無題

人類が得た神ならぬもの

今日は、8月9日。
1945年8月6日の広島に続き、長崎に原子爆弾が投下された日です。

プルトニウム型原子爆弾、通称「ファットマン」は、長崎上空で炸裂。
およそ7万5千人の命を奪い、負傷者数もほぼ同数だったと言われています。
当時の長崎の人口がおよそ24万人ですから、市民の6割以上が死傷するという凄惨な状況でした。

原子爆弾をはじめとする核兵器は、人間が手にしてしまった悪魔の兵器。
そして、その核兵器を生み出した科学者たちは、その後、激しい後悔の念にさいなまれ続けることになりました。

人類を飛躍させた偉大な発明を行った発明家・科学者の、その後の悲しい生涯・言葉を今日は挙げていきたいと思います。
彼らは人類に平和を、繁栄をと願ったにも関わらず…。
彼らの遺志を知り、過ちを繰り返さないことは、彼らに報いることにもなると私は感じています。

①「死」の綽名を冠した男

スウェーデンの発明家、アルフレッド・ノーベル

彼は若い頃から天才として名高い人物でした。
彼の功績の中で最も大きなものは、ダイナマイトの発明。
その発明の動機は、彼の弟の死にありました。
彼の弟エミール

は、1864年9月3日、ニトログリセリンを用いた実験中の事故で死亡したのです。
同時に助手5人が死亡、アルフレッド自身も負傷しています。
ニトログリセリンは、当時は正しい取り扱い方法が確立されていなかったため、多くの爆発事故を引き起こした危険な物質でした。
その後、ノーベルはニトログリセリンを安定させる技術の確立に心血を注ぎ、開発したのがダイナマイトでした。
ニトログリセリンを珪藻土にしみ込ませ、雷管を使用することで爆発のタイミングを制御することに成功したのです。

彼は、ダイナマイトを開発することで、世の中に平和がもたらされるとも考えました。それは、彼の言葉にも表れています。

「おそらく私の工場は議会よりも早く戦争に終止符を打つだろう。その日、両軍の部隊は一瞬でお互いを殲滅させる力を手にいれる。あらゆる国民国家が恐れおののき、軍隊を解体するにちがいない」

しかし、彼の予想は的中しませんでした。
ダイナマイトの兵器としての有用性に気づいた軍隊は、こぞってダイナマイトを兵器として使用するようになります。
結果として、戦争での死傷者、そして破壊のレベルは桁違いに拡大していきます。

彼はダイナマイトの発明により、巨万の富を手にすることになりました。
しかし、世界は彼の理想とは逆の方向に走り始めてしまったのです。

そして、1888年4月12日、アルフレットの兄、リュドビックの死をアルフレッドの死と取り違えたあるフランスの新聞が、このような見出しを掲げました。
「死の商人、死す」
そして、その記事には
「それまでにない速やかさで人々の命を奪う方法を見つけ出し、そのために大富豪となったアルフレッド・ノーベル博士が昨日死亡した」
と書かれていました。

この記事に大きなショックを受けたノーベルは、死後に自分がどのように記憶されるかを意識するようになりました。
それが後のノーベル賞創設に繋がります。
遺言によりつくられたノーベル賞の5部門の中に平和賞が含まれているのは、ノーベルの強い意志の表れですね(他4部門は物理学賞、化学賞、生理学・医学賞、文学賞)。

彼の遺言は
「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする」

全ての財産を世界のために捧げると言い残したノーベル。
結果的に数多くの人の命を奪ってしまった、彼のせめてもの贖罪の意志の表れだったのでしょうか。

②人類は翼を得、そして…

ライト兄弟の弟、オーヴィル・ライト

兄、ウィルバー

と共に成し遂げた、人類初の有人飛行は、人類史に燦然と輝く偉業です。

彼らは、飛行機は人類の平和と繁栄のために利用されるべきと考えていました。
しかし、気球と違い自分で飛行をコントロールできる飛行機は、軍にとって新たな兵器となりました。
当初は、気球と同様、主に観測・偵察用。偵察機同士が遭遇しても、お互いハンカチを振りあって挨拶をする、という様子だったのですが…。

それは、「空爆」
飛行機は、偵察だけではなく爆弾を積んで、目標地点に上空からそれを投下するというかつてない戦い方を可能にしました。

それにより、今まで戦いは原則として「軍隊同士のもの」でしたが、後方にも常に攻撃の手が及ぶようになります。
(前線が突破されなくても、後方の都市などが攻撃される)
例としては、ドイツ帝国の爆撃機ゴータ G.IV

が、ロンドンを空爆したケースなどがありました。
さらに、前線では塹壕を空爆し、破壊することも行われたようです。
飛行機の兵器利用により、第一次世界大戦では民間人も含めた死傷者数が膨大な数に上りました。

これを目の当たりにしたオーヴィルは、以下のように語っています。
「飛行機が戦争を恐ろしいものにしました。再び戦争をしたいと思う国が存在するとは思えないほどに。」

しかしその後、彼はこのようにも語っています。
「飛行機は政府にそれが持つ破壊の力を知らしめ、結局ところ平和を維持する強力な道具となりました。」

彼は、破壊の大きさに衝撃を受けながらも、これほどの惨事を目の当たりにした人類は、同じ事を二度と繰り返さないだろうと信じたのでしょう。
実際、第一次世界大戦後しばらくの間は、「協調外交」として、各国が平和のために協力、軍縮を行うという国際関係が続いていました。

しかし、彼の期待は裏切られることになります。
第二次世界大戦。そこでは、さらに進化した飛行機が戦場の主役として数多くの人々を殺戮していきます。
彼はもはや、自分の発明した飛行機が人々を殺戮する事態が変えられないことを確信し、絶望しました。

彼は死の直前、このように語っています。
「私たちは、浅はかにもこの世に長い平和をもたらしてくれるような発明をと願っていました。ですが、私たちは間違っていたのです。」

彼の写真のどこか物憂げで悲しげな表情が、その気持ちを物語っているようです。

③原爆の「もうひとりの父」

「原爆の父」と言えば、アメリカ政府に原子爆弾の開発を提唱したとされる天才科学者、アルベルト・アインシュタイン

アインシュタインはユダヤ人であり、ナチス・ドイツに迫害を受けた経験を持ちます。
ナチスによる核開発の動きを知った彼は、ナチスの核による世界制覇を阻止するため、アメリカに抑止力(場合によっては先制使用)も視野に、核開発を行うよう提言、そうして始まったのが「マンハッタン計画」でした。
しかし、彼が、日本への原爆投下を知り(アインシュタインをはじめとするユダヤ人たちは、外交官杉原千畝らに対する恩義の念もあり、日本に対する使用計画に強く反対していました)そのことを激しく後悔、その後平和運動に身を投じたことは比較的よく知られています。

そして、原爆の父と言える人物がもう1人。
その人物の名は、ジュリアス・オッペンハイマー

彼は優れた物理学者であり、アメリカのロスアラモス国立研究所の初代所長として「マンハッタン計画」に参加しました。
そして、彼は核爆発の核心技術である「中性子連鎖反応」の研究を行いました。
そして、 1945年7月16日、ニューメキシコのトリニティ実験場で、人類初の核実験、「トリニティ実験」が行われました。

その爆発はTNT火薬18000トン相当。
そのあまりの威力の大きさに、オッペンハイマーは衝撃を受けました。
後に、その時の心境をこのように語っています(彼はヒンドゥー教の世界観に影響を受けていました)。
「世界が変わってしまうことに気がついていました。何人かが笑い、何人かは泣いた。が、ほとんどは黙ったままでした。ヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』の一節にこうあります。『ヴィシュヌは王子に義務を果たすよう説得するため恐ろしい姿に変身し、『我は死神なり、世界の破壊者なり』と語った』と。私たち全員がそれぞれにそんなことを考えたのではないでしょうか……俗っぽさも、ユーモアも、誇張でも消すことができない身も蓋もない意味で、物理学者は罪を知りました。これを拭い去ることはできません。」

核開発を成功させてしまった自分を「死神」に例え、極めて抑制的な表現ながら後悔の念を表したと言われています。

その後のオッペンハイマーは、原爆の国際的な管理を訴えるようになり、やがて原子力委員会のアドバイザーに就任しました。
しかし後年、「水爆の父」エドワード・テラー

との対立、さらに共産党とのつながりから、大戦後、冷戦期の「赤(共産党員)狩り」の対象となり、公職から追放されてしまいました。

彼はその後も、原爆開発に関わったことを悔やみ続けたと言われています。

④最後に…

これは、2010年8月の日経サイエンスの記事です。

人類が生み出してしまった悪魔は、人類の手で葬らねばなりません。
かつて、核開発を進めるナチスドイツに対する抑止力を先んじて持とうと、「マンハッタン計画」で原子爆弾を生み出したアメリカ。

しかし、その結果、日本に核兵器が投下されることになりました。
抑止力と考えていても、力も持てば何らかの形でそれが使われることになる…ということは、今までの歴史が証明しています。

ヒロシマやナガサキを経験した日本だからこそ、声高に提唱できることがあるのではないでしょうか。

最後に、アルフレッド・ノーベルの言葉を紹介しておきたいと思います。
「この世の中で悪用されないものはない。科学技術の進歩はつねに危険と背中合わせだ。それを乗り越えてはじめて人類の未来に貢献できるのだ。」

人類は「乗り越えられる」と信じて。

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