見出し画像

アメリカの独立とコーヒーと紅茶

7月4日はアメリカ独立記念日です。

アメリカ革命と言えば、植民地の人々が団結してイギリスに立ち向かい、独立を勝ち取った!という流れだったと思います。
そこで今日は、ちょっと違った視点からいくつか、この独立革命を眺めてみたいと思います。

1、独立は植民地の人々の総意?

現代でも、いわゆる「世論調査」を行うと、各項目について賛否が分かれるケースが大半です。
むしろ、100%近く意見が一致したケースはほぼ記憶にありません。

ということは、この独立革命についてもやはり独立を望まない人がいたと考えられます。では、その割合はどれくらいなのか…。
というわけで、まずは当時の人々をイギリスに対する態度で大きく3分類したいと思います。

①王党派(Loyalists)
彼らは大英帝国に忠誠を誓う人々。
イギリスとの利害関係が強い上層階級が主でした。

②独立派(Patriots)
イギリスからの独立派。
強硬派と穏健派に分かれており、一枚岩ではありませんでした。

③中立派
①、②どちらにも属さない人々。

さて、この割合がどれくらいなのかというと、歴史家のおおむねの見解は

王党派15~20%、独立派30~40%、中立派35~40%

…独立派、過半数に届いてない…。
しかも、武力による独立闘争も辞さず!という強硬派は独立派の半分程度。ということは、
独立戦争をしてもいいと考えていた人たちは、全体の20%くらいしかいない
ことになります。

そもそも、植民地アメリカのイギリスに対する不満は
事前相談なしに税をかけたこと
が大きかったのです。

当時のイギリスは財政事情が苦しく、植民地に対して税の徴収をするようになっていました。
ざっくり表現すると、せめてイギリス軍の駐屯費用を支払え!という論理ですね(どこかで聞いたような…)。
新設された税を挙げてみます。

・砂糖法(1764年)
糖蜜1ガロンあたり3ペンスの課税。
後にワインやコーヒーなど、他の品目にも課税対象が広がりました。

・印紙法(1765年)
全ての印刷物にイギリスの印紙を貼らなくてはならない。
新聞、証書類は勿論、トランプなどの遊具まで対象でした。さすがにこれには植民地の人々の不満が爆発し、撤廃されました。

・茶の独占販売権(1773年)
1773年、イギリス政府はイギリス東インド会社に植民地での茶の販売独占権を与えました。
これは植民地の激しい反発を生み、「ボストン茶会事件」

を引き起こしました。

これらの一連の流れで人々が怒ったのは、税率よりもむしろ「イギリス本国が、事前相談なしに一方的に課税を決めたこと」でした。
(税率はイギリス本国よりむしろ低かった)

そのことが、パトリック・ヘンリー

「代表なくして課税なし」
という言葉によく表れています。
考えてみると、代表がいれば課税しても良い、とも受け取れますよね。

実際、1774年まで、アメリカは和解による時代の打開を図っていました。
例えば、「大陸会議」を招集、イギリス議会に代表者を送ることを提案したりもしています。
しかし、イギリスがこれらの和解案を拒否。
中立派の独立派への転向を招き、事態は独立戦争へと突き進んでいくのです。

ちなみに王党派の人々は、独立革命後カナダなどに移住していきました。

この時に、イギリスがアメリカ代表の議会への参加を認めていれば、今のアメリカ合衆国は存在しなかった可能性もありますね…。

2、アメリカの独立とコーヒー

先述の「ボストン茶会事件」(1773年)以後、紅茶はイギリスの象徴的なな飲み物だったことから、「紅茶を口にする=愛国者ではない」というイメージが広がってしまいました。
結果、アメリカでは紅茶よりもコーヒーを多く飲むようになったと言われています。

コーヒーにはカフェインが含まれていますが、このカフェインの作用の一つが「興奮」。
ほどほどの興奮はコミュニケーションを活発にします。
実は近代の「独立」の節目に現れるのがコーヒーです。

イギリス、そしてフランスでの革命前夜、人々が集ったのはロンドンのコーヒーハウス

そしてパリのカフェ
これらの場所が、革命運動発祥の地となりました。

ちなみに、パリで最初のカフェは1686年、シチリア人のフランチェスコ・プロコピオという人物が開いた「カフェ・プロコップ」と言われています。
ちなみに、現存します!

ロンドンのコーヒーハウスは、床屋だったジェームズ・ファーが「レインボー・コーヒーハウス」を1656年に開いたのが最初期の店とされています(異説あり)。
こちらは残念ながら現存しません。

当時のコーヒーハウスやカフェは、情報の集まる場所であり、社交場であり、議論の場でもありました。今のカフェとはだいぶ様子が違いますね。
(コーヒーハウスやカフェの歴史についてはまた別記事で)

そして、アメリカでも独立派の人々がボストンやニューヨークのコーヒーハウスに集っていたと言われています。
彼らは、コーヒーを片手に国のあるべき姿について熱い議論を交わしていたのでしょう。

革命とコーヒーには、意外に深いつながりがあるのです。


3、アメリカで生まれた紅茶もある

ここまでの話ですと、アメリカ人は紅茶嫌いなんだなぁ…と思うのですが、現在メジャーな紅茶のメニューの中に、実はアメリカ生まれのものがあります。
※諸説あるので、話のネタ程度にお読みください💦

それは、「アイスティー」

です。
アイスティーが生まれたきっかけは、1904年のセントルイスで行われた万国博覧会。
この時、万博会場は猛暑に見舞われていました。
当時はまだ紅茶はホットで飲まれていたため、茶商たちが用意した紅茶は全く売れません。

そこで、ひとりの茶商が…
「なら、冷やしてしまえば良いのでは!」
と考え、氷を入れて冷え冷えの紅茶を提供したところ、これが大ヒット。

ここから、「冷やして飲む紅茶」という当時の常識からはかけ離れた「アイスティー」という新たな飲料が誕生したのです。


そして実はもうひとつ、「レモンティー」もアメリカ生まれと言われています。
カリフォルニアの農園(レモンの名産地)で、紅茶にレモンを入れて飲む習慣があり、それが全米に広まったというもの。

ちなみに、日本ではサンキスト

が日本におけるレモン消費量を増やす為に、この習慣を、「カリフォルニア流、おしゃれな紅茶の飲み方」として女性誌に掲載したことがきっかけと言われています。

紅茶はボストン茶会事件以来、アメリカは紅茶嫌いなのかと思っていましたが、この2つの飲み方を生み出した辺り、アメリカの紅茶文化も意外に侮れませんね。

というわけで今回は、(ちょっと無理やりですが)アメリカ独立記念日とコーヒーと紅茶を結び付けてみました。
ご参考になれば幸いです!

サポートは、資料収集や取材など、より良い記事を書くために大切に使わせていただきます。 また、スキやフォロー、コメントという形の応援もとても嬉しく、励みになります。ありがとうございます。