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24/2/17(土) 10年ぶりの中野ブロードウェイで泣けてきた

友人から久々に中野ブロードウェイに行かないかと誘われ、
行ってきた。
東京に来たばかりの頃は年に数回足を運んでは、
70,80,90年代のアニメージュ、ガロなどを手に取り、
いわゆるサブカルチャー、カウンターカルチャーの
先鋭さに憧れ、サブカルこそ人間の本質を表した
文化であると思い込んで疑わず、
どんどんのめり込んでいった。

仕事を始めてからは、日々の忙しさもあって、
どんどんそういうものからは遠ざかっていた。
さらに現在においては、
アニメや漫画はむしろメインカルチャーとなっており、
若い人と話してもだいたい好きなアニメの話に
なってしまう。
ボクらの時代サブカルの発信地であった、
ヴィレッジヴァンガードも、
今は業績が芳しくないと聞く。
サブカル、もしくはオタクという言葉は、
最早形骸化しており、
マイノリティな存在とは言えなくなっている。

久々に中野ブロードウェイを訪れ、
すごく懐かしい気持ちになった。
そして、そこに並ぶフィギュアやグッズ、書籍
などから発せられる熱量にやられ、泣けてきた。
なぜ僕はそっち側にいないのか。
そしてその気持すら忘れてしまっていたのか。
多くのクリエイターたちが、
魂を込めて作ってきた作品やキャラクターたちが
何年たっても未だにその輝きを放ち続けている。
そんな作品たちに救われ、
いつか自分もと思い上京したはずなのに、
今では全く異なる仕事をし、なんとなくの
日々を過ごしている。
大人になるってこういうことなのか。

そして自己嫌悪に陥る。
若い時は、いつかお金を稼げるようになったら、
ガロを集めよう。ジブリの原画を壁に飾ろう。
エヴァやAKIRAのフィギュアを飾ろう。
そう思っていたのに。
今僕の家には一切コレクションがない。
別に猫ちゃんがいるからというわけではなく、
その前から、フィギュアやグッズなどを
集めたことがない。
漫画も本も全て売り、iPadで読んでいる。
僕はサブカル好きでもオタクでもなくて、
サブカルが好きな自分が好きなだけだったのだなあ
と気付かされた。
みんなと違うものを好きだと言うことで、
自分が特別な人間であると思いたかっただけ
なのかもしれない。

ただ、クリエイターでもオタクでもないが、
ファンではあり続けたいと思った。
中野ブロードウェイには、
日本人と同じくらい外国人が多く訪れていた。
たしかにこのアニメ・マンガがここまで
発展しているのは、
世界的にも類を見ない文化だと思う。
歴史が長いのもさることながら、
現代声高に言われる多様性と表現の自由が、
ここではすでに体現されているとも思った。
ある意味、業が深いものも多々見受けられるし
愛でられている。
なぜ日本でこんなに2次元の文化が
発展してきたのか、
それは今後人類にとってどのような変化を
もたらしていくのか、
そしてこの先、かつてサブカルと呼ばれたような
文化は生まれてくるのか、
この先も見届けていきたいと思った。
これからはあまり自分に対して卑屈にならず、
楽しみながら作品を見られるように、
なりたいなと思った。

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