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「1」が「2」になり、夢が現実になった日

この時期になると、ふと思い出す一人の卒業生がいます。

彼には夢がありました。
それは、彼の祖父がそうだったように、自分も警察官になること。
そしてそのために、祖父と同じ某国立大学の法学部に行きたい、と常々語っていたのです。

私は授業と進路指導の担当者として、そんな彼の熱意を微笑ましく受け止めていました。
実は、私がかつて持っていた夢と全く同じだったので、昔の私を見ているようで余計に微笑ましく思ったのかもしれません。
しかし同時に、実は心の中では彼の不器用さに一抹の不安も感じていました。


彼はとても真面目なのですが、完璧主義が祟って要領があまりよくない…つまり、学習に非常に時間がかかるのです。
5教科7科目(+α)という受験科目数を考えると、その不器用さはかなり不利に働くだろうと心配していたのですが…その悪い予感は的中します。
彼はセンター試験で思うような点が取れなかったのです。


合格ラインまで程遠い状況に対して、学年主任や担任、進路担当(私)はいくつかの突破口を考える必要に迫られました。
我々の結論としては

①別の大学の法学部を勧める
②同じ大学の別学部を勧める

を、三者面談の中で考えさせるしかないだろう、と…。
事情があり、彼は浪人を許してもらえそうにありません。
しかも、ほとんど私立も受験できない。
その他にも案はありましたが、前提条件を考えればこの二択だろうと私も考えました。
警察官という夢を考えれば、①が現実的。
国立、とりわけ旧帝大は、センターで高得点を取る「先手必勝・逃げ切り」が定石。
受験者の学力も高く、二次試験で大きな差がつきづらい分、逆転することは容易ではありません。

当初は希望通り受験を…とも考えましたが、データを見ると彼の点数から合格した人数は、過去かなりの年数を遡ってもに1人だけ。
しかも、その下の点数では合格者はゼロ。
文字通り、「奇跡の大逆転」を起こした受験生が過去に1人いるのみでした。
浪人できない状況でとても「やってみろ」とは言えないデータ(現実)が目の前にありました。


そして三者面談の日。
彼もある程度何を言われるか予想をしているのでしょう。
重い雰囲気で面談が始まりました。

そして開口一番、彼が口にしたのは
「第一志望は変えません」
でした。

我々も重い口を開きます。
「気持ちはわかるが…このデータを見てくれ。どう思う?」

彼は、暫くデータを見て、そしてまっすぐ我々を見つめながら言いました。
「一人、過去に一人合格してますよね…。」

我々は黙って彼の言葉を待ちました。
もしかしたら、私自身もその言葉を一番望んでいたのかもしれません。

「俺が二人目になります。」

私は彼の眼をじっと見つめて言いました。
「過去に言ったと思うが、「合格したい」と考えているのは誰もが同じ。それだけで自分の道を決めようとするのは「夢見る高校生」だ。」

「君の選択は、言い方は悪いが、「夢見る高校生」の選択だ。浪人が許されない状況では正直な所、取るべき選択ではないとも思う。」

「…改めて聞きたいのだが、君はその「夢」を実現するために、あり得ないほどの困難に立ち向かう覚悟はあるのかい?」

彼は、躊躇なく頷き

「絶対にやり抜きます。」

と短く答えました。
保護者の方は何も言いません。小さくため息をついただけで、ただじっと彼を見つめていました。
ここに来る前に話し合いをしていたのか、それとも彼の決意は揺るがないと察したのか。

彼の決意を見て、我々も覚悟を決めました。
普段なら、いや、それでももう少し考えろと言う所でしたが…何故か「彼ならやれる」と感じたのです。
「やってみろ。必要な支援は何でもする」


その日から前期試験の日まで、彼は職員室脇のテーブルで、朝8時前から、最後の先生が帰宅するまでの間、一心不乱に勉強に打ち込んでいました。
(1月から、高3は授業はありません)
職員室の近くにいたのは、彼曰く「いつでも質問できるように」だったそうですが。
我々も、演習問題を提供したり、アドバイスをしたり…できるだけのことはしました。


そして、国公立前期試験合格発表の日。
職員室の電話(本来、外線は事務室経由なのですが、その職員室には特別に外線直通がありました)の前には緊張の面持ちの教員たち。

一本、また一本と電話がかかってきます。
先にかかってくるのはやはり「合格」の連絡です。
担任が代わり、「おめでとう!」と祝福するやりとりが幾度となく繰り返されました。

そして、後の方になると…そうではなかった生徒たちからの連絡が入り始めます。
担任も鼓舞したり、慰めたり、生徒たちの性格によって色々な声掛けをしていました。
しかし、そんな中でもまだ「彼」からの連絡はありません。

夕方に差し掛かるとかかってくる電話もほとんどなくなり、皆もやや諦めムード。
私も「あの時、説得すべきだったか…」と後悔を始めていました。

その時、一本の外線が入ります。
近くにいた教頭が取り…
「もしもし?こんにちは。」
「ん?あ?え?ちょ、ちょっと待って。担任に代わる。ちょっと待って。いるから、今代わる。」

いつも冷静沈着な教頭が慌てる光景に、皆、「?」という雰囲気に。
「?」という顔をしたまま担任が代わり…

「はい、こんにちは!…ん?お??…………」

絶句する担任。
不審に思って顔を覗き込むと…
涙と鼻〇でぐちゃぐちゃ。うわ、すごい顔。
慌てて箱ティッシュを顔下に滑り込ませるも、彼はそれどころではない様子。

「おめでとうーーーーーー!!!!」

だから、〇水を何とかしなさいって。

そう。彼からの電話。何と合格。
誰かがスピーカーモードに切り替え、歓喜にあふれる彼の声が我々にも届きました。
頬をつねってみたけれど消えなかったから間違いない、と。そこは古典的なのね…。

でも、正直私も少しほろっとしました。
私が最後に涙が出たのは祖母が亡くなった時。よく考えたらおよそ15年ぶりでした。
もちろん他の生徒の合格も嬉しかったのですが、彼の合格の喜びは私も含め、皆ひとしおだったようです。

彼はやり遂げたのです。
そして翌年から、あの場所の数字は「1」から「2」に変わっていました。

あの数字を見て、また誰かが勇気を奮い起こして挑戦するのかな?と、今でもふと気になる時があります。

全ての人が彼のように大逆転をつかみ取れるわけではないけれど、彼のように諦めずに必死に頑張ることで開ける未来が必ずある、と再認識させてくれたことも確か。


ちなみに連絡が遅かったのは

・怖くて、発表を見れたのが発表時刻から2時間後だった
・嬉しすぎて親戚中に電話、家族皆でハイタッチして大興奮、ダッシュで祖父の墓前に報告

とやっていたら、学校に連絡することが頭からすっ飛んでいたからとのこと。本人も保護者も平謝り。
まあ、いいですけどね。気持ちはわかります。


そんな彼も大学を卒業し、警察官として勤めているとのこと。
あれだけの事を成し遂げたのだから、もう怖いものなんてないでしょう。
これからも頑張ってくださいね。

そして受験生の皆さん、まだまだこれからです。
「夜明けの前が一番暗い」のです。
今、目の前に広がる夜陰、その先には光が待っています。
走り続けましょう。耐え抜きましょう。永遠に続く闇などありません。
皆さんの「夜明け」はもうすぐです。

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