無題

クサンティッペは「悪妻」か。

今日は、古代ギリシャの哲学者ソクラテスが、毒をあおいで亡くなった日です。
同時に、「悪妻の日」という何とも妙な日にもなっています。

ソクラテスの生涯や思想については

こちらの記事が読みやすいかな?
ソクラテスの思想を簡単に理解できるとすれば

こちらもとても参考になると思います。

さて、ソクラテスの業績が後世の思想に大きな影響を与えていることは言うまでもありませんが、実はソクラテスにはもう一つ、有名なエピソードがあります。
それは、妻のこと。

ソクラテスの妻は、クサンティッペ

(真ん中の女性)です。

作曲家モーツァルトの妻コンスタンツェ

さらに文豪トルストイの妻のソフィア

と並んで、「世界三大悪妻」などと呼ばれています。
悪妻の日というのは、このクサンティッペにちなんだ日ということですね。

1、クサンティッペについての逸話

長らく「悪妻」の代表格として名を馳せてきたクサンティッペ、その逸話は多く伝わっています。

とにかく「口うるさい」ことこの上なかったと言われており、その名残は英単語に残っています。
英語で「口やかましい(口が悪い)女性」は「Xanthippe」というのです。

・ソクラテスに頭から水(尿とも)をぶっかける
・広場で取っ組み合いの喧嘩になり、ソクラテスの上着を剥ぎ取る
一日中、ソクラテスの悪口を触れ回っている

など、これだけ見るとまあ、とにかく暴力的でヒステリックで陰湿。
哲学者ソクラテスはその仕打ちに耐える哀れな夫で…というイメージがあります。

弟子のプラトン

が、ソクラテス側から見たこれらの行状を著書『パイドン』で記録に残しているため、クサンティッペの悪妻イメージは不動のものとなって伝わりました。

ソクラテスはといえば

・水をかけられた後、「雷の後には雨がつきものだ」と平然と語った
・取っ組み合いの喧嘩で、ソクラテスは上着をはがされそうになっても抵抗しなかった
「セミは幸せだ。なぜなら物を言わない妻がいるから」と語った
「ぜひ結婚しなさい。よい妻を持てば幸せになれる。悪い妻を持てば私のように哲学者になれる」と弟子に説いた
「この人とうまくやっていけるようなら、他の誰とでもうまくやっていけるだろうからね」と離婚を勧める友人に言った

など、何とも悟りを開いた夫…というイメージです。


2、クサンティッペの言い分?を聞いてみる

プラトンの記録を見れば、確かにクサンティッペの悪行三昧はひどいものがあります。
しかし、もう少し視点を変え、なぜクサンティッペはソクラテスに対してヒステリーを起こしたのかを考えてみます。


・ロマンティックではない歳の差婚

当時のギリシャでは、30代の男性と15歳くらいの女性が結婚することが通例だったようです。
つまり、15歳~20歳くらいの年の差婚は普通だったことになります。

しかし、ソクラテスの場合を見ると…

70歳でソクラテスが死んだ時
クサンティッペとの間には、下は3歳、上は18歳の子供がいた。
となっています。
そう考えると、ソクラテスは50代前半、クサンティッペは15歳くらいで結婚、つまり35歳くらい歳の差があったことになります。

ソクラテスは元レスラー

です。
若い頃は歴戦の勇士として多くの武功を挙げたとも言われます。
ただ、さすがに50代ともなれば衰えは隠せず、結婚した時はおじさんというよりおじいさんに近かったと考えられます。

また、当時のモテる基準は「容姿」と「知性」だったようですが、ソクラテスについては前者について褒めた記録が見当たりません。
つまり、お世辞にもイケメンではなかったらしい…ということですね。


・「プータロー」のソクラテス

さらに、ソクラテスは「哲学者」「弁論者」として有名ではあるのですが、その行動を見ると

・街中を歩き回り、賢者と思われる者を見つければ捕まえて、議論を吹っ掛ける
・彼らの無知を暴き、相手と自分の知を吟味し続ける

ことを、「神から与えられた使命」としてひたすら実行しています。

…よく考えると、これって「仕事」なんでしょうか?
つまり、これをやることで、ソクラテスの家庭は何か収入につながっているのでしょうか?

結論から言うと、仕事ではないので、全くお金になりません。
事実、ソクラテス自身が

「私は公事においても私事においても、言うに足るほどの成果を挙げる暇もなく、神への奉仕の事業のために極貧の内に生活している

と述べてしまっています。
悪く言えば、

「極貧の家庭を顧みず、一日中街をブラブラして、目についた人に議論を吹っ掛けるプータローのおじいさん」

ということになります。
これ、奥さん怒りませんかね…?(笑)

さらにソクラテスは美女と美少年に目がない(悪く言えばスケベ)人でもあり、そういった人がいるという噂を聞きつけると、ふいっと姿を消してしまいます。
ここまで来ると、クサンティッペの堪忍袋の緒が切れない方が不思議な気もします…(笑)

つまり、ソクラテスも負けず劣らず「悪夫」だったと言えそうなのです。


3、それでも不思議な2人の相性

2人についてのネガティブエピソードは多々あるのですが、では2人は本当に憎みあうほど仲が悪かったのでしょうか。

ソクラテスの言葉の多くは、クサンティッペのやり方について彼なりに納得しているようにも見えます(彼自身の非を認めているのかも)。
これだけの揉め事がありながら、2人は離婚するでもなく、別居するわけでもありません。
そして、不思議なことに、齢70にして捕らわれたソクラテスの身を案じて、クサンティッペが取り乱したという記録もあるのです。

そもそも、15年間に渡り3人の子供が生まれているわけでもあり、両者の間が憎しみで支配されていたと考えるのは無理がありそうです。

つまり、クサンティッペの「悪妻」イメージは、ソクラテスの弟子(プラトン)という第三者が夫婦の関係を部分的に見たものに過ぎず、非常に偏った人物評だったとも考えられます。

違う見方をすれば、「こぉんのバカ亭主!」とやるクサンティッペの行動も、ソクラテスに対する愛情の裏返し?そして、それを受け入れるソクラテスにも、外部からはうかがい知れないクサンティッペに対する愛情があったんだろうなぁ…と。
「喧嘩するほど仲がいい」を地で行く夫婦だったのかもしれません。


というわけで、今日は「悪妻の日」。
他にも日野富子など、悪妻と言われる女性は歴史的に存在しますが…その実像を見ると、かなり一方的な評価であることも少なくありません。

特に夫婦の関係は、お互いがどう思っているか…これに尽きるような。
第三者には伺い知れない、不思議なつながり、相性もあるのではないでしょうか。

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