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松島瑞巌寺での展覧会        ~東北の画人たち~

国宝瑞巌寺】                           先月末の日曜日、久しぶりに松島の瑞巌寺を訪れた。                   見出し写真は現在の瑞巌寺の参道。東日本大震災で途中まで津波が押し寄せ、鬱蒼とした杉並木は塩害を受けて枯死し、約300本もの杉が伐採された。以前の瑞巌寺をご存じの方はこんなに明るくなった参道をご覧になって驚かれることと思う。

東日本大震災前の瑞巌寺参道(奥は惣門)

しかしこれも盛衰を繰り返してきた長い瑞巌寺の歴史の中のひとこまになるのだろう。瑞巌寺は平安時代初頭、比叡山延暦寺の第三代座主であった円仁が淳和天皇の勅願寺として開山した天台宗延福寺が前身と言われており、その後時代を経て庇護してきた権力者達も、奥州藤原氏、鎌倉に入り北条氏、そして現在の伽藍を再建した伊達政宗に続く伊達家と変遷を遂げてきた。明治維新では神仏分離の影響で衰退したこともある。           始まりは天台宗であったが、鎌倉時代5代執権の北条時頼の時に禅宗に改宗され、臨済宗建長寺派の寺院となり、現在は臨済宗妙心寺派に属している。明治以前のいつごろかは定かではないがl、この杉並木の参道には13もの塔頭が立ち並んでいたと言うから、今では信じがたい。          杉を伐採した後に新しく植栽もしたと言う。何十年後にはどんな参道になっているのだろうか。

【法身窟(ほっしんくつ)
瑞巌寺の受付向かいに古い大きな洞窟がある。現在の瑞巌寺にとって重要な場所でもある。この洞窟が北条時頼が,宋から戻った法身性西禅師に出会った場所と言われている。天台宗から臨済宗に改宗され、法身禅師を開山に迎え、時頼が整備し臨済宗円福寺となった。洞窟の前には石碑がいくつか建っていて、正面の二つには後年江戸時代に小池曲江が模写したと言われている楊柳観音と鎮海観音が描かれている。小池曲江は塩竈市出身の絵師。  

法身窟。


瑞巌寺は宮城県で2件ある国宝建築の1つである。ほぼ10年に及ぶ平成の大修理も終わり、2018年には落慶法要があった。

本堂(右)と御成玄関(正面)

藩祖伊達政宗が開府後城下町造りに力を注ぎ、京や紀州から建材を運び、当代一流の棟梁の手によって造られた。                  瑞巌寺の本堂完成の11年後には、華やかな桃山美術の粋を凝らした障壁画が彩った。何れも江戸の狩野派の流れを汲む絵師たちによる。全部で10室ある本堂の部屋の意味深いモチーフを表わしていて素晴らしい。   庫裡は、代表的な禅宗庫裡建築として、京都の妙心寺の庫裡(重文)、妙法寺の庫裡(国宝)とともに三大庫裡建築の1つに数えられている。        現在は庫裡の玄関から入り、廊下を経て本堂へと進む拝観順路となっている。建物内は撮影禁止だが建物の中から外を写すことは許されていて、それでも十分国宝禅宗寺院の魅力を切り取ることが出来て楽しめる。

庫裡(国宝)の正面
書院から見た煙出し(屋根の上)

中庭】                              この中庭は2018年に落慶記念として新しく造られた庭園である。京都の庭師さんが作庭に携わったと聞いている。座禅石が配置された禅宗の庭で、それぞれ見るものの心に映った庭園を鑑賞するにまかされているようだ。

中庭

政宗と瑞巌寺】                          瑞巌寺の再建に当っては、政宗が自ら縄張りもしたと記録に残っており、仙台城からそう遠くないこの景勝地である松島の瑞巌寺には重きをおいていた。寺院でありながら、機能は第二の城とさえ言われている。瑞巌寺は伊達家の菩提寺であり、仏間には代々藩主の位牌がおさめられ、政宗の正室、陽徳院の御廟が敷地内の小高い場所にある。                            

【『東北の画人たちI ~秋田・山形・福島編~』展覧会鑑賞と講演会】
さてこの日の目的は宝物館で開かれているこの展覧会とそれに伴って開催された講演会であった。講演会は申込制でこの日一日であったが、展覧会は今月末まで開催されている。主催と監修は東北大学大学院文学研究科、東洋・日本美術史研究室の杉本欣久准教授。5年前に京都から東北大学に奉職され、地元に住んでいる者にとってもあまり知られていない東北の画人たちに光を当てて研究され、今年はその展覧会の一回目、秋田・山形、福島編で来年は二回目の青森、岩手、宮城編が開催されると言う画期的なものである。 東北の城下町を訪れると、ゆかりの美術館や博物館、又はお城、武家屋敷、藩校跡などでこういった絵師たちの作品にふれることはあったが、一堂に集められて鑑賞できる機会はほとんどないと言っても良い。                      瑞巌寺の宝物館、『青龍殿』のほぼ半分のスペースの企画展会場をすべて使ったもので、素人にもわかりやすく、インパクトのある簡潔な解説が添えてあり、次々と飽きることなく鑑賞ことが出来た。            認識をあらたにしたのは、その頃の絵師たち(今回は画人たち、と言う表現だった)がそれぞれ『御用絵師』、『町絵師』、『武士』に分かれていることであった。東北の雄藩に仕えていたり住んでいた絵師たちでありながら、江戸の狩野派の絵師たちに指導を仰ぎ、または長崎まで赴いて学んだ人々だったことである。つまり地方にとどまっていたのではなかったという事実を知って驚いた。                           講演の冒頭でも触れていらしたが、江戸時代は参勤交代の制度が出来て,街道の整備も進み、想像するよりはるかに交通網も整い、江戸や長崎までの行き来も盛んであったようだ。                     講演会は昼休みを挟んでお二人の若い研究者による、山形と福島の画人たちに関する、資料を丹念に調べ上げた研究発表に続き、杉本先生による、山形の画人たちの講演であった。講演の後は、座談会があり、大変充実した一日を過ごすことが出来た。講演会は瑞巌寺の大書院で行われたが,この夏一番の暑さも一瞬忘れるほどであった。開け放たれた扉から時折涼しい風とセミの声を背景に、何とも贅沢なひとときであった。朝早く出かけ、先に展覧会を鑑賞したが、講演会が終わってからも再度宝物館に行って見ると、朝とはまた違い、認識があらたまり楽しむことが出来た。
来年の続編が楽しみである。春ごろまた瑞巌寺で開かれる予定とのこと。

江戸時代の東北の画人たち、そしてそれぞれの藩の文化的なレベルの高さを再認識させられた。このような展覧会が同じ江戸時代に隆盛を極めた禅宗寺院である瑞巌寺で催されたと言うこともまたひとしお感慨深いものがあった。
また一方、国宝の本堂には、伊達政宗の美意識の表れとも言える桃山美術の障壁画がある。こちらは伊達家のお抱え絵師で狩野派の高弟たちを含んだ素晴らしいものだ。東北の画人たちの展覧会とも相まって、東北人の意気込み,気概をも感じた。現在はすべて(墨絵の間を除く」精度の高い復元模写が完成しており、ぐるりと廊下を巡って眺めることができる。

展覧会『東北の画人たち』は今月いっぱいまで開催されている。まだまだ間に合う。是非足を運んでいただきたい展覧会である。
https://zuiganji.or.jp/?page_id=10149   (瑞巌寺宝物館、お知らせ)

【夏の夕方の瑞巌寺と周辺の散策】
夕方の瑞巌寺の散策は静かで心地よかった。

本堂の裏廊下から眺める埋木書院(非公開)と蓮
蓮のつぼみ

瑞巌寺の裏通りから海岸へ】
松島まで来て海を見ないで帰るのもどうかと思い、急いで海岸まで行って見たが昼間の喧噪はどこへやら、静かな松島であった。

庭園とモミジが美しい円通院入口から瑞巌寺方面を眺める
正面葉海岸方面
御水主町(おかこまち)の民家(移築されたもの)
瑞巌寺の東側には水主町と言う、江戸時代、仙台藩主が松島を遊覧した御座船を操る水夫たち、水主衆が集まって住んでいたところがある。最盛期には48件の水主衆の家が立ち並んでいたと言う。こちらは瑞巌寺近くに移築された江戸後期のもので水主衆たちの最後の民家。屋根は茅葺きで寄せ棟造り、出格子に蔀戸が設けられすべて同じ造りの建築であったと言う。


紫陽花が美しい民家
夕方、満ち潮の五大堂
海岸からほど近い双子島
右側の長い島は雄島。洞窟,石碑、板碑など霊場だったころの松島を思い起こさせる。
雄島

お盆には瑞巌寺のお施餓鬼、灯籠流し、花火などの行事が行われる。
では今日はこの辺で。長文になり申し訳ありません。

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