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葬儀



「普段はお堅い仕事をしています。」
と以前ツイートしたことがあります。
その内容は、"葬儀屋"です。


週五で葬式、週ニでグラビア。ここ暫くそのような生と死の温度差が激しいスケジュールをこなしてきました。

私は幼少期から"葬式"に対して、とても強い憧れがあります。
祖母が亡くなった時、父が亡くなった時 「葬式をする」という選択肢すらありませんでした。
祖母も父も 私たち家族以外の人間との繋がりが一切なく、亡くなったことを伝える相手すら一人も思い浮かばない程でした。

中学生の頃、遠い親戚の式に参列した私は衝撃を受けました。
集まる人間の数・美しい祭壇・沢山の花々
それは今思うと特別大きな式ではないのですが、「生きた証拠だ。」と感じたのを覚えています。

葬式というものに対して"人が死んだ時に必ず行われるもの"という認識がある方も多いと思います。
私にとってはそうではありません。人生の成功者のみに許されたイベント、勝ち組だけのお祭りです。
故人が家族を残したから、その家族が故人のために百万円以上かけてその場を設けようと考えたから、その場に人が集まったから
いくつかの要因が重なり執り行われているのです。
「終わり良ければ全て良し」という言葉があります。これを人生の終わり、と考えるのであれば それはまさに"葬式"ではないでしょうか。

自分が他界した際、葬儀をあげて欲しくないと考えている方も多いと思います。
無宗教のご家庭も増えておりますし 何より掛かる費用を考慮するとそのように思うのも仕方がないかと存じます。

ですが、私は必要不可欠だと感じています。
貴方が生きていた証拠、歴史、周りの人との繋がり、作り上げてきた物を全て一度に集約する場が「葬式」です。
「葬儀をあげられたくない」と考えるのは、愛される責任を放棄しているように聞こえるのです。

葬式は金のかかる嫌な物、というイメージを少しでも払拭して頂きたくて 現在この駄文を書き上げております。
少なくとも私は、葬式という場に身を置いて日々幸せを感じています。

どうか貴方の最期が、愛に溢れたものでありますように。



福田もか。

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