高幡不動2

年を取った?否。大人になった。お互いに。

先日、父とゆっくり話をした。
節目に少し顔を合わせることはあるけれど、お互いに多忙でゆっくり話をする機会はよく考えたらもう何年も設けていなかった。

私の父は音楽家で、私が生まれた時から音楽一筋。
今は自分の音楽教室や文化センター、学校などで音楽を教えている。
私が生まれる前から教室を続けているのだから、気が付けば父が音楽教室を始めてから40年以上が経過しているのだ。
私も幼い頃は父に音楽を習っていた。教室では「若先生」なんて言われていた時期もある。
音楽の才能がないことは自分が一番よくわかっていたので、正直な所とても恥ずかしかった。

父と話をしてみて、改めてわかったことがある。
彼は何処までも感性と直感で生きている。そして懲りない、ブレない、気にしない、悲観しない。
よく考えたら私と真逆だ。私は今でも何処までも論理的に生きている。ブレないようには心掛けているけれど、懲りるし気にする、悲観することもある。意外に打たれ弱い。

私は中学~大学生の頃、父に強く反発していた。
自分とあまりに異質な存在に対する反発かもしれない。今でもその理由ははっきりわからない。
自分で言うのも何だが、学校では風紀委員、成績上位、クラス委員。いわゆる「模範生」だった。
そんな自分が自宅では父に反発する。暴れることこそしないが溢れ出る拒絶のオーラ。
しかし一方で、同居する祖母、そして母には普通に接していた。むしろ祖母には甘えていたかもしれない。
場所と相手によってこれほどまでに湧き出る感覚が違う、その多面性に私自身辟易としていたし、何故そんなことになるのか自分自身でもずっと解を求めていたと思う。今思えば「子供」だ。
読書好きだった私は心理学の本も読み漁ったし、色々な論文にもわからないながらも目を通してみたりもした。すぐ隣にあった大学の心理学の授業に「モグリ」をしたこともある(もう時効かな?)。
しかし、結局私なりの解は導かれなかった。

いつしか、私は父の何に反発しているのかわからないまま、彼の真逆の存在になろうと努力をしていた。
論理的に生きよう。こんなに「ブレる」感性や感情は必要ない。常に冷静沈着で凪のような精神状態を保つのだ。
音楽は音符の羅列で、空気の振動の集合体に過ぎない。そんな感性で過ごしていた。過ごそうとしていた。
父もそんな私に違和感を覚えていたらしく、結局数年間もほとんど話もしない日々を過ごした。

思い返せば、生徒~学生時代を通して私は一度も泣いたことがない。
喜びも悲しみも感じはしたが、決して涙を流さなかったし、どこかに冷めた自分がいてその姿を見つめていた。
私が涙を流したのは唯一、祖母が亡くなった時。
末期がんを患い、既にホスピスで緩和ケアを施されていた祖母は、医療麻薬で意識が朦朧とする中でも待っていてくれた。
待っていたものは、私の「卒業証書」。
私の中学受験~大学時代、一貫して支えてくれていた祖母は、大学の卒業証書を見た翌朝、日の出と共に眠るように亡くなった。
この時だけは泣いた。今まで泣かなかった分を取り戻そうとするかのように泣き続けたことを覚えている。

その後から、少しずつ感情や感性を取り戻した気もする。
父とも少しずつ話ができるようになった。
音楽も、「音符の羅列」ではなく「作曲家の感性」に思いを馳せるようになった。
その後の多くの出会いで私は感情と感性を取り戻していったと思う。
祖母の最後の置き土産は、ひとかけらの感情だった。
そのかけらを育てて、今は人並みの感情や感性は持てるようになった。多分。


父に、そんな私をどう思っていたのか聞きたいが、まだその勇気はない。
しかし、今回話していて、私の中で少し納得がいったことがある。
父は一貫して「人生は一度きりなのだから、やりたいことを全力で、継続することだね。」と言う。
言葉自体はありふれているが、40年以上実際にやりたいことを続けてきた人が言うと説得力がある。
本当に父はそれだけなのだ。裏表も含蓄もない。純粋に剥き出しのただそれだけ。
還暦もとっくに超えてなお、こんな純粋に生きている人がいるのか、とある意味羨ましくなったし、彼の生き方に対する否定的な感情は殆ど霧散した。

私は聞いてみた。「今からでも遅くないかね?」
父はニヤッと笑って「控えめに見てもあと40年あるんだから大丈夫でしょ。」
まあ確かに。平均寿命は80超えてますからね。
父は「俺はあと10年はやるよ。」…10年前に同じセリフを聞いた気がする。つまり死ぬまでやるってことですね。わかりました。
私は一応、「でも、無茶はしないように。年なんだから。」とくぎを刺す。
父は「はっはっは、そうだねー。」…流したな…昔からそう。「でも、昔みたいな無茶はしないよ。」…ふーん。でも最近もさ(ゴニョゴニョ)。
私は「頼むよ。色々あったからね。」…とため息をつきながら言った。

父は「ま、やりたいことがあったら手助けはするよ。これでも40年やってれば色々伝手はあるんだ。」
私は「実力つけたら頼むよ。実力なかったら紹介された方だって困っちゃうでしょう。最後の一押しの時は頼むよ。」

…別れ際、父が言った。
「しかし、こんな大人の話ができるようになったんだなぁ。私も年をとるわけだ。」…どういう意味だ(笑)
私の返しは「お互いに大人になったってことでしょ。えらく時間かかったけどね。」…無茶をしないようにする父、感情と感性を取り戻した私。歩み寄ったということだ。

父はニヤッと笑って手をひらひら振り、階段を下りて行った。
私は小さくため息をついて、行きたかったお寺のお参りに。私が幼少期に過ごした場所の大寺。
ここにお参りすると、昔の思い出が断片的に蘇ることがある。
実は、私はあまり幼少期(小学校高学年まで)の事を多くは覚えていないのだ。
あと40年か…と思いながら静かに本尊に手を合わせた。

過去は変えられないし消すこともできないが、これからの40年、やるべきことも見えてきた気がする。
大人になるまで40年かかったのか。でも、まあ悪くない。

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