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日本史に関する雑記

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中・高で15年、歴史(主に日本史)を教えた経験をもとに、高校日本史の気になるところを雑記形式でまとめてみます。
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記事一覧

「沖縄そば」は蕎麦じゃない

10月17日は「沖縄そば」の日です。 沖縄そばの麵生産を担う沖縄生麺協同組合が1997年に制定し…

瀧波一誠
2年前
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江戸期随一の「成り上がり」

1836年の今日は、江戸時代の探検家、最上徳内 の忌日です。 日本史の教科書でも出てくる最上…

瀧波一誠
2年前
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早熟の天才「画壇の家康」

今日は、江戸時代の御用絵師集団、狩野派の主要人物の一人、狩野探幽 の忌日です。 1,狩野…

瀧波一誠
2年前
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今日はカニの日だそうです。
遥か七千光年の彼方に「かに星雲」があります。
千年ほど前の超新星爆発で生まれましたが、その記録が藤原定家の日記『明月記』に残されています。
当時、超新星爆発は「客星」として主に陰陽師が記録していました。客星と彗星は凶兆とされ、人々は恐れおののいたとか。

瀧波一誠
3年前
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1729(享保14)年の今日は、徳川吉宗が購入した象が中御門天皇に謁見した日。
天皇に謁見するには相応の身分が必要だったため、象には急遽「広南従四位白象」という官位が与えられました。従四位は、十万石の大名クラス。
その後、象は陸路で江戸に向かい、空前の象ブームを巻き起こしました。

瀧波一誠
4年前
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日本建築の歴史を考える③ 帝と貴人の寝所

前回までの記事では、「床と多多美(畳)の文化」 そして、「ユカとトコの違い」 について触…

瀧波一誠
4年前
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今日は江戸時代の僧、隠元禅師の忌日。 黄檗宗の開祖で、日本に精進料理の材料としてインゲンマメを持ち込みました。 そして彼は実は寒天の名付け親。ところてんを寒空で乾燥させた名もなき食材に、寒空を意味する漢語の「寒天」に寒晒心太(かんざらしところてん)とかけて、この名を付けたのです。

日本建築の歴史を考える②「ユカ」と「トコ」

前回の記事 では、日本建築の特徴である「床座」と「多多美(畳)」について書いてみました。…

瀧波一誠
4年前
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日本建築の歴史を考える①「床」と「多多美」

これから何回か、日本建築についての記事を書いていきたいと考えています。 日本建築の特徴で…

瀧波一誠
4年前
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『続日本紀』によれば、天平宝字4(760)年3月16日(旧暦)、日本初の金貨「開基勝宝」が発行されました。
皇朝十二銭の2番目、万年通宝の発行に合わせて銀貨(太平元宝)と共に作られ、公に金・銀・銅貨の交換比率を定めた初のケースでした。
現存数は僅か32枚、幻の貨幣とも言われます。

瀧波一誠
4年前
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今日は「木の日」ということで、木に関する雑学。
日本で街路樹に関する記録が出てくるのは759年のこと。
普照法師の献策により、唐の長安にならって主要道路に「果樹」を植える命令が出されました。
当時の旅は危険で行き倒れも多く、人々の避暑、さらに飢えを癒すために果樹を植えたのだとか。

瀧波一誠
4年前
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今日は万国郵便連合が発足した「郵便の日」。
かつて日本の郵便を管轄したのは逓信省で、〒は頭文字の「テ」を図案化したもの。
実は、当初の記章はローマ字表記の「T」でした。しかしその後、「T」は、諸外国で「郵便料金不足」を表す記号だったことが判明。急遽「〒」マークに変更したのだそう。

瀧波一誠
4年前
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彼の名は「京屋の伝蔵」

今日は「骨董の日」。 江戸時代のある戯作者が遺した考証随筆『骨董集』の中に「文化十二乙亥…

瀧波一誠
4年前
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「耳」で学んだ稀代の国学者

今日は、国学者塙保己一 の忌日です。 保己一は、延享3(1746)年、武州児玉郡(現在の埼玉県本庄市児玉町)の農家に生まれました(もとは武家だったらしい)。 9代将軍家重の時代です。 1、幼少の保己一、失明とその後名前は「寅之助」。幼い頃から病弱で、7歳の時、病気が原因で失明します。 その時、修験者からの助言で名前を「辰之助」に変え、生まれ年も2歳若くするなどした結果、病気は治ったものの視力が戻ることはありませんでした。 保己一は病弱であったものの、物知り(非常に記憶