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╲気持ち早めの/ヴァルコネ海水浴!!

夏のある日。
グリフィーヌが、
「占いをしたんだけど、明日はきっと晴れるわ! ……多分、うん、きっと……?」
と語尾を濁しながら天気予報をしたその日。

「くう~!暑いですねえ! ヘル、向こうまで泳ぎましょうよ! 浮き輪使っていいですから」
「だから泳げるって言ってるじゃない……あ、ちょっと待ちなさい!」
陽光が燦燦と降り注ぐ砂浜、キラキラと絶え間なく光る海原、冷やっこいかき氷、高く上がったビーチボール……夏の風物詩が全て詰まったこの場所。
海である。
スクルド達はつかの間の休息として、連れ立って海水浴に来ていた。麦わら帽子をかぶった笑顔のスクルドと、紺色の水着にピンクの浮き輪を持った、不安と期待の入り混じった表情のヘル。二人とも久々の休暇に浮足立っているようだ。
「早く入りましょう! 海!」
スクルドが麦わら帽子を押さえながら楽しそうにヘルの手を引いた。スクルドの細腕で出るとは思えないその強い力に、ヘルはつんのめりながら引きずられる。砂浜にヘルの抵抗の足跡が刻まれた。
「ちょ、まっ……!」
「ボクも入れて~!」
そんな二人の間に元気よく割って入った、小柄な体躯。燃えるような髪色に、どんぐりのような輝く目を持つ彼は、
「マグニじゃないですか!」
スクルドは驚きの声をあげた。少女といっても過言ではない外見を持つ彼は、名工イーヴァルティより直々に大剣を与えられた立派な戦士で、天界最強の雷神トールの弟である。
「夏だからね! ボクも泳ぎたくて」
「それはいいけれど……」
ヘルはマグニの姿をまじまじと見る。髪色と同じく奇麗なオレンジ色の海パンを穿き、白の滑らかなパーカーを首元までチャックを閉めて着ていた。奇麗なその髪にはかき氷モチーフの髪留めまでついている。上着のせいで男性的特徴を欠いたその姿は、どこからどう見ても海に遊びに来た絶世の美少女だ。
「今日の為に兄様と選んだんだ!」
マグニは胸を最大限反らし、得意げに見せつける。大好きな兄であるトールと選んだことで、殊更にその水着を気に入っているようだ。
「マグニが上着を着ると女の子に見えますね」
「えへへスクルド変なの! 僕は立派な極絶系男子だし、スクルド攻撃受けたら多分一発で溶けちゃうよ~! ま、いいや。ボク、兄様と泳ぎに行ってくる」
マグニはスクルドたちに元気よく「バイバイ!」と告げると、海に向かって走る。だが10歩も行かない内に、海水浴に来ていた2人の男たちに道を塞がれた。夏の海の解放感にかこつけてナンパをしているようだ。
「お嬢ちゃん素敵だね~!」
「え、本当! ありがとう! ボク、この水着お気に入りなんだ!」
ぱっと華やいだ笑顔を見せるマグニに、男たちは見惚れる。
「かわいくてしかもボクっ子かよ……お、お嬢ちゃん、向こうで俺たちと遊ばない? かき氷も奢っちゃうよ?」
「え! お兄さんたち太っ腹だね。 行く行く~!」
マグニは生来の人懐こさを見せ、輝かんばかりの笑顔で男たちについていく。ナンパに成功した二人はこれからのひと夏のアバンチュールに思いを馳せ、早くも鼻の下を目いっぱいに伸ばしていた。
「俺がこの子と付き合ったら……」
「おいてめ、なんでお前が付き合う前提なんだよ、俺が落とすに決まってんだろ」
「はあ? お前鏡見て来いよ。雨上がりのタケノコみたいな顔しやがって」
「お前だって季節外れのキノコみたいな顔してんだろうが」
——鼻の下を伸ばしつつも、「どちらがマグニと付き合うのか」という虚しい小競り合いをしていた。
その3人のもとに、一人の男性が砂浜を蹴って近づいてきた。鍛え上げられた肉体を惜しげもなく太陽光に晒し、紺の地に黄色のラインが入った海パンを履いた彼は、天界最強の雷神でマグニの兄であるトールだ。
「マグニ! 俺から離れるなと言っただろう」
突如現れた筋骨隆々の男に、先ほどまで鼻の下を伸ばしていた男たちはうろたえた。その動揺の間にもトールが肩を怒らせて近づいてくる。
「彼氏持ちかよ……」
小さく呟いた一言に、マグニが素早く反応した。
「違うよ! 兄様だよ」
その言葉に間髪入れずトールがすごむ。
「……で? うちの弟に何か用か?」
低い声に、男たちは縮み上がった。
「い、いや!ちょっと道を聞こうとして……弟?」
1人目のナンパ男が目を白黒させる。
「道を聞こうとして『かき氷も奢っちゃう』のか」
さらに低くなったトールの声。
「ち、違くて……弟?」
二人目も目を白黒させ始めた。どうやら美少女だと思っていた子が自分たちと同性であるその事実を受け入れられないようだ。
その二人には目もくれず、トールはどこからともなく大槌を取り出した。無垢な弟が甘言に惑わされそうになった事が許せないらしい。そのまま大きく槌を振り被り——
「アルティメット・ボ」
「馬鹿ですか!? 海ですよここ!」
トールの渾身の攻撃を間一髪で止めたのは天界の敏腕裁判官、フォルセティだ。サングラスを頭に乗せ、赤色のビキニに極彩色のパレオを巻いている。普段のかっちりとした服装からは想像できない派手な水着だ。彼女のオンとオフのギャップが激しい事は天界でも有名である。
「ひ、ひいいい!」
攻撃をすんでの所で回避した男たちは情けない悲鳴を上げながら、がむしゃらに走り逃げていく。マグニはそれを眺めているが、かき氷を逃した事で若干悲しそうだ。そんな事には構わず、フォルセティはトールに詰め寄った。
「こんなところで電気系の攻撃なんて愚行です! しかも人間に手を出そうなど……法廷に行きたいんですか!?」
「い、いやあいつらが、マグニを……!」
「かき氷をくれようとしただけだよ、いい人たち!」
マグニがトールを見上げぷくりと頬を膨らませる。フォルセティはマグニの頭を優しく撫でた。マグニは嬉しそうに目を細めて撫でられるがままだ。
「当事者のマグニがこう言っていますが」
「い、いや、本当にあいつらはマグニを連れていこうと……!」
天界最強のトールは、天界最強の裁判官の手腕にたじたじである。硬派な彼にとって腕力に頼れない口喧嘩は最も苦手な喧嘩の一つだ。
あわやお縄か、と思ったその時、凛と澄んだ声が一行の背後から響いた。
「私、見ていましたよ。彼らがいわゆる『なんぱ』というものをしていたことを」
トールに助け舟を出したのは柔和な笑みを浮かべた人物だ。陽光に癖のある白髪が煌めいている。薄緑の上着を羽織り、長く細い足を惜しげもなく晒した儚げな美人——
「うん……? バルドル、か?」
「……それ以外の誰に見えるというのでしょうか」
トールの疑問符も無理はない。普段から女性と見間違われるほどの美貌を持った彼が、トレードマークの緑の服を脱ぎその白い肌を晒した今、さらに性別がわかりにくくなっている。また、陽光から逃れるために羽織った上着でマグニ同様上半身がよく見えず、男性と瞬時に判断する事が困難だ。
「なぜ証人は彼らを『ナンパ』であると判断したのでしょうか」
すっかり裁判官モードに入ってしまったフォルセティが、バルドルに問う。派手な赤の水着を着ている彼女に、裁判官らしい態度はなんともミスマッチだ。
「それは……」
「言えないのですか? なるほど、証人も確証があって証言したわけではないのですね。不確実な情報を紛れ込ませる事は間違った判断を生み出しかねません。控えていただきたい」
「いえ、確証はあります」
バルドルがしぶしぶ口を開く。100年来の秘密を今この場で明かさなければならなくなった、と言わんばかりの躊躇い様だ。バルドルは拳を握りわなわなと震わせながら、そっと言葉を紡いだ。
「……私も先ほど、彼らから『なんぱ』を受けました」
フォルセティがバルドルの言葉にハッと息を呑む。無駄にドラマチックになってきた砂浜裁判所。被告人はトール。罪状は大量殺人未遂。凶器はミョルニル。火曜サスペンスも裸足で逃げ出す緊迫感。
バルドルが小さく息を吸う。
「何度も自分は男である旨を申し上げたのですがわかってもらえず……不本意ながら上着を脱ぎそれを証明する事で逃げおおせました」
フォルセティは全て合点がいったというように深く頷いた。マグニが背伸びをしてバルドルの頭をぽんぽんと撫でてやる。性別迷子同盟の結成の瞬間であった。
「なるほど。彼らの被害に実際に合われた、という事でよろしいでしょうか……それではトールはアース族法第192条23項により、正当防衛と認めます。これにて、閉廷です」
フォルセティが礼をし、この騒ぎは終焉を迎えた。エンドロールは流れなかった。

一方その頃、スクルド一行——
「な、なんだかマグニが行った方向が騒ぎになっていますが」
「放っておきなさい。いちいち対応していたら遊ぶ時間がなくなるわ。そんなことより私の浮き輪を引きなさい、沖に行きたいの」
「は~い」
スクルドはヘルの浮き輪を引きつつ、ゆっくりと海の色が濃い方へと泳ぐ。ヘルは浮き輪の下で少しだけ足をばたつかせ「自分の力で泳いでいる」という感覚を楽しんでいるようだ。
と、その瞬間。
スクルド達の目の前の海が「破裂」した。
「うわっ! えっ! なんですか!? ヘル、大丈夫ですか!?」
スクルドはすぐさま泳ぐのをやめ、ヘルを守るために手を広げて盾になった。
「ええ、私は大丈夫よ。一体何が……?」
そう言っている間に今度は離れた場所で海が連続して破裂し水しぶきをあげる。水しぶきの1つはハート形、もう1つは何とも形容しがたい、しかしとても繊細な柄を作り上げた。
その中心にいたのは
「スフレ、パローネ、パルボ!?」
「生粋の爆弾好き達ね……」
スクルドを盾にしつつヘルが呟く。彼女の言葉通り、生粋の爆弾好き達は泳ぎながら己の爆弾を海面で爆発させ遊んでいるようだ。
「わたしの爆弾が一番ブチあがってますよぉ!」
「アタシのが一番芸術的!」
「わたしのが一番かわいこちゃんなんですぅ!」
彼女達は口々にそう言い合うと
「皆違って皆良い~」
と口を揃えて褒め合った。
「なにこの狂った空間」
ヘルが呟く。
「あ! 前に会った天使さん達じゃないですかぁ♪ こんなところで何をしてるんですかぁ? ナイフで斬ってみてもいいですかぁ」
その呟きに気づいたのか、スフレが話しかけてきた。
「アタシたちの首には懸賞金は掛けられてないわよ……」
「私も何度天使じゃないと言えば良いのでしょうか……三人は何をされてらしたんですか? 爆弾で遊んでいたり……?」
スクルドの問にパローネが元気よく手を挙げる。自分が説明する、と言いたいようだ。
「今ね、スフレちゃんとパルボちゃんと、わたしのかわいこちゃん達『らぶちゃんふぁーすと』のみんなで『完全防水☆素敵爆弾鑑賞会』をしてたんですぅ。さっきの大きな水しぶきはスフレちゃんの『マグナム1号』、ハートのは わたしの『らぶちゃんふぁーすと』、何かよくわかんない芸術的なのはパルボちゃんの『寂寞と荒涼・真極』って言うんです~」
「そ、そうですか……」
「防水にしつつ素敵な爆弾を作るの……永遠の浪漫って感じ……」
芸術家のドワーフがうっとりと目を細める。
「ろ、ろまん……」
「スクルド、お前には理解できない世界よ、帰って来なさい」
ヘルが首を傾げていたスクルドの頭をポンとはたく。「爆弾のろまん」に毒されかけていたスクルドはその一撃で目を覚ましたようだ。
その二人の横でまた黄色い声を上げ楽しみはじめた三人は、突然一様にお腹を押さえると突如として岸に向かい泳ぎだした。
「ええっ!? どうされたんですか!?」
「おなかが~」
「きゅるきゅる~ってなったからぁ」
「ごはん食べてくるね」
凄まじい勢いのバタフライで3人が砂浜に向けて去っていった。道中でも、なぜか彼女達の周りには爆弾のものとみられる水しぶきが大きく上がっていた。
「爆発的に空腹になるのね……」
ヘルの呆れ声は三人には届かなかった。

体力消費の激しいバタフライでも、彼女たちの体力を奪えはしない。砂浜についてなお、元気いっぱいだ。
「スフレちゃん、何食べますか~?」
「う~ん、爆弾焼きが食べたいですねぇ♪」
「わかりましたぁ、マリーちゃんとパルボちゃんと買ってきますぅ」
パローネはスフレの希望を聞いてから、お気に入りの風船型爆弾『マリーちゃん』とパルボと共に砂浜を元気に駆けていく。その姿を見ながら、スフレは目の覚めるような赤色のマントを水着の上に羽織る。
「ふう……」
日中の強い日差しに晒された真っ白な肌は、若干赤くなり熱を持っていた。海上での爆弾遊びは楽しかったが、日焼け慣れしていない体は悲鳴を上げつつあるようだ。
(パローネちゃんが帰ってくるまで、なるべく日差しにあたらないようにしましょうかねぇ)
スフレはしっかりといつもの赤ずきんを被った。
「おい、そこのお前……そんなところで蹲ってどうしたんだ」
なんともなしに海を眺めていると、ふっとスフレの周辺一帯が陰になった。何かと思い見上げれば、大きなパラソルをこちらに向かって掲げている亜人の男と目が合う。鋭い目つきにいかにも硬派なその佇まいの彼は、狼の姿をした銃士、ヴォルフガングだ。
「狼男さん……?」
「本当に名前を覚えないな……」
「え、なんでここに」
スフレはそういいつつヴォルフガングから顔を逸らしフードで隠す。
頬が熱かった。今でもまだ毎日「狼男さん」のことを考えてしまうのに、当の本人が目の前にいる状況が脳で処理できていなかった。
自分の身体がどんどん熱を持つが、これが海辺の暑さのせいではない事は自分が一番よくわかっていた。
「……どうした?」
顔を隠して動かなくなってしまったスフレにヴォルフガングは不信感を抱く。
——まさか、本当に体調が悪いのだろうか。
「おい、本当に大丈夫か?」
ヴォルフガングはスフレがきちんと陰に入れるようにパラソルを砂浜に刺した。
そして、強く、しかし自身の爪が彼女を傷つける事のないよう、細心の注意を払ってスフレの肩を掴み自分に向ける。そこには真っ赤な顔のスフレがいた。
「ちょっ、なんですかぁ、変態さんですか~?」
スフレがさらに深くフードを被ろうとする。いつものように間延びした声だが、焦っていることを必死に隠そうとして意識している事が漏れ出てしまっている声音だ。
ヴォルフガングはその細腕をいとも簡単に掴むと、「体調が悪いなら隠すな」としゃがんで彼女と目線を合わせた。
「なぜ赤い」
「……赤色のマントが好きなんですよお、血みたいで……」
「マントのことを言ってるんじゃない、顔だ」
「か、返り血じゃないですかぁ?」
「物騒な嘘だな」
ヴォルフガングはスフレの制止する声を無視し、彼女の額に手をやった。
「熱いな……やはり熱中症ではないのか? 今すぐに日陰へ……パラソルでは不十分だな、海の家へ行こう」
スフレの様子を勘違いしたヴォルフガングは、スフレの身体をいとも簡単に持ち上げる。
「お、ひめさまだっこ……!?」
「暴れるな。慣れないことで気持ち悪いのかもしれないが、運ぶ間だけでも我慢してくれ」
「そ、そういうことじゃないです! 離してください~首をもらいますよぉ~!」
スフレが大きく身をよじった、が、ヴォルフガングは全く意に介さず手近な海の家に向かうのだった——
「スフレちゃん、どこいったんですかぁ? またヴォルフガングさんのおっかけですかぁ?」
「賞金首でも見つけたのかなあ」
パローネとパルボは、『マリーちゃん』と爆弾焼きと共に「頭まで真っ白になっちゃった子のための☆ノア迷子センター」に向かって歩き出すのであった。

「暑いわね……」
「ええ……あ、誰かがパラソルを置いていっております。少々拝借しましょう」
そういいながらヴォルフガングの残したパラソルに手をかけたのは、ハイエルフ界のロイヤル主従、ソルティスとクオリスだ。2人とも普段の衣服ではなく、この場に適した水着を着ている。ソルティスは薄緑色のシンプルながらも上品なデザインのビキニを、クオリスは水色の地に淡い色のフリルがふんだんにあしらわれたビキニを着ている。
さっそくソルティスがパラソルを地面に突き刺し、クオリスを中に入れた。
クオリスは日陰の中で、奇麗な青色のトロピカルジュースをコクンと飲む。
「たまにはこうやって羽を伸ばすのもいいわね」
「ええ本当に」
ソルティスは穏やかにクオリスに向かってほほ笑み頷きながら、何故か色が変わるほど腕をつねっていた。その震える腕から、敬愛する主君の夏の装いに揺れ動く心が表に出ぬよう必死に抗っている様子が見て取れる。頭の中はヤマトの国の精神安定の御経がとめどなくリピート再生されているのだろう。
「ねえ」
「はい、何でしょうかクオリス様」
左腕の腹を真紫に染めている事などおくびにも出さず、百点満点の笑顔をクオリスに向ける。
「このジュース、とっても美味しいの。ソルティスも一口どう?」
「ひょえ……失礼いたしました。それではお言葉に甘えて」
一瞬剥がれかかった仮面を直すのも迅速だ。これこそが近衛隊隊長の力である。
「はい、冷たいわよ」
「ありがとうございます」
ともすれば震えそうになる手を必死で抑え、何事もないかのように受け取る。
——今、私の手には、クオリス様の、の、飲みかけの、飲みかけの(※大事なことなので二回言いました)ジュースがある。こ、れに口を? つける? ……そうか今日が命日か。いい人生であった。
「この大一番、ソルティスめが受けて立ちましょうぞ!」
「……暑さにやられたの?」
怪訝な顔をするクオリスの前で、表情は穏やかに、だがしかし瞳だけはギラギラと輝かせながらソルティスがストローに口を付ける。
——このストローは、さっきまでクオリス様の口内にあっ……
ソルティスの意識はそこで途切れている。最後の記憶は、青いはずのトロピカルジュースが真っ赤に見えたことと、対照的な主人の真っ青な顔だった。

「だ、だれかー!」
「はい! どうされましたか!?」
クオリスの叫びにすぐさま呼応したのは、癖のあるミルクティ色の髪をした優し気な女性、リュミエイルだ。夏場の海で開放的になった人々の健康を守る為、今日も白衣——
「意外な格好ね」
「ライフセーバー的な立ち位置なので」
今日に限っては、彼女はトレードマークの白衣を脱ぎ、海にふさわしい格好をしていた。海水浴に来た人々のような華やかな水着ではなく、ライフセーバー然としたシンプルな紺色のビキニだ。その上に白のパーカーをふわりと羽織っている。
——そして手には異常に大きな注射器を抱えている。
「ソルティスの様態を簡単に見た限りですが、血が足りていないようですね! この暑さでは大量の鼻血がでるのも頷けます」
「そ、そう……でもそのちょっとよくわからない大きさの注射器は何かしら……」
心配そうなクオリスに、リュミエイルはえへんと胸を張る。
「輸血ですよ! エルフ族系γ型であってますよね?」
「待って! その量一気に入れたらまずいんじゃないの!?」
「エルフって長寿だって聞いたことあるし、大丈夫じゃないですか!?」
「なんで不確定な偏見だけでとんでもない輸血が出来るの!?」
クオリスの叫びと、何故か興奮したリュミエイルの叫びで、辺りは阿鼻叫喚の地獄絵図だ。二人の真ん中でいまだ血を流し続けているソルティスは、満足そうにうっとりと笑っており、その穏やかな笑顔はまるで——
「……ふむ、穏やかな表情、これは多分……えーコホン。14時59分、ご臨終です。リュミエイルが立ち会いました」
「勝手に私の近衛隊長殺さないでくれる!?」
リュミエイルに鋭くツッコみを入れたクオリスの声に、ソルティスが今まで閉じていた目をカっと開く。
「『私の』近衛隊長!? 『私の』近衛隊長!?」※大事なことなので2回
「ソルティス! 気が付いたのね、どこか辛いところは?」
クオリスからの所有物発言で覚醒したソルティスの視界いっぱいに、忠誠を誓った最愛の主人の心配そうな顔が広がる。
澄んだ湖のような青の瞳は、今は若干潤み、泳ぐ際に邪魔にならないように珍しく一束にくくられた細く滑らかな金髪がソルティスの顔にかかる。ソルティスの顔に、クオリスの鼻を伝った海水が一滴落ちた。
——海水? そうか、私はクオリス様とともに海に……
ソルティスは靄のかかった頭のまま、何気なく視線を少し下げた。淡い水色の豪奢な布に包まれた柔らかな二つの……
「エ”ンっ!!」
「ソルティスー!」
ソルティスの生涯に、一片の悔い、なし。

閑話休題。

「ふむ……余はあまり休暇には興味はないのだが……」
「たまには羽を伸ばすことも良いと思いますよ。星達もそう言っています」
賑やかな砂浜に現れたのは、この地にそぐわない厚着をした最高神オーディンとヘルブリンディだ。二人ともいつも着ている装束で、「ただ見学にきた」雰囲気だ。
「こんなに賑やかな場所なら、ロキが面白がって出てくるかもしれないし。ビューレイストにも会えたら嬉しいなあ」
「汝はまたそれか……」
右に左に視線をさまよわせることに忙しいヘルブリンディに、オーディンは嘆息する。ロキがヘルブリンディの前に姿さえ現わせばこの長兄の長年の捜索も終焉を迎えるというのに、難儀な兄弟だ、と心の中で独り言ちる。と、その時、目の前にふっと黒い影が降り立った。

「オーディン様、折角のご休暇にため息などつかないでください」
「……フギン」
最高神に名前を呼ばれながらふわりと着地したのは、夜空のような羽を持つ鴉神、フギンだ。ヘルブリンディは一瞬驚いたような顔をした後、とても優しげに微笑んでみせた。
「……フギンもいつもどおりの服装なんだね」
「ああ。こういう時だからこそ浮かれてはならないんだ」
「ふうん。君も飽きないね」
ヘルブリンディの言葉にフギンは一瞬身を強張らせたが、すぐにいつもの表情に戻る。
「さて、オーディン様……」
「ムニンはどうした」
オーディンはフギン到着時から気になっていたことを質問する。
フギンは話を遮られたことを全く意に介さず、口を開いた。
「ムニンのことですから、きちんと世界を巡回中かと」
それよりも、とフギンが一呼吸置く。
「オーディン様、せっかくの海なのですから、御召し物をお着替えになったほうが」
「ふむ……」
「こちらに数点用意させていただいております。お好きなものをお選びください……えー……コホン、ヘルブリンディには、これを」
ヘルブリンディに、とてもシンプルな紺色のウェットスーツが渡された。彼は柔和な笑みで「本格的だね、沖までロキを探しに行こうかな?」と受け取りつつ御礼を言う。
「そして……」
フギンがどこからともなく沢山の水着を出す。
「オーディン様はこちらからお好きな物を」
「……すごい量だな?」
「ええ、僭越ながらオーディン様に見合うものを数点選ばせていただきました」
ヘルブリンディが出てきた水着とフギンを交互に見比べた。
フギンが取り出した候補のすべてが
「ブーメランパンツ……?」
ヘルブリンディは布面積の少ない水着を持ち上げる。光沢のある黒色で、一目で高価なものだとわかる代物だ。
「裁縫が得意だというエルフに頼みました」
「それ俺も知っている人な気がするよ。多分だけど、世界一の服職人じゃないかな……?」
「……そうなのか? たしかに、腕はまあまあだったが……まあいい、さあ、オーディン様。お好きな物を」
オーディンはブーメランパンツの山に一時的に硬直していたが、その言葉にハッと我を取り戻した。そして訝し気にパンツの山をまじまじと見直す。
「なぜ、この形なのだ……? ヘルブリンディのような形のものはないのか」
フギンがぶんぶんと首を振る。
「ヘルブリンディの着ているようなものではオーディン様の魅力の一割も引き出せません。最高神ともあろう御方に、皆と同じようなものを付けさせるわけにはっ……!」
その鬼気迫るフギンの様子に、オーディンは折れた。曲がりなりにも自分の部下が一生懸命選んできてくれたものだ。わざわざ服職人まで呼びつけてあつらえたものであるらしい。そのような金の使い方が合っているのかは今後きちんとフギンに話すとして、今回のこの厚意を無下にすることは最善でないと自分を納得させた。
「では……」
「選んでくださるのですか! これはいかがですか?」
「真ん中にフギンの顔の刺繍がついているものは……悪いが避けたい」
何回かフギンの薦めるブーメランパンツを却下して、最終的には最初に見たシンプルで光沢のある黒いブーメランパンツとなった。

「なんだか落ち着かんな」
「まあ、たまのお休みに少し開放的になっても構わないでしょう」
フギンが去ってから数刻後、二人は与えられた水着に着替えていた。
「神」という、人間に憧憬を抱かせる必要のある種族である彼らは、顔の造形が整っている事は勿論、体に関しても彫刻のような美しさを持つ。偏った筋肉は一切なく、かといって付きすぎてもいない、完璧な肉体美。陽光に当たっても焼けているようには見えない不思議なほど透き通った奇麗な肌。
ヘルブリンディは髪色とウェットスーツの色がマッチし魅力を倍増させ、オーディンは完璧な白髪と何故か露出度の高いブーメランパンツが目に眩しい。この美丈夫二人の登場に、砂浜は色めき立った。
「なんだか注目されている気がするな」
「ええ、この騒ぎに乗じてロキがふらっと俺のもとまで来てくれるといいのですが。ビューレイストはここにいることがわかったし……」
「ほう? まあ、多くの種族が集まっているからな。見かけられてよかったではないか」
「見かけたってよりかは……」
「オーディン様!」
海に向かって歩きながら話している二人の会話を遮って、上空から凄まじい勢いで黒い影が二つ降り立った。
「フギン、今度はどうした……? それにムニンまでいるではないか、汝は巡回中ではなかったか」
大きなバスタオルを持って息せき切って近づいてくるフギンと、対照的に楽しそうにふわふわついて来るムニンにオーディンは声をかける。フギンがバスタオルをオーディンに巻き付けながら、叫んだ。
「なぜこんな露出度の高いものを! ぐ、なんと魅力的な腹筋……失礼、早くこのバスタオルに、うお、蠱惑的な胸筋……もとい! なぜこのようなは、は、破廉恥な水着を……! おあ、御足やっば……」
「わ~フギンほんと気持ち悪いね」
「ムニン、黙ってろ。もぐぞ」
「何を!? 何をもぐの!?」
ムニンの風切羽をもごうとしているフギンをオーディンが止める。
「フギン、汝が我にこれを渡したのではないか……」
「は……?」
フギンは目を丸くする。鳩が、いや、鴉が豆鉄砲を食らったような顔だ。
「それにムニンは巡回中だと」
オーディンのさらなる言葉にフギンは目だけでなく口もあんぐりと開いた。
「この休暇の雰囲気にムニンが流されないわけが……俺はコイツがサボらないように今日はずっと一緒に行動をしておりますし……それに、俺が『ムニンは巡回中』だと言ったのですか?」
フギンはわなわなと震えだした。
そして、ハッと顔をあげる。
「その『俺』もどきがオーディン様にそんな破廉恥な物を渡して行ったのですね!?」
オーディンが素直に頷いた。
フギンはすべて合点がいったようで、凄まじい勢いでヘルブリンディを睨みつけた。その目線を受けてすら、ヘルブリンディは柔和な笑みで返す。
「俺はちゃんと言ったよ。『ビューレイストがいた』って」
「言葉が足りないんだ! 兄なら弟の悪事を止めろ!」
フギンが食って掛かるも、ヘルブリンディはどこ吹く風だ。ウェットスーツの胸ぐらを掴まれながら微笑んでいる。
「悪事だなんて物騒なこと言わないでくれ、ただの可愛いイタズラじゃないか。今日の変装も上手だったし、後で褒めてあげなきゃ」
フギンはそこまで聞くと、後ろで勘づいて笑い転げているムニンに蹴りを入れてからオーディンに向き合った。
「オーディン様、申し訳ないですが、今から一言だけ暴言をお許しください。様式美なんです」
フギンは大きく息を吸った。
「ばっかもーん! そいつがビューレイストだ!」


「……と、ここまでがこの日記に書いてある事だねえ。楽しかったよ。あの日は」
ムニンが優しく目の前の子どもに語り掛ける。
ここは人間界の村。子供たちが大いに暇を持て余しているところに、ムニンがたまたま通りがかった。
自分の頭の中の記憶の宮殿から、遥か遠い昔の夏の思い出話をしてあげていたのだ。
「もう、おわり?」
「ふふ、この日は大騒ぎだったからねぇ。まとまりがない日だったんだよ」
「ふうん……いいなあ、僕も海、行ってみたい」
ムニンはそう言った男の子の頭を撫でてやる。
「大きくなったら皆で行くといいさ。あんたたちには飛んでいける羽はないけれど、ゆっくり仲間と歩いていくのも楽しいモンだよ」
ムニンは少し遠い目をする。
「昔、飛べない人間と飛べる神2人が、不思議な大冒険をした時みたいに、さ」
ラグナロクが回避されて、今は平和に出歩ける世界なのだから。