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被災地の桜-石巻レポート①

2011の東日本大震災の後、海外のメディアを始め、視察のゲストや一般の観光客を含め、被災地をご案内する経験が度々あった。だが、ここ2-3年は仕事もないので、遠のいていた。実現するかどうかは別として、9月にガイドのオファーがあったので、取りあえず様子を見るために石巻に行くことにした。最新の情報を得ることが目的だったが、日和山の桜がまだ見頃だと聞き、それも後押しした。誘いに乗ってくれたガイドの友人と二人連れ。

【日和山】

日和山山頂

到着して真っ先に向かったのが日和山。全国に「日和山」と名がつくところは80ヵ所ほどあると言われている。江戸時代には千石船などが出航するために、海上の天気を見極めるための場所でもあった。いわゆる日和をみるためである。それだけ見晴らしが良いということである。

【鹿嶋御児神社】

鹿嶋御児神社の拝殿
鹿嶋御児神社の境内と鳥居。鳥居の向こうは太平洋。

まずは『鹿嶋御児神社(かしまみこじんじゃ)」に参拝。高さ54mの北上川河口に位置する日和山の頂上に鎮座している。武神を祀るが土地柄、海上の安全を願う参拝者も多いとのこと。創建は780年(宝亀11年)の古社である。

´【東日本大震災と日和山】

新しく建立された第二鳥居

日和山が全国的に脚光を浴びたのが11年前の東日本大震災である。山の真下の南浜、門脇地区はとてつもない被害を受け、市民たちは命からがら高台であるこの山に避難した,いわゆる『命の山』とも呼ばれた。雪が降る中、日和山に上った人々は押し寄せる6mもの黒い高波、その後3日3晩続いたと言う火災の炎を呆然と眺めていた。

眼下の南浜地区。手前の階段を人々が駆け上った。

【旧北上川河口の中州】

旧北上川の中州、中瀬。

石巻の歴史を語るうえでシンボル的な旧北上川の中州である中瀬だが、この震災に特徴的な川を遡上した津波により甚大は被害を被った。中瀬の左側に見える白いドーム型の建物が石巻出身の漫画家、石の森章太郎の萬画館である。震災一年半後の2012年11月になって復興した。
また、写真はないが、石巻市指定の重要文化財で奇跡的に流出を免れた、石巻ハリストス正教会も明治13年に建築された国内最古の木造教会のひとつであるがこの中瀬にあった。震災3年後に解体され、その後市民たちの熱意で復興のシンボルとして2018年に復元が完成した。中瀬は盛土をしたうえで令和7年には公園として整備される予定と聞いている。

【日和山に立つ有名人二人】

山頂に建つ川村孫兵衛の像

石巻の基礎をつくったと言っても過言ではない川村孫兵衛は仙台藩の治水工事に力を尽くした有能な人物である。現在では国内有数の米どころとなっている仙台平野だが、江戸時代には北上川、江合川,迫川は大雨が降る度に洪水を起こしていて、米作りには適さない土地であった。
仙台藩初代藩主の伊達政宗公は、孫兵衛の力をかっており、彼に新田開発のための治水工事を命じた。北上川から石巻に至る河川の改修が進み、そのおかげで当時石巻の湊から江戸に送られた仙台米は江戸の人々の食べる米の三分の二ほども占めていたと言う。孫兵衛はその後仙台の城下町中にめぐらされたの四ツ谷用水の整備などにも着手、その子の重吉は貞山堀を完成させ親子二代で仙台藩の河川の整備に力を尽くした。その孫兵衛の功績をたたえるために行われるのが8月の花火大会、石巻の川開きである。

日和山の芭蕉と曾良

こちらはおくのほそ道の紀行で石巻を訪れた芭蕉と曾良の銅像。孫兵衛像とは反対側の街側の低い斜面に建つ。桜が美しい散策路になっている。曾良が芭蕉の肩に手をかけているのが印象的だ。師の労をねぎらっているのだろうか。芭蕉一行はおくのほそ道の旅で一番重要と言われている平泉に向かう途中に石巻に立ち寄った。
おくのほそ道には、以下の様に書かれている。
「・・・石の巻といふ湊に出ス こかね花咲とよみて奉りたる金花山海上に見渡シ 数百の廻船入江につとひ 人家地をあらそひて竈のけふり立つゝけたり」                               芭蕉の当時は涌谷ではなく金華山で金が採れていたのである。また、曾良の旅日記には千石船が行きかう活気のある石巻の湊の様子が記されている。

【日和山を訪れた文人達】                      その他、日和山には多くの文人達が訪れていて歌碑や句碑、説明板などがあちらこちらにある。斎藤茂吉,折口信夫らなど。
興味深いのは石川啄木と宮沢賢治は修学旅行で日和山を訪れていることだ。
啄木は明治35年5月、盛岡中学の時に来ている。
「砕けては またかへしくる大波の ゆくらゆくらに 胸おどる洋」

賢治はその10年後の明治45年5月にやはり修学旅行でやってきている。初めて海を見た感動を七五調の詩にしたためた歌碑がある。
われらひとしく丘に立ち
青ぐろくしてぶちうてる
あやしきもののひろがりを
東はてなくのぞみけり
そは巨いなる塩の水
海とはおのもさとれども
伝へてきゝしそのものと
あまりにたがふこゝちして
たゞうつゝなるうすれ日に
そのわだつみの潮騒えの
うろこの國の波がしら
きほひ寄するをのぞみゐたりき

若き二人の才能が垣間見られる作品である。

そんなこんなで下見と言うことを忘れてのんびり桜を見ながら日和山を歩いていて結構な時間が経ってしまった。もう一つの目的地、南浜地区と門脇地区が残っていた。長くなるのでここで第一部としたいと思う
歴史的にも葛西氏の石巻城があり、平安時代にはすでにあったと言う古社が建ち、数々の文人達もこぞって訪れた日和山、そして震災時には多くの市民を救った日和山を後にした。
日和山の茶店で一休み、名物のお団子をいただいた。(続く)

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