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河口慧海、鎮座してドープネス

河口慧海(えかい)というお坊様が
仏教の原書をゲットしに
鎖国中のチベットに行く本。
「旅行記」となってますが、
これは旅行記よりも「冒険記」という感じ?
でも、冒険の意味は:
「危ないことを押し切って行うこと。
成功のおぼつかないことをあえて行うこと。」
とあるから
河口慧海の信念とは似て非なる気がする。

読みやすい仏教の教文を社会に供給したいナ
原書はインドにはほとんど無いらしい・・。
では
ネパールかチベットに行かねばならぬ!

と周到に準備をし、
シンガポール→インド→ネパール→チベット
明治26年に思い立ち、明治33年入国
帰国は36年(その後もう一度行ってる)

独特な語り口(口述筆記)は
明治頃のネパール、インド、チベットの
歴史、民族、風俗、宗教を知識がなくても
面白く読み続けられます。
河口慧海の求道した
仏教的思想はわからなくとも、
その一途というか、静かだけど
クレイジーな姿勢に目が離せません。

途中、困難に合いまくるのですが
人間に対しては禅問答でひらりとかわします。
禅問答とは。
悟りをひらく修行の一つで、
すごーく簡単に書くと、
一見意味の分からないやり取りのなかで、
真理を見出すことです。

旅の途中は僧相手ではないので
言葉の意味を考えても
わからない問いかけをしても
相手がなんか
納得しちゃう答えに落ち着かせてしまう。
色仕掛けをかわしたり、
盗賊を諦めさせたりします。
かっこいい!私も禅問答使いたい!
一休さんが新右衛門さんと謎かけで
「そもさん」「せっぱ!」
言ってましたね。禅問答の言葉です。

大自然に対しては
お釈迦様が見守っていたとしか思えない。
ヒマラヤを徒歩で越えて、氷のような川を渡り
震えが止まらないから、
裸に油を塗って温めるとか・・。
麦こがしとレーズンしか食べてないのに。

このチベット旅行記、
合本版(ものすごくぎゅっとしたやつ)
ではなく、5巻セットの方を読んで欲しい。

真実自分で旅した、いかす男のお話です。
旅の道程があまりに過酷でクレイジーで
作り話だ!と新聞連載当初は
批判がたくさん出たくらい
信じがたい旅行記です。
が、真実であると精査されております。



久しぶりに写真を見て気がついたのが
日本を発つときのお顔は
「凛々しい可愛い感じのお坊様」
帰国したらお顔が
「鎮座ドープネス」になってた事。
鎮座ドープネスは天才ヒップホップMCです。
名前も僧っぽいし、
このふたりは何か成す顔なんですね!

ではまた






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