金運とは?と非貨幣的な価値の考え方

金運ってよくある、金が輝いていてピカピカというイメージがありますが、
本当にそれが金運のイメージなの?と思います。
個人的に思うのは、金運とは、

①周囲の形態を無視して接続(つまり、価値を生じさせる)するため、なかなか無遠慮な「接続性」がある。これは貨幣や価値が持つ流通性とも関係があるため、アンドロイドとか機械的な印象もある。

②「小型」である。持ち運べるものなので。

③「可算性」がある。数えられるので。

④より純粋になると上の2と3は無くなり、1のみになる。価値の中には、接続の調子が悪いものもあるだろうと想像がつくため、ギリギリ価値とできるかは1にかかっている。

今の所、私の中では、小型のアンドロイドのような虫ぽい金運であって、集合すると黄金ぽい輝きを放っているのが私の金運です。

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独り言のように書いてみる。

一つ前の投稿で、断捨離の本質について少し書いたが、
流通する貨幣的ではない考え方、つまり価値を直接に生み出そうと考えた時に、上の印象に対して直接接点を持つ必要が出てくる。

社会の中では、雇用契約など間接的な手続きを介しているが、これは表層の手続きであって、本質はまた別にあるとすれば、これとも意識的に接点をもちつつ、本質的な価値へもシフトできる柔軟性を育成する必要がある。

話は変わるが一般的に金運がアップするとされるパワースポットは実は効力がなく、実は安産や恋愛のパワースポットの方が金運に効果がある場合がある。効果はあるば、別のことに効果があるのはなぜだろうかと思う。歴史や由来などに本質が歪められているだけではあるものの、

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