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ウソについて

宮迫さんと亮くんの会見を見た。

この問題が世に出始めたときからずっと違和感はある。
でも、こういうネタをネットで書くのは苦手だ。
私が安心して書けるのは、自分の身の回りの話や、読んだ本の話や、チームワーク・組織など自分の興味のある分野のこととか、せいぜい半径5mくらいのところで。。

なのであんまり上手に考えてることが書ける気はしない。
しないんだけど、なんだか頑張って書いてみようかな、と思った。

私は基本的になんでもすぐ信じるタイプで、よくちょっとした冗談を本気にしてしまって、からかわれたりする。
言葉を額面通りに受けとることも多いので、周囲が「あの二人、付き合ってるでしょ~」と勘ぐってるカップルがいたとしても、本人たちが「付き合ってない」と言っていたら割とちゃんと信じる。
(で、だいたいは本当に内緒で付き合ってたりする)

自分がそんなだから、ってのもあるけど、宮迫さんも亮くんも、ウソは言ってないんだろうなぁ、と思った。。
亮くんなんて真実しかないよな。
宮迫さんはネットの書き込みを見ると、まだあやしいと思う箇所があるらしいけど私にはウソがないように見えた。
見える人にはウソっぽく見える部分があったのかもしれない。
そういうのわかるの、すごいな、と思う。
私にはウソや隠し事なく正直に話してるようにしか見えなかった。

「反社会的勢力って気付かないの、おかしくない?」
という声もまだあるようだ。
私は自分だったらたぶん気付かないだろうなぁ、と思う。
反社の方も「僕、実は反社会的勢力のもので…」とかわざわざ言わないし。
刺青も背中の般若とか見せてもらわないと気付けないわぁ…。最近普通にタトゥーいれてる人多いし。
私もべろんべろんに酔うことあったから、なんかまぁそのときの判断力や記憶力があてにならないのもなんとなくわかる。
こう、アラートみたいなもんも流しちゃうときあるよね、酔ってると。

慎重な人や疑り深い人には普通の感覚なことだったり、お酒に飲まれない人には信じがたいことなんだろうな、とも思うけど、私には宮迫さんの言ってることがうそくさいとは思わなかった。なんとなくわかるわ、という感覚。

今の世の中、それじゃダメなんだろうし、芸能人のくせにわきが甘いと言われたらそうなんだろう。
けど、なんだろか、こう、積極的に批判はできない自分がいる。
私、そんなにちゃんとしてないんだもの。
人の行動や浅はかさを批判できるほど深い考えで生きてないもの。

ギャラ100万円も、そりゃ私がちょっと宴会でて100万円もらう出来事があったら
「え?うそん。」
ってなるのは間違いない。
でも、私じゃないしね。
芸能人の世界は私ではうかがいしれない世界で、そこの金額にたいする金銭感覚みたいなものについて
「普通に考えておかしい」
と言うのはなんだかな、と。
その判断をするのは私じゃないなぁと。
知らないんだもの、その世界のこと。
知らない世界のことをこっちの価値観でなんか好きに言うのもなぁ、と思ってしまう。
吉本のスポンサーでもあるところだから大丈夫とか、なんかそんな感じで言われたら信じちゃうわ。

あぁちがう。
なんかずれてきた。
別にこんなことが言いたいわけではないのだ。

最近、宮迫さんたちとは全然関係ないこっち側の、半径5mの世界で、隠してたウソがばれる、という出来事があった。
(わたしがウソついたり隠し事してたんじゃなく、ウソつかれてた方。)

その直後にこの会見だったので、
「あぁウソや隠し事は芸能人でも芸能人じゃなくても、ちゃんと可視化されちゃう時代になったんだなぁ」
と思った。

宮迫さんのウソも、吉本のウソや隠し事も、後ろぐらいところは何らかのかたちでバレる。
私の半径5mの世界でも、それは例外ではない。
「もう接点をもたないだろうからこちらの都合のよいように伝えてしまおう」
という思いからか、事実とだいぶ違うかたちでウソの報告をされてたことが最近判明した。
接点をもたないはず、なんてのはないのだ。
生きてりゃどこかで会う可能性はある。
まして今はSNSもある時代。
ウソはばれる。
おそろしいほどに。

今回、宮迫さんが最初についたウソをみんなが責めた。
ウソをついたことを責めるのはこの上なく簡単で、ネットでのウソの糾弾はとっても簡単な正義の行為だ。

ウソはよくない。

でも、人はウソをつくし隠し事もする。
ウソをまったくつかずに、後ろ暗いところのいっぺんもなく暮らすのは実はとても難しい。

保身や自己弁護のためにウソをつく、という行為はとても身近にあって、自分のすぐ隣の人だってウソをつくかもしれないし、自分のすぐ近くの組織の人もウソをつく。
そしてそれは自分のなかにも存在している。

私だって、かなり公明正大にいきている自覚はあるが、それでも保身や自分が責められるのを避けたくてウソや言い訳をしたくなることはある。大概ばれるから最初から正直に言って謝ってしまうけど。
強い口調で宮迫さんを責める資格をもてるほど、私は清廉潔白ではないな、と思う。

そういう人の弱さや脆さを考慮せず、正義だけで人を斬るのはなんだか見ていて悲しいし怖い。

私にウソをついていた人たちも、彼らなりの事情はあって、それはやっぱり保身だったり体裁だったりする。
吉本興業のおえらいさんたちの気持ちも、保身や体裁ももちろんあるけど、きっと宮迫さんや亮くんを守りたいという気持ちもあったんじゃないかと思う。守り方は完全に時代に合わなかったし二人の意向とずれたものだったからうまくいかなかったけど。

ウソは信頼をなくす。
私のなかでもウソつかれた相手にたいしての信頼はなくなった。
でもまぁ、人って保身でウソをつきたくなるものでもあるので、悪を探して斬るのはなんだか私にはできない。。
仕方ないよねぇ、自分に負けちゃったねぇ、と思うくらいだ。

でもとにかく。
ウソは信頼をなくすことは間違いない。
今の時代は本当に身を滅ぼしかねないほどのリスクになる。
早くこのことにたくさんの人が気付いて、保身に走りたい自分の気持ちをグッとこらえて、正直に言おうと思う人が増えたらいいな、と思う。
そしてそうして自分の間違いを正直に謝って罰を受けた人にたいしては、「よくちゃんと謝れたね、頑張ったね」というような優しさと寛容で、受けいれてくれる世界になってほしい。
子どもが謝ったら「よく勇気を出してお友だちに謝れたね、頑張ったね」と言うように。





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