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心理学の再現可能性問題は心理学的問題

縁(えにし)あって,ヒューマンインターフェース学会さんより貴重なお誘いをいただき,今思ってることを垂れ流しました。関係各位,誠にありがとうございます。あと例の件ではご迷惑をおかけしました。ちなみにこの論文は心理学評論の2016年のやつの続編に位置づけていますので,そちらもぜひ。で,今回のはこれです。

山田祐樹 (2018). 再現可能性問題をハックする―是非に及ばぬ研究コミュニティからの包囲網― ヒューマンインタフェース学会誌, 20(1), 17-22. (論文PDFはこちら)

本稿では,心理学の研究結果が再現できないといういわゆる再現可能性問題(再現性問題と呼ぶほうがいいんじゃないかとの意見もあり。いずれどっかでこの点も整理しましょう)について,主に科学コミュニティがどう対処するかという点について議論しました。再現率が低いこと自体が問題なのではなく,「再現可能性問題が浮き彫りにした数々のQRP」が全て研究不正の可能性に繋がっていることが問題であるし,回避のためには少なくとも「人,金,国」それぞれの改革をしないといけないねと思っております。そして,研究者を対象とした心理学研究を元気一杯で一気通貫しなければならないと強く確信しています。

先日いわゆるノブレス・オブリージュ問題が勃発しましたが,確かに個人レベルでの「気概」や「挟持」や「意識」や「人徳」や「侍魂」や「ストイシズム」や「義侠心」や「騎士道精神」や「君子自重」が重要なのは間違いなく,この態度を持っているかいないかでミスコンダクトの発生率は大きく変わるでしょう。しかし同時に心理学では,だいたいの人が一定の文脈や環境に置かれればやっちらかすことも明らかにしてきてるわけで,環境と不可分には語れないかなと思いました例の一件では。

ただちょっと私が元々文章書くのが苦手なのと,文字数削減の過程でいろいろとはしょりながら書いてしまったので,すごく読みにくい文章になってるような気がします。それはごめんなさい。あとスイスチーズモデルについて投げっぱなしになってるのも我ながら「WRYYYY......」と感じていて,本当は常にこのモデルを参照しながら丁寧に話を進めていくべきでした。ごめんなさい。

個人的には再現可能性問題は先述のように研究不正とつながっていて,そこには同時にサイエンスコミュニケーション問題若手キャリアパス問題が絡んでいると思っています。なので前者に関しては関学の三浦麻子先生とサイエンスコミュニケーション研究会をやりつつ,後者に関しては日本基礎心理学会若手研究者特別委員会でなんかやろうとしています。あ,そうだ,今年これ系の話に関するフォーラムを東京でやる予定です。今回の話をさらに推し進めることを狙っていますので,みなさん来てくださいね。あとやや補助的にですが,この問題にはクラウドソーシングの話と機械学習の話と民俗学的アプローチの話のカラミも考えていて,多分これらは一つに繋がっていきそうです。いつかこれらを全て統合した話を国際誌に出したいなと画策中です。

ところで何で私がこんなことやってんのかという点は自分でも不思議なのですが,端的に言えば,何か面白いことができそうだからかなという気がしてます。私の今想像している未来では,現在の心理学が完璧にぶっ壊れていて混沌としていて,今の私にとってめちゃめちゃつまらない学問領域になっているんじゃないかと悲観的に見ているのですが,しかし同時にそれがむしろゾクゾクしてくるという倒錯的感情が芽生えてきてるのも事実なのです。つまり,頭がおかしいんですね。

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