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心地よい匙加減、ああ七草粥。

昨日、1月7日は七草粥を食べる日。
豊年、無病息災を祈って、早春にいち早く芽吹く七草を食べて邪気を払う、そんな意味合いがあると言われています。

ところで、粥に入れる七草、みなさんはどうやって入手しますか?
我が家では、毎年当たり前のようにスーパーで購入していました。
1パック498円、自分で摘み集める手間を考えたら安い物・・・なのでしょうか。

そういえば七草を摘んだ経験もない私。
どこに生えているのか、生えていたとしても、犬猫の糞尿、除草剤はかかっていないだろうか。ちょっぴり しなっとした草に目を瞑り、切り刻んで粥に入れて食べればいいんでしょ、と形だけなぞらえて作る粥に、果たして効能はあるのか。
普段木彫りをしていて、「木を見て森を見る」とか言ってるのに、何だか色々恥ずかしくなってきました。

自分で摘んでみるとして、ナズナ、ハコベラ、ホトケノザは何とかなりそうだけど、それ以外は無理そう。。そう思ったときにふとわいたのは、「七草は七草じゃないといけないのか」という素朴な疑問。
地域によっては七草が揃うところも、そうでないところもあるはずで、それぞれ工夫して無病息災を祈ったはず。そうであれば、我が家なりの七草を揃えればいいのではないか、そうすることにしました。

庭にある猫の額ほどの畑。
まずは植えてあった春菊、ルッコラ、二十日大根を採集。次いで、根元を再生させて植えてあった小松菜もありました。そしてこぼれ種で野生化したイタリアンパセリ。
計5種の草を手に入れることができました。

庭で採れた五草。

残り2草、冷蔵庫を覗いてみても、めぼしい野菜はありません。
でもキノコならある。よし、ヒラタケとシメジを入れちゃおう。

これで七草(正確には5草2茸)揃いました。
粥を焚いて、刻んだ草を投入し、お世話になっている方からいただいたおいしいお塩を入れて完成。

そうして作った我が家なりの粥は、今まで作ってきたどの七草粥よりも記憶に残る、何の過不足もない整った味、体に染み渡る感覚。

まぁるい味に仕上がった我が家の五草二茸粥。

この経験を通じて思ったのは、「七草はこうあるべき」という形に囚われて、それさえ入れておけばいいんでしょ、と思ってきた自分の、ちょっとやさぐれた気持ち。この気持ちはどこからやってきたのだろう?
思い返してみると、実家では七草粥を食べた記憶がなく、結婚してから夫に、「あれ?七草粥は?」と聞かれたことから始まった習慣でした。当時、「え?食べるの?(おいしくなさそうなのに…)」と率直に面倒に思ったことを鮮明に覚えています。それから子供が生まれて、子育てに、家事にと慌ただしい日々の中、毎年好きでもない七草粥を準備せねばならぬ事の煩わしさを、半ば恨みに思いつつ、作ればいいんでしょ!という所から、この気持ちはやって来たのだ、そう気付きました。本当は家族の無病息災を祈って作るものなのに、そんな気持ちで作ったのでは逆に、夫に厄災を降りかけてしまいそう、反省・・・。

日本古来の風習を因習と捉える前に、その意味一つ一つを知ることから始めてみる、そして「こうせねばならない」鍵を外し、自分なりの心地よい匙加減で、本来の意味を取り戻す。
それでいいんじゃないか、と思えた出来事でした。

最後に1つオチがあって、そうして作ったマイ七草粥。
あまりのおいしさに自分一人で平らげてしまい、夫に食べさせる事ができませんでした(爆)。夫が病気になったら私のせいかも。。(朝に作った粥。夫はパン派なので、昼か夜に作り直そうと思ってたのを忘れてしまった、という言い訳…)
という訳で、1日遅れで作る七草粥も悪くないかもしれない?と言い聞かせながら、今日(1月8日)、夫用の粥をこっそり作りたいと思います。どうか効き目がありますようにと祈りつつ。






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