見出し画像

高卒で入社した会社を辞めるRTA【完】

辞めたその日に1度家に戻り11時頃に母校へ向かった。
入校手続きをしていると、担任だったA先生が偶然通り掛かり私の顔を見るなり「話そうか」と言ってくれた。
1番端の校舎の最上階の一番端の教室、学生時代にExcelやWordの授業で使っていたパソコンが沢山置かれた教室に移動して、A先生は隣の校舎から見えないようにカーテンを閉めた。
その教室に入り、懐かしいなと思った。自分たちがこの教室で授業を受けていたのが遠い昔のようだと感じた。
A先生が適当に座り、と言ってくれたので私は授業の時に座っていた席についた。A先生は教壇の前に立った。


「何があったらそんな顔して学校に来るん?」

A先生に聞かれて、私は入社してからのことを話した。泣きたくなかったので何度も天井を仰いでは何とか涙がこぼれ落ちないようにした。もうその状態になる時点で泣いているのだけど。A先生は黙って聞いてくれた。


仕事が出来ないの。頭が真っ白になって、書類をホッチキスでとめていてそのまま針を手に刺したんだけどしばらく気が付かなかった。それくらい仕事に集中してないなんて社会人として失格だよね。


あんなに頑張って勉強したけど、事務員になりたかったけどもうなれないかもしれない。パソコンの電源を入れるのが怖い。


大人が怖い。言葉が怖い。でもきつねたちの言う通り私に原因があったのかもしれない。


私、いじめをする加害者側の顔付きだって言われちゃった。だからせいぜい苦しめだって。


どこがいけなかったんだろう、どこからダメだったんだろう。何を直せば私は働くことができるんだろう。


話終わるとA先生は泣いていた。A先生が泣くなよ泣くのは卒業式だけにしろよと私たちの卒業式で見事な男泣きをみせたA先生をちゃかすと褒゚めはなにも悪くなかったんじゃないかなと言われた。


私の泣き言に、一つ一つ丁寧に返答をしてくれた。褒゚めがいじめをするような子じゃないことは俺がよく分かってる。クラスで浮いた子がいても褒゚めが話しかけに行ってたのを知ってる。文化祭の出し物で喧嘩が始まったときもすぐに止めに入って仲裁させたのも知ってる。そいつらに言われたいじめる顔をしているなんて言葉は一切気にしなくていい。


今度は私がぼろぼろと泣いていた。


A先生は教壇から私の座っている隣の席に移り「褒゚めはさ、ちょっと休んで休んだらパン屋さんとかさ、おじちゃんおばちゃんとかおじいちゃんおばあちゃんが沢山いるような職場で働いてみたらいいよ」「パン屋さんでカリカリしてる人見たことないよ」「俺はパン屋さんで働いてみてもいいと思う」と言ってくれた。まさかのパン屋推しでようやく笑った。


そうやって、また褒゚めが笑えるようになるといいな

そう言ったA先生が私の左手を掴んだ。もうやめな。と言われ、何を言われているか分からないという顔をしていると、褒゚めずっと右手でお腹擦りながら左手で右腕掻きむしってる。お腹痛い?腕から血が出てる。もう掻きむしるな。と言われた。
お腹はずっと痛かったし右腕に視線を下ろすと掻きむしりすぎて血が出ていた。右腕がかゆいなあとは思っていたが掻きむしってる自覚も、血が出ているのも分からなかった。全く気が付かなかった。

授業終了のチャイムがなり、お昼休みに入った。A先生は私を職員室に連れていった。


懐かしい先生に出迎えられ、A先生はI先生という人を連れてきてくれた。I先生は授業こそ習っていなかったけれど、就職と言えばI先生と就職組で言われていたほどお世話になった先生だった。大好きだった女性のS先生が私を自分の席に座らせ、手を繋いでくれていた。I先生とS先生に私は会社を辞めたことを話した。



S先生はよく頑張った、よく頑張ったと私を抱きしめてくれた。

I先生はとても静かで褒゚めさんの職務履歴に傷が残るような会社に就職させてしまい申し訳ない。と頭を下げた。先生のせいじゃないです、こんなの誰も想像できない。と返すとI先生は電話の受話器を取りどこかに電話し始めた。

「××会社さんですか?今卒業生の子から御社の話を聞きましたが、今年度より求人はお断りさせていただきます。うちの生徒たちを御社に入社させることは二度とありません。」

電話を切るとI先生はこれでいいよねと笑った。A先生もS先生も頷いた。就職氷河期と言われた当時、求人を断るなんてある意味大事にしすぎではと思ったがもうこの母校の生徒があの会社で苦しめられることは無いと思うとほっとした。

I先生「褒゚めさんはとりあえず体を治しましょう」

S先生「この後保健室行って腕診てもらってから帰ろうね」

A先生「体治して休めて、それからパン屋で働こう」


パン屋で働こうってどういうことですか?とI先生に笑われながら、先生たちに心から救われた。特にA先生、あの日私に向かって悪くないよと言ってくれてありがとう。私の顔を一目見ただけで場所を変えて話を聞こうとしてくれてありがとう。A先生の教え子で本当に良かった。



母校を出てその足で病院に行くと、胃潰瘍と診断された。右腕がかゆく、かいても全くかいている気がしなく、皮膚がかゆいというより神経がピリピリしているような状態が一週間以上続いていたことを話すと皮膚科に行くように言われた。
家の近くの皮膚科に行くと、疱疹がお腹周りの3/4回っていることから救急車で大きな病院に搬送された。帯状疱疹だった。
帯状疱疹は右腕や首の右側など色々な所に出ており、自覚するとどんどん痛いと感じるようになった。何かが触れるのも痛かったために左半身だけ服を着た。辞めたのが7月で良かった。


辞めた当日の夜、友人が家まで来てくれた。よく頑張ったね、少しずつ元気になっていこうねと本当に良かったとその子はうずくまって泣いてくれた。



私が会社を辞めて去年で10年になった。当時のきつねと同い年になり少しは彼女達の気持ちが理解できるかと思っていたが未だに理解はできない。
辞めてからはずっと支店の方へは行っておらず友人たちと試しに行こうとしてみた事は何度かあったが通勤を思い出して気分が悪くなり引き返してもらった。


体調が回復してからの就職活動はやっぱりというかかなり難航した。どんな理由があれ、側からみたら私は高校卒業後3ヶ月で会社を辞めた18歳なのだ。パン屋では働けなかったけど、色んな世代が出入りする職場に就いた。人と話すのが怖くなくなっていくのを感じた。そこで3年勤めてから今の職場へ転職した。事務職なんてできないと思っていたが今年で8年目になる。仕事をするのはすきだと思える。

同期くんだが、辞めてから数年後の成人式で別支店に配属された同期から私が辞めた1週間後に同期くんが来なくなったと聞いた。店長に仕事のミスを押し付けられ責任を取る形で辞めたらしい。入社3ヶ月の新入社員に責任があるかどうかは未だに分からない。彼が辞めてすぐ匿名で本社と別の全支店宛にに私と同期くんがいじめられていたという内容のレポートと障害者と呼ばれてる私の動画と店長の罵声が録音されたデータが届いたらしい。社内中に噂が回ったが、すぐに鎮静されたらしい。



こうして、入社時に社長から期待していると言われ代表挨拶を行った同期くんと私は会社から消えた。




10年経った去年、ようやく支店の前まで行った。記念に会社のホームページを見ると支店別の集合写真が掲載されており、既にきつねときつね③、たぬきとたぬき②の姿はなかった。代わりにきつね②と同期ちゃんがお局のような立ち姿で写っていた。魚のような顔をした店長も相変わらず店長として紹介されていた。



私は今年当時のたぬきと同い年になった。トラウマのようなものを克服するのに10年かかった。こうして詳細まで書いたのは初めてで、書きながらひどいものだったなと思った。経験しなくてもいいようなひどい3ヶ月だった。この3ヶ月で家族や友人、恩師などたくさんの有難みを知ったけどそれを差し引いてもあんな思いしたくなかったと今でも思える。



あの時よりは強くなれたと思う。



同期くんはオフィスで話したきり、連絡を取り合う術もなく、ほか同期たちとも関係を絶ったので知る術もない。匿名で送られたデータは同期くんで間違いなかったのかな。責任をとらされたって何?



同期くんが今元気で過ごしていることを願っている。



そして私のことを散々いじめぬいたきつねやたぬきたち、音声データを消してきつねたち側に寝返った店長並びに匿名のデータをもってしても変わらなかった会社に最大限の呪いを。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?