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【小説】「夫婦の絆」第四話・エピローグ

第四話「冬」


 年老いた夫の指は依然として私の喉を絞めていたが、その力は少し弱くなった。或いは、私が痛みを感じないほどに死に近づいているのだろうか? 走馬燈であろう三十秒ほどのほんの僅かな時の流れの中、私の意識は令和を彷徨っていた。

 夫は七十代になった今も、工場を廃業した際に精算したつもりだった借金の残りを、返済するために週に四回終日のバイトを続けている。私も、数年前までは近所の総菜店にパートとして務めていたのだが、年齢的にきついこともあり、夫と相談をして辞めてしまった。できるだけお金がかからないように夫婦で慎ましく暮らしている。唯一の贅沢は、夫が休みの日に近くの汽水湖で釣ってくるウナギを蒲焼きにして食べることだ。 
 ウナギに限らず、刺身にできるような魚も釣ってくる。時には釣りに付いて行くこともあり、夫婦二人の楽しみとなっている。


「釣りに行って来るよ。黒鯛を釣って帰る予定だから」
「あなた、楽しみにしてるわね」
「包丁とまな板さえ用意してくれたら、僕が刺身にするから」
「ありがとう。釣れたての魚は何よりもおいしいわよね」
 夫は、はりきって早朝から出掛けて行った。夕食の準備は、夫が釣って来た魚を捌いてくれるため、お米だけ炊いておけば良い。私たち夫婦は、義父母が亡くなり、工場が倒産の危機にあったあの頃から少しずつ会話が増え、夫婦仲が改善されてきた。この年齢で、時には同じ夜を過ごすこともある。もしもあの時、工場倒産の危機がなかったら、きっと離婚の道を辿っていただろう。若い頃にはしてこなかったことを、この年齢になってから楽しんでいる。

 ところが工場倒産の危機は免れたものの、その後廃業を経て、今尚、借金が数百万円残っているというのは皮肉なものである。だが、その返済のために私たち夫婦はより絆が強まっているのだとも言える。
 夫が現役で仕事をしていた頃には、自分の時間はほとんどなく趣味のない人だった。だが工場を畳んでから始めた釣りにはまっていて、時間帯や仕掛けや、場所を様々に変えながら目星を付けて出掛けて行く。汽水湖は様々な魚が生息しているため季節や時間帯によって、色々な魚が釣れて楽しいのらしい。太刀魚や黒鯛、そして、シーバスも釣れる。ここ数年はウナギの「浮き釣り仕掛け」の方法も覚えて、時折ボートを借りて釣りを楽しんでいる。 
 様々な魚が生息している豊かな湖だ。鮮魚店に並びそうな魚を釣果として持ち帰ることもある。

 その日、早朝の釣りから戻ると、夫は背中がひどく痛むと言ってうずくまった。けいれんが始まった。私は、急いで救急車を呼んだ。救急隊の到着を待っている間に、夫は意識を失った。

 救急治療室に到着すると、夫は意識のないままCT検査を受けた。そして医師から、話があった。動脈解離を起こしているため、緊急処置と場合によっては外科的手術が必要だと言われた。約六割の人が病院到着前に亡くなり、約二割の人は手術が成功しても亡くなるような重篤な病である。例え手術が成功し生存しても、後遺症として麻痺が残る場合があるといった「あらゆるリスク」についても説明があった。私は夫の無事を願いながら医師に手術をお任せするサインをした。

 ICUに入ると、脈拍、血圧、呼吸をモニタリングしながら薬剤が静脈に投与され、脳、心臓、腎臓への充分な血液供給が維持された。心臓に近い部分で解離していたため、医師は外科的手術を行う判断をしたのだと説明を受けた。解離した大動脈をできるだけ広範囲に切除して、大動脈の血流路を塞ぎ、人工血管で大動脈を再建するという大がかりな手術だ。必要に応じて、人工心肺装置を用いて体外循環を行い、心臓を停止させて人工血管に置き換えることもあるのだという。手術は、通常六時間程度で済むところ、夫は、止血が止まらなかったため縫い直しをしたり、輸血をしたりして十時間かかった。私は待合室で一人、静かに無事を祈っていた。

 深い麻酔をしていた夫は、手術後もずっと眠り続けた。ICUには入れないものの私は、その部屋の内窓から夫の様子を伺っていた。このまま目を覚まさないのではないかと心配された。夫に対して「こんなことをしてあげたかった」「こんな言葉を伝えたかった」など、浮かんで来るのは後悔ばかりだった。

 手術開始は午後一時だったのだが、翌日の午後九時を過ぎた頃になってようやく目を覚ました。手術時間を含め約二十時間もの間眠り続けていたことになる。ようやく五分間の面会が許された。ICUに入ると、眠りから覚めたばかりの夫の目は宙を彷徨っていて、目が合うことはなかった。呼吸用のチューブが人工呼吸器につながれていた。まだ話すことのできる状況ではなかった。だが夫の命が、明日へつながったことが確認できただけでも嬉しかった。

 待合室に戻ると、手術の担当医が説明に来てくれた。手術中に止血がうまくいかず、再縫合したことや、輸血したことなどを聞いた。
「奥さん、気を落とさずに聞いて下さい。術前にも御説明したように、大動脈解離は術後の後遺症のあるなしで生活が大きく変わってきます。今の御主人の様子を見ていますと右手や右足には動きは見られるのですが、左手や左足を動かしたりする様子がまだ見られないのです。左側に麻痺があるようです。もう少しICUで様子を見ながら、回復につながる処置をさせて頂きます。ただ、リハビリによって改善する例もありますから。また、明日の面会時間に来て頂ければその後の様子を説明させて頂きます」
「先生、ありがとうございました。あの、ICUにいる時、夫と目が合わなかったので、意識がはっきり戻るのか心配で・・・・・・」
「術後せん妄というもので、しばらくすると治りますよ」
 医師は柔らかな笑顔を浮かべた。
 今朝、出掛けて行く時には、いつもの元気な夫だったのにと思うと涙が止まらなかった。死んでしまった訳ではない。だが、ICUで見た夫の状況を理解するのにはまだ少し時間がかかりそうだった。もちろん、一番失望しているのは夫に違いない。

 翌日の面会は、まだ呼吸器を付けていた。ほとんど状況が変わらないように見えた。面会時間の五分間、夫はずっと眠っていた。
「先生、夫の具合はどうでしょうか?」
「今のところ、左足は動いていないんです。でも、左の指先はかすかに動いているのが分かりました。リハビリを一生懸命やると、恐らくもう少し動くようになりますよ」
 夫は、自分の左手や左足が動かなくなってしまったことに気付いているだろうか? まだ気付いていないのなら、初めて知る時、どんなにがっかりするだろう? 自分の気持ちを受け止めることができるだろうか?

 術後三日目の夕方、ICUに面会に行くと夫の呼吸器は外されていた。かろうじて会話ができた。その他のチューブはついたままだった。体のあちこちにひどい痛みがあるようだった。かすれた声で訴えていた。
「もう一度、眠らせてくれ」
「痛み止めの注射を打ってくれ」
「こんなに痛いなら死んだ方がましだ」
 夫は看護士さんを困らせていた。私が側に居ることに初めは気付かなかった様子だ。
「あなた、大丈夫?」
 と声を掛けると
「大丈夫じゃないよ! 俺の左側は感覚がないんだ。半分なくなったんだよ。右しかないんだよ。体が!」
 と声を荒げたと思うと泣き始めた。夫は、今、自分の状況を受け止められずにいる。無理もないのだ。つい先日までは自由に動いていたのだから。夫のその悲痛な心の叫びが忘れられなかった。不安を抱えながら、私はICUを後にした。

 ICUから普通病棟の個室に戻って来た夫は、点滴をしていた。左半身に麻痺が残っているので自由に歩くことはできない。それでも術後四日目あたりから、体を少し起こしたり、ベッドサイドに立ったりなど、日常の動きがリハビリになっていた。排便は、少ない腹圧でも出せるように便を柔らかく保ち、ベッドの脇に置いた移動式トイレを利用した。また、尿意を感じることはできなかったから、定期的に看護士さんが導尿をした。
「森山さん、退院するまでに自分で導尿ができるようになるまでがんばりましょうね」
 看護士さんは明るく話し掛けてくれるのだが、夫は終始無言だった。
「ベッドの上で体を起こすことも立派なリハビリになっているんですよ」
 機嫌の悪さを滲ませる夫にひるまずに看護士さんは色々な話をしてくれた。
 夫は、看護士さんが部屋から出て行くと、ベッドに突っ伏して声を押し殺して泣いた。若い看護師に導尿をされることに抵抗があるのかもしれない。
 リハビリに対して、夫はなかなか前向きになれなかった。同じ症状でも、片側の体重を乗せて歩くことができる歩行器を使って歩行訓練をしている人もいたが、夫は歩行器を拒否したため車椅子のままだった。それでも左手は少しずつリハビリの成果が出始めていて、補助具付きのスプーンが使えるようになりつつあった。それは、夫にとって自信につながると同時に、これまでの生活と同じようにはいかないのだという現実を突きつけられた瞬間でもあった。
 血圧のコントロールが落ち着き、リハビリはこれ以上見込めないという状況もあり、術後二週間で退院することとなった。退院することは喜ばしくもあり、これから始まる「これまでと同じようにはいかない日常生活」を夫が受け入れることができるかどうか不安だった。

 この日、退院するところから問題が噴出した。自分一人で病院に来る際には、バスで往復をしていた。でも入院中の荷物を持ち帰り、歩くことが困難な夫も一緒とあっては、バス移動は無理だ。久しぶりに私が車のハンドルを握ることになった。緊張してハンドルをぎゅっと握り締めていた。額には汗が浮かぶ。ハンドルを握る手も汗でびっしょりだ。ゆっくりと自宅に戻って来た。
「世話になるね」
 夫は私の危なっかしい運転にひと言、そう言っただけだった。下手な運転に対して文句を言う元気もないのかと思うと、こちらも哀しい気持ちになった。自宅に着いたものの、玄関や廊下には手すりがなかったので、夫は私がいないと家の中の移動もままならなかった。私の肩に体重を預けながら少しずつ、少しずつ移動をしてようやくリビングのソファに辿り付いた。
「ねえ、僕はもう生きていく自信がない。動けないから働けない。借金もまだ返せてない」
 私は、隣に座って夫の手を握ることしかできなかった。
「僕は、生きているだけで君に迷惑をかける。死にたい」
「そんな哀しいこと言わないで、一緒にリハビリをがんばりましょうよ」
「君、本気でそんなこと言ってるの? もう七十四歳だよ。今からそんな新しいことに挑戦できないよ」
「あなたの左手はもう、動くようになってきているじゃない」
「でも、思うようには動かないんだ。僕は死にたい。君はどうする?」
 私は、これから先のことが不安になった。夫が先立ってしまったら借金はどうやって返済したら良いだろう? 自己破産宣告をこの年でした方が良いのだろうか? 一人でそんなことに立ち向かっていけるのか不安だった。
「もう少し、考えさせてもらってもいいかしら?」
「もちろんだよ。できれば、君を巻き込みたくない」

 その日は、家にあったありあわせのもので夕食を作った。夕食を食べる時に夫は、何度も補助具のスプーンを床に落としてしまった。
「もう、食べたくない」
「風呂も入りたくない」
「テレビも消してくれ。音がうるさいんだ!」
 夫は、これまでとは別人のように無気力で乱暴な物言いになっている。
「あなた、お風呂は座ったまま入れるように椅子を用意してあるの。シャワーだけでもどうかしら?」
「ねえ君、一人では移動だってできないんだよ。お風呂なんて君に迷惑を掛けるだけだ」
「私は大丈夫」
「うるさい! ほっておいてくれ。僕は死にたいんだ」
 夫はそう言うと、壁を伝いながら一階の寝室へとゆっくりと、ゆっくりと移動をした。途中でつまづいて、そこからは体の右側だけで這うように移動していた。私は放心状態でリビングに取り残された。このままでは、夫が壊れていく。壊れていく夫が、いつかリハビリをしたいと思う日が来るだろうか? 私は疑問に思った。夫は人生をすっかりあきらめてしまっている。壊れた夫の相手をする自分もまた、壊れていく姿が目に浮かんだ。

 夫のおかげで今日までやってくることができたと感謝している。二十代の頃に歯科医院の仕事を辞めた時に救ってくれたのは夫だった。その後は、仲の良い時ばかりではなかったけれど、長い年月の間に夫と私の間にはいつしか絆ができていた。
 これからどうやって生きていけばいいだろう? 生きていく術はないように感じてしまう。どうしたらいいのか答えは見つからなかった。

 現実は待ってはくれない。今月も借金の返済日がやって来るのだから。私が働きに出たら、家に居る夫の世話は誰がするというのだろう? 夫が入院や手術をしたことで多少の保険金は手に入るが、その大部分は入院費や治療費に消えていく。それに加えて、生活費だって必要なのだ。生きていくためには、きれいごとばかり言ってはいられない。哀しい現実が突きつけられた。

 私は眠れなくなった。でも夫のそばにいたいと思い寝室に移動した。夫は、眠らずにしばらく泣いていたのであろう。顔周りのベッドシーツが濡れていた。私は、夫の横に潜り込み、布団の中で、指先しか動かない夫の左手を握った。夫の掌は大きくて、握っているつもりが、握られているような気持ちになった。いつしか眠りに就いていた。

 翌朝、私より早く起きた夫が一人でトイレに行こうとして、倒れた音で目を覚ました。私はすぐに肩を貸して、夫のトイレに付き添った。夫は、これまで当たり前に出来たことが、一人でできないことへの苛立ちを感じているようだった。私は夫の気持ちに寄り添いたいと願った。
 トイレからリビングに戻って来た。夫も私もソファに腰掛けた。
「ねえ、あなた。私もあなたに付いて行くわ。あの世でも、どこへでも」
「え、本当に? 心中することになっても後悔しないかい?」
 夫の表情は一瞬、明るくなったように見えた。
「だって私も、もう七十二歳まで生きたんですもの。大丈夫よ」
「じゃあ、僕はほとんど何もできないけど、家の中の物を整理しよう。晶に迷惑を掛ける訳にはいかないから」
 夫が、「晶」と呼ぶのを初めて聞いた。
「ねえ、旅立つ前に一度、晶に会ってみない?」
「そうだな。君はこっそり会っているみたいだけど、僕はもう何十年も会っていないからね」
 私が晶にこっそり会っているのを知っていたのだ。夫はきっと、ずっと晶に会いたかったのだろうと思うと、涙が出てきそうだったのを堪えた。
「家の整理は晶に手伝ってもらったらどうだ? 本当の事情は話せないが」
「そうね。老人ホームに移るって言ってみようかしら。家に来てもらうのが一番、あなたに会わせやすいからね」
「晶には、俺のこの体のこと知らせたのか?」
「あなたが入院している時に、一度、こっそりとお見舞いに来たことがあるのよ」
「そうか、会いたかったなあ」
 晶が会いに来ていたことに夫は驚いた顔をしたものの、嬉しそうに笑った。その笑顔は、病気になってから初めて目にする夫らしい表情だった。一緒に心中しようと伝えて以降、夫の気持ちは少しずつ和らいできているようだった。
「でも、晶に迷惑だけはかけたくないんだ」
 夫は、もう一度微笑んだ。

 私たち夫婦は工場を畳んだ時から、家の中の整理も少しずつ行っていたので、今、家にある物はそれほど多くはなかった。なかなか捨てられなかった大切な物と、日常生活に必要な物だけが残っている。これらを全部処分するのは大変そうだが、工場を畳む時に比べたらたやすいことのように思えた。

 翌週、晶を家に招いて、一緒に昼食を食べた。その頃には、夫の左手は最初と比べたら格段に動くようになっていて晶は安心したようだった。左足はまだ相変わらず不自由さがある様子だが、家の中で簡易歩行器を使って少しずつ移動ができるようになった。

 晶は、自分の性別について、初めて直接父親に話そうとしている。緊張している様子が伝わってくる。
「お父さん、私が男性として生きていくこと許してくれる?」
 晶はまっすぐ父親の目を見て伝えている。
 夫は、晶の顔を見ながら言葉を探しているようだった。
「お父さんだって、完璧な人間じゃないんだ。晶の方がよほどしっかりしている。自分の生き方に誇りをもって生きてくれればそれでいい」
 晶は、父親を大きな肩と手で包み込んだ。昔は、晶の方が包まれていたのに逞しい大人になっていた。
「晶、これまでごめんな」
「もういいよ。大丈夫だよ」
 晶も夫も、瞳から一筋では足りないくらいの涙がこぼれ落ちていた。長い時間が必要だったが、今、お互いのことを理解し合うことができた。夫は、自分の体が不自由になって初めて晶のように少数派として生きている人達の気持ちを想像できるようになったのだろうか?

 昼食の後は、晶のパートナーも加わって、家の整理を手伝ってくれた。作業をしながらだったので、自然と打ち解けることができた。こんな和やかな風景を見ていると、この世とお別れするのも名残惜しいものだと思ってしまう。
 晶たちが帰ってから、目に付く場所に遺書を置いておいた。そして、残りの借金を晶が放棄できるようにする相続放棄の方法と、必要な書類も一緒に置いた。無責任な親だと思われても仕方がない。

 その夜、私たちはリビングで遅くまで心中の仕方について話し合った。
「僕はね、魚釣りが本当に大好きだったんだ。だからあの汽水湖の畔の駐車場で最期を迎えたいと思うんだ。どうかな?」
「私もそれがいいと思います」
「二人で魚釣りに行った思い出もあるからな?」
「そう。それにもう一つ理由があるんですよ。私が二十代だった頃、歯科医院に勤めていた私に、あなたが小さな紙切れを渡してくれたの覚えてますか? 電話番号が記されていた小さなメモ」
「ああ、覚えているよ」
「実は、そのメモを使って初めてあなたに電話したのは、あの汽水湖の公園の駐車場からだったんですよ。歯科医院を辞めた後、すぐに家に帰る気になれなくてあの汽水湖の周りを散歩しているうちに、あなたに電話がしたくなって、ちょうどその駐車場の公衆電話から電話をかけたんですよ」
「つまり、始まりと終わりを同じ場所で迎えることになるってことか」
 私は夫に頷いた。
「ねえ、あなた。心中する決心は固いんですか?」
「そんなことある訳ないよ。この世に未練だらけだ」
「じゃあこうしませんか? 心中した人の数パーセントは、実は死にきれず助かっているんです。だから、もしも私たちが心中して死ねなかった場合」
「そんなことあるかな?」
「死ねなかった場合にはもう一度、死ぬ気で一緒に生きましょうよ」
「おう、そうだな」
 夫は、自分の本当気持ちに気付いているから分からない。けれども、本人が気付いていないような意識の底で「本当は生きたがっている」と私は確信した。晶と話している時に見せた表情は、まだ人生を続けていきたい人の笑顔だった。それに晶と釣りに行く約束までしていたのだ。なんとか叶えさせてあげたいと願う。

 心中方法について相談した際には、死に至る確率の低そうな、心中が失敗することを期待した方法を夫に勧めたのだ。
 夫に必要なことは「心中」ではないはずだ。彼は、「もう生きなくていい」という安心を手に入れてから心が穏やかになっている。だとしたら、本来は「心中」するよりももっと他に安心を手に入れる方法があるのだと気付いた方がいいのだ。でもそれは周囲が話して聞かせたって無駄だ。
 夫のように頑固者で自暴自棄になっている人間には、自分で体感することでしかその自暴自棄の闇から脱け出すことはできないのだろう。

 だから、私も本気で夫の心中に付き合おうと決意した。運が悪ければ死を迎えるだろうし、運が良ければまた二人で生きることもできる。
 もしも再生の道が開かれるならば、今度はもっと誰かに頼ってみたい。

 翌朝、私たち夫婦は朝食を済ませ、部屋を整え、私の運転で最期の場所に選んだ汽水湖の公園駐車場にやって来た。何十年も変わらない本当に懐かしい場所。初めて夫に赤い公衆電話から電話をした時の、ドキドキまで思い出してしまいそうだ。
「あなたと一緒になれて良かった。愛しています」
「僕もだよ。色々迷惑かけてすまない」
 昨日、夫婦で相談した方法で私たちはこれから心中する。私が睡眠薬を服用して意識がはっきりしない状態になったら、夫は私の首を絞める。その後、夫は睡眠薬を飲んでもうろうとした状態で湖に飛び込む。体の不自由な夫は自分では泳ぐことができないから溺死することになるという算段だ。

 私たち夫婦は憎しみ合って心中するのではないことを確認するために、最期に唇を重ねた。そして私は、睡眠薬を口に流しながら、心の奥でこの心中が未遂に終わることを切望していた。


エピローグ


 年老いた夫は穏やかな瞳に涙を浮かべながら私の喉元を押さえ「ありがとう」と繰り返す度に力を強めた。笑うと目尻が下がり、より一層柔和に見えるその笑顔は何十年も見てきたのだが、今日ほど狂気に満ちて感じたことはなかった。ユリカモメの鳴き声が聞こえる。ここは、夫がよく釣りに出掛けた汽水湖の畔にある公園。私が初めて夫に電話をかけた公園でもある。
 群青色の、美しい眩しい湖面は太陽の光を反射して穏やかに揺れている。夫から首を絞められている私は死に直面する中で、結婚してからこれまでのことを加速度的に思い出していた。目は閉じているのに、映像が静かに浮かんでは消えていく。人生の終焉は、冬の湖のように厳しさと穏やかさを内包していた。

 走馬燈は死ぬ間際に見る幻灯のようなものだと思われているが、実際には少し違うのらしい。死の危険に直面し「助かりたい一心」でなんとか助かる方法を脳から引き出そうとする記憶のことで、その瞬間大量のアドレナリンやエンドルフィンが分泌されているのだという。だから私は喉を絞められている痛みを感じることなく、その瞬間、閉じていた瞳を見開いて至近距離にいる夫に向かって伝えることができたのだろう。
「愛しています」
 そう言った瞬間、驚いた表情を浮かべた夫と目が合った。目が合った瞬間に夫は、目を見開いて意識を失ってしまった。もしくは死んでしまったのだろうか? 私も究極の緊張状態に疲れて意識が薄らいだ。薄らいでゆく意識の中で私は確信した。夫との間に確かに愛はあったのだと。




 遠のく意識の向こう側で救急車のサイレンが聞こえる・・・・・・。









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