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EN:ボールの謎は解けるのか?

DARK MOONの新しいお話『ヴァンフィールドの子供たち』がLINEマンガで始まりました。
今回のお話にはノベルが無いようなので、活字好きとしてはちょっと残念。
ただ『月の祭壇』で「媒体違いのパラレルワールド」を堪能したので、どこかでひょっこり別媒体展開があるかもとか考えると、ちょっと楽しい。

DARK BLOODやORANGE BLOODの Concept Trailerも一種の媒体違いのパラレルワールドかなあと。

おそらくWebトゥーンで展開するだろう『two moon』という別のお話も予告されていたので、単純な展開は無いだろうというのがとても楽しみです。

茶色のボール

今までのMVのシーンをあれこれと説明してくれるようなシーンもある『ヴァンフィールドの子供たち』。
連載はプロローグ含めて5話目。(今時点で、先行は8話まで進んでいて、興味深い構図やら色々散りばめられていて、先が楽しみです。)

184X年と記載されてはじまるお話には、しっかりと革らしい茶色のボールが登場します。
ラグビーの発祥が1820年から30年ごろのイギリス、という歴史を考えると、架空のお話とはいえ、その辺りを舞台にしているだろうと予測です。
というか、イギリスっぽい架空の地域、なんだろうなと。

当時流行したスポーツとしてラグビーがあり、彼らの「はじまり」の象徴として、あの楕円形のボールがあるのかもしれません。

MVに登場する茶色のボールのことを、アーモンドとliveで言っていたことがあるので、脳の扁桃体(Amygdala)が持つ「情動の記憶」「過去」の象徴ということかなと思い続けているんですけど、はてさて答えは示されるかなぁ。

『月の祭壇』には、確か茶色のボールは出てこなかったんですよね、終始ナイトボールの白いボールだけでした。

それと、ヴァンフィールドの子供たちは、お日様の下で遊んでいるんですね。
それがあの「お薬」の効果なのか、そうでないのかは今のところ不明です。

ただ、ほんと楽しそうに外で茶色いボールで遊んでいるシーンが目に残ります。

時の旅人

ヴァンパイアという設定なので、あまり疑問もなく読んじゃいましたが、プロローグは2000年です(Blessed-CursedのMV↓)


第一話は184X年 第二話は189X年になっていて、ここでヴァンパイアの一般的な設定からはズレていることに気づきます。
なぜなら、「子供たち」だから。

成長スピードがゆるやかでも進んでいたこと。
そのあと、いずれかのタイミングから成長が止まったこと。

ヴァンパイアの一般的な設定では、ヴァンパイアになった時点の身体で、長い年月を過ごすことになります。
成長するヴァンパイアという設定があってもおかしくはないのかもしれないですが、「生ける屍」ではない別の「モンスター」になってしまいます。
死んでいる体を吸血で維持する仕組み、が一般的なヴァンパイア設定です。

ですので、『ヴァンフィールドの子供たち』が成長するヴァンパイアであれば、ヴァンパイアとしても特殊ということになるんですね。

月の祭壇で、スハが分け与えた能力としての異能は理由になっていましたが、スハに吸血欲求はなさそうです。

狼王の血は、契約のない第三者に入ると吸血欲求が出てくるのか、単に王国そのものがヴァンパイアの国だったのか、よくよく考えたら明示されていませんでした。
ヴァンパイアの国って、一種の死者の国ですが。

先生やヴァンフィールドハウスの人達の長生きの理由が、そもそもヴァンパイアだからなのか、「使命」のために狼王かもしくは王族の血を得たか。
この辺りは、ストーリの肝になるのかなぁ。

子供時代の象徴

『ヴァンフィールドハウスの子供たち』のお話の中心は、シオンとジノかなぁ。
そう思った時に、連想したのが、Tamed-Dashed Japanease Ver.のMV。

燃えてしまったティディベア、回転木馬、ドールハウスを私は子供時代の
象徴が消えた、と解釈していたので、余計に「子供」ということの定義みたいなものを考えさせられています。

『ヴァンフィールドの子供たち』は、本当に子供なのか?
子供とは何か、大人になるとはどういうことか?

ヴァンパイアは、生と死の端境の存在。
子供と大人の端境も兼ね備えようとしているのが、『ヴァンフィールドの子供たち』なのかもしれません。

成長することを拒否することは「ピーターパン」に準えて表現することが一般的です。
ヴァンパイアは少年期にヴァンパイアとなれば、望まなくてもピーターパンのままです。
(横道にそれますが、アイドルってピーターパンを求められがちですよね。私はそれが苦手なので、今までアイドルの推しがいなかったんだと思ってます。)

大人になることを望むのか望まないのか。
その端境を越えるのか、そこに端境などない事にするのか。

そうそうジノの火を操る能力というか、燃やしてしまう能力ってなかなかシビアな能力だなと思います。
便利そうなのだけれど、「燃やして、無にする。」なんですよね。

子供時代の痕跡を燃やして無かったことにしても、それが大人の証明にはならないでしょうし、「自分」の否定にもつながってしまうことではないのかなぁと。

「敵」を燃やして灰にしてしまえ!というのが、BTS先輩のFireでしたが、「敵」である世間と大人が同じものだったから成立する歌詞だと思うんですね。
ヴァンパイアのEN-の「敵」は、世間や大人ではないのではないか。
(ヴァンフィールドの子供たちにとって、先生はそういう「敵」ですけど)

ヴァンパイアにありがちな設定として「普通の人生」への憧れがあり、それが「敵」となって葛藤するか、モンスターの自分に陶酔するか、どちらかの道があるように思います。
「普通の人生」を手にする代償は「肉体の衰え・死という消滅」。

「普通の人生」の代償で思い出したのが、Bite Meの時の泡のような衣装が人魚姫の泡に思えたこと。
「ヒトの愛」を望んだモンスターが手にする代償という表現かなぁと。
そういう自己犠牲無しに、愛は成り立たないのかなぁ。

舞台の上に立つものが「普通の人生」を望んではいけないのか、どうか。
そして、「普通の人生」とは何か。

次の展開が待ち遠しいです。

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