カミングアウトをしようとしまいとあなたは素敵なひとりの人間で、誰になんと言われようとそれはゆるがないです、とお伝えしたい。かな。

自分で自分には、なかなか思えないと思うから。人にいってもらうことはとても大切。


とはいえ、結局はLGBTQの人間ばかりがカミングアウトをしなければならず、それにこれだけ悩んで悶々とした時間をすごさざるを得ない構造が一番よろしくないとは常に思っているわけで。

これからも私はそれを少しでもぶち壊せるよう、少なくとも私の近くにいる人には、せめて私に対しては悩まず必要になったらカミングアウトをできる環境をつくっていくことから、していきたいなあと思います。

にしても今日は疲れた。
今日までつかれた。


いつか大切なひとと、この記事を読み返して過去のことにできる日がきますように。と思いつつ、明日からもお仕事がんばります。





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