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ハイドランジア・オタクサ

1823(文政6)年の旧暦7月6日は、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796年2月17日 ~ 1866年10月18日)

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が来日した日です。
当時の日本が外国に対して開いていた「四口」

長崎口:対オランダ・清
対馬口:対李氏朝鮮
薩摩口:対琉球王国
蝦夷口:対アイヌ

のうち、長崎口、オランダ商館付きの医師として彼は来日しました。

オランダ商館は、長崎の「出島」

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という周囲6㎞ほどの扇形をした人工島にあり、島は長崎の町とは隔離されていました(橋一本でつながっていた)。
しかし、好奇心と探求心旺盛なシーボルトは、狭い出島にとどまることなく、積極的に外に出ようとします。

シーボルトは、長崎郊外の鳴滝に幕府の許可を得て「鳴滝塾」を設立します。
彼は、ここで医療活動、そして西洋医学の教育活動を行いました。
同時に、全国各地から集めた薬草の栽培を行うなど、日本の植物サンプルの収集に努めました。
ちなみに、門下生には高野長英

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など、後に蘭学者として名を馳せる人物もいました。

そんなある日、シーボルトはある日本人女性と恋仲になります。
女性の名は「楠本瀧」。当時16歳でした。

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元は長崎の材木商の娘でしたが、実家の没落で遊女になったとも、出島に入るために遊女に身をやつしたとも言われています(諸説あり)。
当時、出島に出入りできる日本人は役人と遊女だけでした。
瀧は、シーボルトが日本の植物を収集していると知り、アジサイをプレゼント。シーボルトはそれを出島に根付かせたと言われています。
以後、瀧とシーボルト親密さを増していき、出島で同棲するようになりました。

そして生まれたのが娘の「いね」です。
(いねはその後、日本初の産婦人科医となり、「オランダおいね」と呼ばれました)

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シーボルトと瀧は、仲睦まじい生活を送っていましたが、一つの事件が二人の運命を急転させます。

それは「シーボルト事件」
帰国の途に就いた(3年後に再来日する予定だったと言われています)シーボルトの船が遭難し、流出した積み荷の中から禁制の地図(大日本沿海輿地全図)や、葵のご紋が入った羽織などが見つかったのです。
結果としてシーボルトは国外追放処分となってしまいました。
1829(文政12)年12月、シーボルトは日本を離れます。
その時持ち出した資料は、文学的・民族学的コレクション5000点以上のほか、哺乳動物標本200・鳥類900・魚類750・爬虫類170・無脊椎動物標本5000以上・植物2000種・植物標本12000点にも上る膨大なものだったと言われています。
彼が再び日本の土を踏むのは、日本の開国後、1859(安政6)年のことです。

彼は帰国後、日本で得たその膨大な知識とデータを注ぎ込んだ『日本』を著しました。
『日本』は、その後、ヨーロッパにおける日本研究のバイブルとして長く活用されることになります。

さらに、収集した植物の押し葉標本12000点を基にして、ヨーゼフ・ゲアハルト・ツッカリーニと共著で『日本植物誌』を刊行します。
そこで彼らは、多くの日本固有の植物に学名をつけていきました。
ちなみに、植物の学名で命名者が「Siebold et Zuccarini(Sieb. et Zucc.)」とあるのは、彼らが命名したものです。

彼がこの中で名を付けた植物の一つにアジサイ

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があります。
彼らがつけた名は「Hydrangea otaksa Siebold et Zuccarini」
Hydrangeaはギリシア語で「水の器」を意味します。
そしてotakusaは…??
これは諸説ありますが、一つの説として「お瀧さん」の名を付けた、というものがあります。

ただ、既に別の学名がカール・ツンベルクによってつけられていたことから、この名は正式な学名とはなりませんでした。
(今のアジサイの正式な学名はHydrangea macrophylla(大きな葉))

しかし、もし彼がアジサイに瀧の名をつけようとしたなら、なかなかロマンティックなお話ではないでしょうか。


ちなみにシーボルトは、「出島三博士」のひとりとされています。
後の2人は

エンゲルベルト・ケンペル
(ドイツ出身の医師・博物学者。『日本誌』を著した)

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そして先述のカール・ツンベルク

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(スウェーデンの植物学者、博物学者、医学者)
です。

そしてさらにおまけ…。
アジサイの語源は
「青い花が集まっている」
という言葉から来ているとされています。
「あづ=集」 + 「さい(真藍)」  
→「あづさい」が「アジサイ」に転化したとか。

というわけで、今日はシーボルトとアジサイの関係について書いてみました。
アジサイ自体は万葉集の時代にも登場する長い歴史がある植物ですが、こんなエピソードもあったりします。
皆さんの話のネタ、ご参考になれば幸いです!

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