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石巻レポート②-語り継がれる震災

【日和山から南浜地区へ】                      日和山を下りて最大の被害があった南浜地区へ向かった。山から石巻の街を眺め、ここに来ると気持ちが引き締まる。
昨年完成した「石巻南浜津波復興祈念公園」にある、津波伝承館を訪ねるためである。この辺りは日和山編でも書いたように、津波が押し寄せて密集した住宅を押し流し、コンクリートの壁(小学校の建物など)にぶつかって,火災を起こし、火の海になったところである。この地区だけで500人もの方々が命を落とした。

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       震災直後の津波火災。(祈念公園のサイトより)

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     震災後2013年の南浜地区。密集した住宅はすべて流出。        (祈念公園のサイトより)

【石巻南浜津波復興祈念公園】                    石巻南浜津波復興祈念公園とは
平成23年(2011年)3月11日14時46分頃に発生した東日本大震災は、最大震度7の強い揺れに加え、その後に発生した津波により、広域にわたり甚大な被害が生じた未曾有の大災害でした。宮城県石巻市は、約4千人の犠牲者が集中した国内最大の被災市町村で、その中でも旧北上川河口部に位置する南浜地区(南浜町、門脇町及び雲雀野町)は津波の襲来とその後に発生した火災の延焼により500人以上の方々が犠牲となりました。
特に被災の大きかった南浜地区は地震、津波、火災及び地盤沈下の被害を複合的に受けており、東日本大震災の平野部の被災を代表する場所となっています。(祈念公園のパンフレットより)                                  

【みやぎ東日本大震災津波伝承館】                  記念公園の中でも中心的施設なのが「みやぎ東日本大震災津波伝承館」である。大きな円形のガラス張りの建物で、入口を探すのに少し迷った。建物の向こうは5分ほどで海である。
青空を背景に遠くから眺めると、大きな円盤が着陸したような風景だ。

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建物の壁は被災地の四方を見渡せるように総ガラス張りで、内部の直径は40m。屋根は何本もの柱で支えてあり、一番高い北側の屋根の高さは6.9mでこの辺りに津波が停滞した時の高さだと聞いた。周囲には黒松の若木が植樹され、将来は松林となる予定らしい。中に入ると受付に待機していたスタッフがパンフレットを配って展示の方に案内してくれた。震災の概略・日和山・南浜地区の事、津波が起きる仕組み、貞観の大地震から東日本大震災まで、宮城の津波の歴史が時系列にまとまったものなど、通路に大きなパネルで展示してあった。係の方が分かりやすく説明して下さった。

展示壁の内部には、シアターがあり、ドキュメンタリー仕立てになっている映像が上映されていた。とにかく地震が来たときには津波が来る前に逃げることが最重要である、と言うことが強調されていた。ただなぜか部屋が明るくて不鮮明な映像だったことが残念であった。

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展示パネルの写真。シアター以外の展示物の撮影は自由で、SNSへの転載もOKとのこと。

震災直後から何度も訪問した石巻だが、こうして被災地のど真ん中で、展示を見たり説明を受けたりすると、直接響いてくるものがあり、胸ふさがる思いになった。午前中日和山の上から眺めていてもそうだったが、この現場に来ると全く違う世界に入って行く感じがした。

展示の他、津波経験者や多くの市民の証言やタッチモニター式の設備もあり、じっくり見るには時間は多めに取っておくほうが良いと思う。

【石巻慰霊碑】                           石巻市内で犠牲者となられた人々の慰霊碑が整備され、お名前が刻まれていた。県内の他の被災地でも慰霊碑があるが、最大の被災地である石巻のはその数の多さに圧倒される。ところどころにお供えのお花が飾られていた。背後に見える建物は公営の復興住宅である。慰霊碑の側にも黒松が植樹されていた。この慰霊碑は後世の人々に伝えられる強烈なメッセージになることは間違いない。

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【震災遺構の門脇小学校】

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震災直後は火災のため黒ずんで無残な姿となった門脇小学校。定期的に津波が起きることを想定して的確な避難訓練が行なわれていたと言う。背後に崖があり日和山につながっている。この小学校では、先生方の指揮のもと、6年生が下級生を責任を持って連れて避難すると言う実践的は訓練が定期的に行なわれており、3.11にはまさにそれが効を奏して、見事に避難しきって学校にいた生徒たちは全員助かったのである。すでに下校していた下級生のうち7名は犠牲になってしまったと言う。津波火災のすさまじさ、避難の大切さなどを伝える震災遺構として保存され後世に語り継がれる。火災が酷かった東側の一部は解体されたが、教室や職員室など津波と火災で荒れ果てた姿は全くそのまま保存されている。

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教室の窓には細かい金網が張られ、中には入れないが新しく建設された見学通路から見ることができる。展示室も別棟に整備され、スタッフも常駐する遺構としてこの4月から公開されている。スタッフが詰めている一階の広い部屋には、自動販売機などが備えられ、大きなテーブルもいくつかあり休憩することができる。これから案内体制も整えて行くとのことであった。以前街中の情報交流館で海外のお客様に英語で説明をしてくださり度々お世話になったバイリンガルのイギリス人の館長さんが、今度こちらの館長さんとなられた。インバウンドが再開されればまたお世話になることもあるかと思う。当面は館長さんがこの遺構のご案内と解説を務められるという。          新しく津波伝承館が出来、この門脇小学校も遺構として整備されたので、市内に四ヶ所ほどあった交流館はすべて閉館となった。                       門脇小学校の震災遺構は石巻市、津波伝承館は宮城県が管理している。なお、門脇小学校は入館料が必要である。

たっぷり時間を取って回ったので、今回は3ヶ所のみの下見になったが、かなり復興が進み、新しい施設、公営住宅などが建ち、橋も架け替えられていた。今回は中州や街中の元気市場などは行かずじまいだったが、思い立って出かけて良かったと思った。これに河口付近にある元気市場で石巻の特産品を買って帰れば復興応援にもなる。

お昼も食べずに歩き、気がついたら既に3時半になっていた。駅前に以前入ったお寿司屋さんがあったことを思い出し行って見た。ガイドの下見には食べるところを探すのも大事なのである。お昼が終わって4時からの夕方の営業の前であったが、穏やかなご主人が快く対応して下さり、遅いお昼にありついたのであった。私は穴子丼、友人は海鮮丼を頼んだ。海老の頭のお吸い物付き。ここのお店はにぎりと丼物が売りである。お薦めのお店の一つである。★★★★富喜寿司。石巻駅まで徒歩1分。

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帰りも仙石線ではなく東北仙石ラインで仙台に戻った。         最後までお読みくださりありがとうございました。



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