日々の黒曜石ビジョン

日常の視線と黒曜石のビジョンは同列であるという意識で眺めることにした。すると、以前にたまに日常意識への差し込みがあるという実感がより鮮明になり、頻発するようになった。同様に、自身の内部と外部の区別がなくなることにも等しいといえる。

以前にオーラ視を教えていた時に、自分もオーラを出していることを意識しながら見ることも重要と伝えたことがあった。教えた人に響いたようだった。今感じていること、見ていることもまたビジョンの一つであり、性質が異なっていても本質的には「見えている」ということなので区別する必要はない。

面白いのは現実だけに許容しているビジョンや映像があることに気が付く。これをまず黒曜石の中で見てみよう。現実世界の中だけに限定している楽しさがないか。これを黒曜石の中で見出せるようにしよう。

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