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人は必要なときに、必要な人に出会う。

「人は必要なときに、必要な人に出会う」
2017年2月に乃木坂46を卒業した元アイドル、橋本奈々未が述べた言葉だ。

きっと彼女もどこかで誰かから受け継いだ言葉なんだと思うけれど、私にとっては彼女からの言葉だった。そして、私にとっては、まるで鈍器で殴られたかのように、衝撃的な言葉だった。

――といっても、私が彼女を知ったのは、彼女が卒業してから約2年後。
ずっと彼女を応援していたファンの皆様からしてみれば、何を今さら、とか、ファンと名乗る資格なんてない、と思う人も、いるかもしれない。でも、彼女を知ったその日から、私にとっての「最高のアイドル」は、橋本奈々未になった。

彼女が今はどこで、何をしているのかも分からない。
彼女の誕生日であり、卒業コンサートの日でもある2月20日になると、ツイッターにはいまだに「 #橋本奈々未生誕祭 」のタグが出回る。「ななみんが心穏やかに、どこかで幸せに生きていますように」という優しいメッセージとともに、タイムラインが彼女の懐かしい写真で埋まる。そして、7月3日は「 #奈々未の日 」。この日にも、ファンは彼女に想いを馳せる。「芸能界は自分には向いていない」と話していた彼女が、お金の心配をすることなく、何かに追われることなく、毎日を楽しく生きていることを願う。

彼女は一部では「伝説のアイドル」と呼ばれている。
貧しい暮らしを送っていた橋本奈々未は、おにぎり1個の生活から「ロケ弁が食べられる」という理由でアイドルになった。弟の学費を稼いで、家族に裕福な暮らしをさせてあげたい。そうして、乃木坂46の中でも人気メンバーとして活躍していた。
でも「もうお金の心配が要らないから」という理由で、人気絶頂のタイミングで彼女は乃木坂46をやめた。そしてそのまま、芸能界からも姿を消した。

人気のあるアイドルは、グループを辞めたとしてもソロで活動するか、そこで培った人脈やコネを活かした活動をすることが多い。でも、彼女はそれをしなかった。ファンたちにすっぱりと別れを告げ、手を振り、舞台から降りていった。よくありがちな「その後すぐに結婚報道」というようなこともない。もちろん、心無いマスコミがちょっと怪しい話を週刊誌などに載せたことはあるが、真偽のほどもわからない「デマ」と切り捨てられるような話ばかりだった。

彼女――橋本奈々未と出逢ったとき。
私はちょうど、バカみたいな恋をしていた。今思い返せば滑稽だったけれど、その時は彼のことを本気で好きで、彼がくれる言葉が私のすべてだった。

つらいときは真っ先に駆け寄ってきて、笑顔にしてくれる。一緒に未来を描こう、これからは毎日笑顔にするから、と、私に寄り添ってくれる人だった。でも、その人には婚約者がいて、きちんと別れていなかったことを、随分と後から知らされた。私は彼女にとって「大事な婚約者を奪う最低な奴」になり、裁判沙汰に。私のSNSも特定・監視され、どうしてこうなった、と頭を抱えた。

二人一緒に居る先に、彼との「幸せ」なんてものがないのに気づいても、一緒にいた時間を切り捨てて前に進むには、彼の隣は居心地が良すぎた。

婚約者がいると知らされたあと、「私の誕生日だけは、一緒に過ごしてほしい」という私の願いに、彼は「もちろん。予定を考えておくね」と答えてくれた。だから、この誕生日で、すべて終わりにしようと決めていた。

でも、誕生日になっても、彼からは何の連絡もない。LINEをしても、何の返信もないまま。電話をしてもコールが鳴るだけ。

午後になってようやく「ごめん、今日は会えない」とだけメッセージが来た。そこには「誕生日おめでとう」の、ひとこともない。なんだか自分が滑稽で、みじめで。涙すら出なかった。

そのまま一人で、都内の有名な縁切り神社に足を運んだけれど、どうしても彼との縁切りを願えなくて。神社の境内をぐるりと回ったあと、近くのカラオケ屋に一人で入った。フロントで身分証明書を見せたら「おめでとうございます」と店員に言われた。その日一番最初にもらったおめでとうの言葉が、その店員からだった。

部屋に入り、ぼんやりとデンモクを眺めていたら「乃木坂46」の文字が目に入った。彼は、乃木坂46が大好きだった。私も彼に勧められて、乃木坂のバラエティを一緒に見たり、ライブを観たりしていたから、知っている曲もちらほらとある。そのなかで目に付いたのが「本人映像 サヨナラの意味」という楽曲。彼が「この曲がいい」って話していたような気がして、私はその曲を入れた。

ちょうどそのタイミングで店員さんが、注文していたホットウーロン茶を持って入ってきた。テーブルにホットウーロン茶を置くと、店員さんはテーブルにケーキのプレートを置き「誕生日当日の特典です」と告げ、去っていった。

部屋にひとり残された私と、誕生日のケーキプレート。
モニタに映し出されたのは、橋本奈々未の卒業コンサートの映像だった。
サヨナラの意味は、彼女が引退前に最後にセンターで歌った曲だ。

「サヨナラに強くなれ この出会いに意味がある」
「サヨナラを振り向くな 追いかけてもしょうがない」
「思い出は今いる場所に 置いていこうよ」


ファンはみんな、泣きながらサイリウムを振っていた。
泣きすぎて振れなくなっている人すらいたくらいだ。
この場所に彼女との思い出を置いて、彼らは彼女のいない乃木坂46を見つめていくことになるのだろう。

「サヨナラは通過点 これからだって何度もある
 後ろ手でピースしながら歩きだせるだろう 君らしく」


そこで、橋本奈々未の背中が映る。
彼女は後ろ手でピースしながら、遠ざかる。
ああ、これから先にきっと、彼女らしい未来があるんだろう。
私はその姿を見ながら、ぼろぼろと泣いた。

「君が好きだけど、ちゃんと言わなくちゃいけない」という歌詞に
この恋を自分で終わらせなといけないと、思った自分がいたこと。
サヨナラを恐れずに、後ろ手でピースしながら歩いていく彼女が
とてもかっこよくて、そして、美しかったこと。

涙は後から後からとめどなく流れてきて、止まらなかった。
でも、ひとしきり泣いた後は、不思議と少しだけ心が軽かった。

私はその足で「自分への誕生日プレゼント」として、橋本奈々未の卒業コンサートのBlu-rayを買いに行った。そのコンサート内のMCで「人は必要なときに、必要な人に出会う」という言葉を知った。

引退してしまってから月日は経ってしまったけれど、私が橋本奈々未というアイドルに出会って、彼女の姿に心惹かれて、こんな風に生きたいと思えたことは、必要な出会いだった。別れにしがみつかずに、悲しみも苦しみも飲み込んで、後ろ手でピースして去っていく。その背中にあこがれた。

それから私は、橋本奈々未の残した映像や歌声、バラエティでの彼女の姿など、彼女が去った後も残っているものを必死でかき集めて探した。映像は何度も見たし、MVだって何度も巻き戻して彼女の姿を見つめた。どの瞬間の彼女も、きれいだったし、可愛かった。

正直、彼女が100%「万人に愛される絵にかいたようなアイドル」だったか?と聞かれれば、そうは思わない。でも、私にとっては彼女が「理想のアイドル」だ。一生懸命で、ときどきすごく不器用で。でもがむしゃらに頑張って生きている。私にとっての橋本奈々未は、そんな人だ。
本人を知らないのに、勝手に理想を押し付けているだけだろう、とは時々思う。でも、歩いてきた道を汚さずに、きれいに終わらせて去っていった彼女の生き方に、焦がれずにはいられない。

あの時の恋も、結局終わった。後ろ手でピースして笑顔で歩き去ることはできなくて、結果としてクソみたいな恋になったけれど、彼と出会って幸福な夢を見た瞬間は、私にとって必要な出会いだった。私は「あの瞬間の彼」に恋をして「あの瞬間の彼」を必要としていた。だから、振り向いて後悔だけはしないと決めている。今は別の、もっと大きな「必要な出会い」を知ったからこそ、言えるのかもしれないけれど。


――今日は、乃木坂46の伝説を築いた白石麻衣の卒業コンサートだ。
白石麻衣が卒業前に上げた歌唱動画で、2分20秒(橋本奈々未の誕生日・2月20日にちなんでいるのだろう)のところでサヨナラの意味の衣装を着ていたことに感動して、橋本奈々未に思いを馳せていたらこんな記事を書いてしまったのだが、そろそろ仕事に戻ろうと思う。

ななみんが今日もどこかで、幸せに笑っていますように。
そして乃木坂を今日まで背負い続けてきたまいやんに、ありがとう。
まいやんセンターでサヨナラの意味やったら嗚咽して泣く。恐ろしい。

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