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「国立銀行」設立の日

1873(明治6)年6月11日は、「第一国立銀行(現在のみずほ銀行)」が設立された日です。

創立者は渋沢栄一

明治期を代表する実業家ですが、実は商人ではなく農民(名主)出身です。
(ただ、幕末には名主も商業に携わるケースが多かったのですが)
江戸時代末期に幕臣となりましたが、明治政府のもとで大蔵大輔・井上馨の下で財政政策を行いました。
身分や敵味方を超えて重用されたあたり、極めて優秀な人物であったことが伺えます。
退官後は実業家に転じ、第一国立銀行や理化学研究所、東京証券取引所といった多種多様な企業の設立・経営に関わりました。

その功績から「日本資本主義の父」とも言われ、2024年の新紙幣(1万円札)の肖像となることも決まっています。


1、第一国立銀行は、「国立」なのか

これは、高校の日本史でもたびたび指摘されるところで、もしかしたらご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。

ここで言う「国立銀行」とは、言葉としてはアメリカの「National Bank」を直訳したもの。
「国の法律(国立銀行条例)によってつくられた銀行」という意味で、「国が作った銀行」ではありません。設立はすべて民間によるものです。

なお、国立銀行は設立順に番号がついていました。
これを「ナンバー銀行」といい、七十七銀行など、現在もそのままの名称を使っている銀行があります。


2、なぜ「国立銀行」をつくったのか

元々政府の役人であった渋沢栄一が第一国立銀行の設立に深く関わっていることからも、この銀行は政府の意向を反映した存在であったことは想像に難くありません。
この銀行の設立に、どのような政府の意向が絡んでいたのかを見てみましょう。

日本が国立銀行を設立した当初の主な目的は
「多種多様かつ大量に出回った不換紙幣の整理(兌換紙幣への交換)」
です。

・兌換紙幣
正貨(一般的には金。銀のこともある)との交換が保証されている紙幣のこと。紙幣の価値は正貨によって保たれているが、発行元の正貨保有量が紙幣発行数の上限になるという制約もあります。
例えば、正貨を金として紙幣を発行しているシステムは「金本位制」という。
・不換紙幣
正貨との交換が保証されていない紙幣のこと。紙幣の価値は、発行元の信用や経済力によって保たれる。発行枚数に上限はないが、枚数が増えれば一枚あたりの価値は下落していく。

※紙幣は、元々交易などで大量の正貨(金貨など)を持ち歩く煩わしさやリスクを低減するために作られたという歴史的背景もあり、近代までは兌換紙幣の存在はかなり一般的でした。

江戸時代といえば、金貨・銀貨・銭貨

など、金属の貨幣が流通している印象が強い(「三貨制度」といいます)ですよね。
あまり「不換紙幣」が大量発行されているというイメージがなかったはずですが、明治初期にかけて、国を揺るがすほどの大量の不換紙幣がどこから湧いて出たのでしょうか。


3、国を揺るがす大量の「不換紙幣」

明治初期、大量の不換紙幣が出回っていた原因は主に2つあります。

①明治政府による「太政官札・民部省札」の大量発行
②江戸時代に発行された「藩札」などが流通している

まず、①について。
明治政府は、戊辰戦争に勝利しましたが、いくつかの大きな問題を抱えることになりました。

・多額の戊辰戦争の戦費をどう支払うのか
・殖産興業政策などの諸政策を実行する費用をどう賄うのか

です。
その問題を解決するために、由利公正

の建議に従い、1868年に流通期間を限定した不換紙幣を発行します。
それが太政官札と民部省札

です。

しかし問題は、不換紙幣は「発行元の信用」で価値が決まるということ。
明治政府は、戊辰戦争に勝利したとはいえまだその基盤は貧弱。
徳川家も滅亡したわけではありませんし、各地には雄藩も健在でした。
つまり、明治政府が今後も存続するという保証はどこにもなく、世間からの信用は低い状態でした。

その状態で大量の不換紙幣を発行すれば、その価値はどんどん下がっていきます。
しかも、各地で偽札が大量に作られる始末。
結局、明治政府が発行したこれらの不換紙幣は額面通りの価値を持たず、国内経済の混乱を招きました。
また、明治政府が新たに鋳造した金貨や銀貨まで贋金が流通。
諸外国との貿易にまで悪影響を及ぼし、苦情が殺到する事態になりました。


そして、②について。

江戸幕府が滅亡したからといって、江戸時代のシステムが即座に消滅したわけではありません。
明治時代に入っても、江戸時代の貨幣制度はまだ存続していました。

江戸時代中期以降、国内の貨幣流通については田沼意次

の時代における南鐐二朱銀の鋳造

など、計数貨幣への統一が図られたりもしましたが、結局国内で貨幣制度が統一されていないばかりか、地域ごとに諸藩が発行する「藩札」

や、豪商などが発行する地域通貨が各地に多数流通している状態でした。
これは、江戸時代を通して慢性的な貨幣不足に悩んでいたことも理由です。
地域通貨を補助通貨として使用していたんですね。

※ちなみに、江戸時代の貨幣制度は
東が「金遣い(金貨は計数貨幣=4進法で数をカウント)」
西が「銀遣い(銀貨は秤量貨幣=重さをカウント)」

という複雑なシステムでした。なぜそのような制度を取ったのかについてはまた別の機会に…。

これらの複雑な通貨システムを一新し、近代国家としての一歩を踏み出すため、明治政府は全国共通の通貨制度を整えることにしました。
それが1871(明治4)年に、円・銭・厘を基準とする新しい通貨制度をつくりました。新貨条例です。
計数方法は、これまでの4進法に代わり欧米と同じ10進法が用いられました。

新貨条例では、他の近代国家の例に倣い、金本位制を目指しました。
つまり、最終的に兌換紙幣の発行を目指していたのです。

明治政府が発行した1円金貨

は、旧1両、そして1アメリカドルと等価とされました。
これはわかりやすいですね。

そして、雑多な紙幣などを回収し、基準を円に統一するために明治政府は明治通宝

を発行します。これは不換紙幣です。
最初は、国内の通貨を円に統一することを優先したため、兌換紙幣の発行までには至りませんでした。
ドイツで印刷されたため、通称「ゲルマン札」とも言います。

そして、その次の段階、兌換紙幣の発行についてですが…ここで一つの論争が発生します。
当時、世界各国の銀行制度には、大きく2つの種類がありました。

①イギリス型=中央銀行制度(現在の日銀制度はこれです)
②アメリカ型=分権方式銀行制度

です。
どちらを採るかについて、政府内に論争が巻き起こったのです。
①を推すのは当時の大蔵少輔吉田清成(薩摩藩出身)

②を推すのは伊藤博文(長州藩出身)

でした。
結局、伊藤がこの論争に勝利し、分権方式の銀行制度がスタートします。

1872(明治5)年、明治政府は明治通宝の流通を禁止し、国立銀行券(兌換紙幣)に切り替えるべく国立銀行条例を制定するのです。


4、国立銀行の設立と挫折

紙幣を発行する権利を持つ民間銀行としてスタートした国立銀行ですが、発行できるのは「兌換紙幣」です。
つまり、銀行に相応の正貨(金銀)の蓄えがなければ紙幣を発行することができません。
そんな莫大な資金力を持つ人がそうそういるはずもなく、当初設立されたのはたった4行でした。
たった4行による紙幣の発行では、政府が想定していた量には到底届きません。国内の紙幣量が不足することは、経済活動に支障をきたします。
政府は、早急に紙幣発行量を増やす対策を打つことを迫られます。

明治政府は1876(明治9)年に国立銀行条例を改正しました。
国立銀行の設立条件を緩和したのです。改正内容をざっくりまとめると…

・銀行の資本金に、金禄公債証書を加えて良いことになった
・兌換義務はなくした(銀行は正貨をストックする義務はなくなった)
・資本金の8割まで紙幣の発行を許可した

です。

※金禄公債証書
明治政府が華族・士族などの秩禄廃止のため秩禄処分の最終措置として,1876(明治9)年8月の金禄公債証書発行条例に基づき、有禄者に与えた交付公債。
つまり、明治政府が秩禄(お給料のようなもの)を廃止する代わりに、退職金のようにまとまった金額を支払うと約束した書類のことです。

現金ではないのですが、お金に近い価値を持っていたこの金禄公債証書で銀行に出資して良いことになったのです。

基準が緩くなった国立銀行は法改正直後に乱立、何と153行にまで増えてしまいます。
しかも、改正後に発効される貨幣は、正貨への交換が義務付けられていないのですから「不換紙幣」です。
状況はまた、不換紙幣が大量に出回る状況に逆戻りしてしまいました。

更に悪いことは続きます。
1877(明治10)年に発生した西郷隆盛の反乱、西南戦争。

戦費調達のため、政府が再び不換紙幣を発行してしまったのです。
このことにより、「統一通貨」という前提まで崩壊してしまいました。


5、そして日本銀行へ

この状況を変えるべく奮闘したのが、大蔵卿松方正義

松方は、これまでの分権型銀行制度の大改革を断行します。
1882(明治15)年に、中央銀行として日本銀行が設立されました。
さらに翌年、国立銀行条例を再改正。国立銀行の発券業務は停止し、普通銀行としました。
まずは、イギリス型の中央銀行制度を採ることで通貨の統一を取り戻そうとしたのです。
さらに、「松方財政」と呼ばれる徹底した緊縮策により、通貨流通量を減らしていきます。
この政策はデフレという強い副作用を生みましたが、80年代半ばには紙幣流通量と正貨の保有量が一致し始めます。
そこで政府は、1885(明治18)年、ようやく紙幣を兌換紙幣である「日本銀行券」

に切り替えることに成功したのです。
当初の日本銀行券は、金の保有量の不足から銀兌換でした(銀本位制)。
日本が金本位制に移行するのは、日清戦争で清国から多額の賠償「金」を得てからの事です。


6、おまけ

ちなみに、第一国立銀行は「日本最初の株式会社」と言われています。
日本最初の株式会社はどれかということについては諸説あり、

・坂本龍馬設立の亀山社中(1863年)
・早矢仕有的設立の丸屋商会(1869年)
・渋沢栄一設立の第一国立銀行(1873年)

が有名どころです。
第一国立銀行は、設立年こそ他の2社に比べて遅いですが、株券の発行、取締役や会計など、株式会社として法的に正式な制度を整えた最初の会社と言われています。

また、第一国立銀行創業の地は「兜町」です。
この場所、東京証券取引所の所在地でもありますね。
渋沢栄一が、日本の金融センターとして拓いた町、兜町。
彼の願い通り、兜町は東京証券取引所を中心に、世界有数の金融センターとして今日も活気に溢れています。

というわけで、今日は日本の国立銀行設立や、貨幣・紙幣などについて記事にしてみました。
皆さんのご参考になれば幸いです!

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mokosamurai / もこ侍

土地調査・環境・防災コンサル会社等を経て地歴科講師となり15年。地理、歴史、防災、趣味のコーヒー関連の記事を中心に投稿します。地理や歴史は暗記ではないことを伝えたい。知の力と和の精神は世界を救う。第2回cakesクリエイターコンテストで佳作をいただきました。今後も精進いたします!

日本史に関する雑記

中・高で15年、歴史(主に日本史)を教えた経験をもとに、高校日本史の気になるところを雑記形式でまとめてみます。
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コメント2件

おお!
おめでとうございます!
ありがとうございます😊
渋沢栄一の故郷に比較的近い場所に住んでいるので、そういった意味でも嬉しいです😊
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