眠れない夜に

こんばんは。

人間は必ずいつか死にます。
そんなことを小学生の時から考えました。

掘り起こしたかどうかも知らないタイムカプセルに
「私は生きていますか?」と手紙を書きました。

僕は今生きています。
義務教育も受けず、定職にも就けず
パートナーも友達も居ません。

それが恥ずかしくて
ろくに勉強しなかった僕は今更、勉強しています。

他の子がもう15年以上前に習っていたことを
勉強しています。

初めて不登校になったのは
小学4年生の時でした。

僕は小児喘息で、ある日突然入院したのです。
退院後から不登校になりました。

今思うと何が嫌だったのかはっきり分かります。
給食食べ切るまで終わらないし、悪いことするとビンタする怖い担任教師が嫌だったこと
入院中に勉強してなかったから授業についていけなかったこと
どうせ病気で行かなくていいなら、別にそのまま行かなくても良いじゃないか。
そう思った。

ただ何日か休むと母も怒りだし
渋々学校へ行った。
でも教室に入るのがいやで
途中で引き返そうとすると
抵抗する僕のランドセルを引っ張って先生に引き渡された。

その一部始終は窓からクラスメイトに見られていた。
ある子は、聞こえるように悪口を言い
僕を馬鹿にしてきた。

そう、その子が言うように
僕はただのおサボりで、親に嘘をつかせて休んでた。
だから何だよ。

それから開き直って小学校卒業までは登校した。
卒業前は先生にも恵まれてたし。

ただ、僕はそのあとまた不登校になる。

姉の反抗期

僕には3つ年上の姉がいて
中学時代は随分荒れていた。
勉強は苦手じゃなかった筈なのに
偏差値の高くない高校に入学した。

母は
言うことは聞かないし
どんな酷い言葉を言われても
姉を愛していた。
愛していたからこそ、厳しかった。
それがまた姉の火を燃え上がらせる。
悪循環である。

そんな姉の高校入学準備で
家計は赤字になっていた。

家族に無関心の父と、計算のできない母。
赤字になる。
それは当然の結果である。
むしろ義母の介護、母の看病、3人の子供の世話
今までよくやってきたくらいだ。

母は言う
「あなたもあの高校に行って」

何故?

もうすぐ中学一年生の僕は考えた。

姉と兄が塾へ通っていて
そろそろ僕も通える年齢になった頃

「上の2人みたいに途中でサボるくらいなら
 初めから塾へ行って欲しくない。
 塾へ行くなら真面目に通って。」

通ったこともない塾、どうせ僕もサボると思われている。
サボらない自信はない。

僕は塾へ通わない人生を選んだ。
この時と同じ選択をすれば良いのか。

姉の教科書、制服、カバン、学費
無駄にしないで使って頂戴。

そう言う意味だ。

姉の高校入学祝いはペンか何かだった。
僕の中学校入学祝いは無かった。

僕は僕を諦めた。

親が死んだら
死のう
それまで生きれる分のお金があればいい。
親が望む僕で居たら
母は怒らない。

僕が僕の人生を生きる事はないと思った。

中学の不登校の話は、また後日。

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