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なぜ日本にはPCゲーマーが少ないのか?【その1】

日本にPCゲーマーは少ない理由

その一つは、ゲームの歴史と関係があります。

ビデオゲームは、ご存知の通り、人類の技術進歩と共に発展します。

世界初のコンソール(家庭用ゲーム機)は、1972年に北米のMagnovox(マグナボックス)社が開発した「オデッセイ(Odyssey)」でした。オデッセイは、二人で対戦するピンポンゲームを含む12種類のゲームが内蔵されたゲーム機でした。

そして、1977年に北米でAtari(アタリ)社が「Atari VCS」を発売したことで、コンソールゲームの市場は急激に拡大し、北米ゲーム市場は7,520億円まで急成長しました。

Atari VCSが人気を博した大きな理由の一つは、従来のゲームソフト内蔵型のコンソールと異なり、カードリッジ型になったことでゲームソフトを外部から供給できるようにしたことです。

これにより、ゲームソフト開発会社(サードパーティー)が増え、その結果、市場に様々なゲームソフトが流通するようになりました。順調に市場が拡大していくと思われた北米のコンソールゲーム産業ですが、急速に暗雲が立ち込めることになりました。

アタリショックとは

この成長産業に目を付けた今までゲームを作ったことがない多くの企業がサードパーティーとして参入した結果、クソゲーが北米市場に溢れ、コンソールゲーム市場全体の信用が一気に失われてしまったのです。

発端は、1982年の年末商戦におけるコンソールの売上不振の影響(アタリショック)で、コンソールゲーム市場は急速に縮小し、1985年には、200億円の市場規模となりました。

それにより、多くのゲーム関連会社は倒産し、北米におけるゲーム産業は、コンソールからPCへ、ゲームソフト開発が一気にシフトしました。

ヨーロッパや日本のゲーム市場

このアタリショックは、ヨーロッパや日本には、ほとんど影響はありませんでした。なぜなら、北米で発売されたAtari VCSは輸入されることで高価になり市場では受け入れられず、また、1982年のヨーロッパにおいては、イギリスで発売されたZX Spectrumというホームパソコンが人気であり、日本においては、1983年にファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売され、国内市場を独占していたのが理由です。

人類が初めてビデオゲームに触れて、およそ半世紀経った今も、これまでの歴史に逆らえない根強い習慣(=ゲーム文化)が各国・各地域に継承されているように思えてなりません。【その2】へ続く。


2016年10月より海外インディーPCゲームに特化した紹介動画をYoutubeであげています。このnoteでも情報発信を2019年1月より始めました。