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日々是好日

『雨女』と言われているが、確かにそんな気がする。何か事を起こす日、仕事の日、めったに出かけないところに行く日、雨や雪になる確率が高い。

自分の心がけが悪い、とは思いたくないがそうなのだろうか。人生には様々な日があって決して毎日毎日がうまくいくことはないのである、と言う含みなのだろう、と思うことにしている。

日々是好日】                           好日、の解釈をどう取るかだが、これを良き日、とか幸せな日、とかではなく、かけがえのない日、二度と帰ってこない日、そして人生には決して無駄な日はない、と解釈したい。

『日々是好日』、は普段の生活では『ひびこれこうじつ』と読まれることが一般的かと思う。これは禅語で茶席の掛け軸として代表的な言葉として知られる。

4年前話題になり,映画が上映される前に亡くなってしまわれた樹木希林さんがお茶の師匠の役で主演された『日々是好日』では『にちにちこれこうじつ』となっていたし、茶室の掛け軸としては『にちにちこれこうにち』などと様々に読まれる禅語である。

【お茶の稽古再入門】                        事情があってお茶の稽古を中断してから3年半が過ぎた。 機会があれば、もう一度きちんとやり直したい、とずっと思っていた。稽古を再開するには限界の年齢になってきた昨今、ひょんなことからご縁をいただき、茶道再入門となった。                            モチベーションが一致した私より若い友人と一緒に先月体験の稽古に伺った。二人とも一応経験はあったが、しばらくブランクがあったので、緊張しながらも新鮮なひとときだった。自由度のあるお稽古をしていただけると言うことでありがたく、入門させていただくことになった。

ちょうど芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出発した日です、と先生がおっしゃっていた。そう言えば、芭蕉が江戸深川の庵を引き払って出発したのは元禄2年(1689年)の3月27日。新暦では5月16日となっている。何か因縁があるように勝手にこじつけた。芭蕉は45歳,当時とすれば決して若くはなく、奥州への旅は楽なものではなかったはず。と、大げさに結び付けた。

薄茶、5月先生

1回目のお稽古の折、先生が点てて下さったお薄。

【土砂降りの中の稽古】                       昨日は朝から雨模様であったが、お稽古の時間が近づくと雨は強くなり、車を降りてたった五分ほど歩いただけで袖や足元がびしょ濡れになってしまった。今日も見事な雨女の私であったわけである。

本日は2回目となり、それぞれがお点前をすることになっていたが、自然に任せてお点前をしていると、やはり間違うところは同じである。これは以前と同じ現象である。悪い癖を直すのは結構大変なものである。お稽古事と言うのは結局繰り返しやって体で覚えることなのだろう。その回数、年数で違っていくものなのだから、焦らず落ち着いて、精進するしかない。そんなことを思いながら、2回目のお稽古を終えた。

5月のお菓子、花籠(練り切り)

季節のお菓子は『花籠』の銘がつけられた練り切り。程よい水分のしっとりした老舗の菓子舗のもので美味しく味わった。

ビルの中の茶室だが、雨音がポツポツと響き、なぜか心が落ち着いた。床の掛け軸は『日々是好日』。

こちらに向かう時は土砂降りで、なぜこんな日に、とぼやきながら足を運んだが、雨音と聞きながら、お茶をたてていると平和で幸せな気持ちに包まれた。これこそ『日々是好日』だと腑に落ちた。

面白庵、日々是好日

お茶の道具を抱えて立ったり座ったり、となかなか体力も伴うお茶のお稽古は楽しいだけではないと思うが、芭蕉さんの旅を思い、できる範囲で精進したいと思った。さいわい芭蕉さんと同じく二人連れなので心強い。

今日はこの辺で。

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