Diary 1


昔のこと今のこと

 最初に女性と付き合ったのは、まだ教会に所属していた頃だった。
このままこの人と結婚し、子どもが2人くらいできて、最後は子どもや孫に囲まれて死ぬんだろうなと漠然と思っていた。相手は信者の娘さんでもあったし、手を繋ぐ以外のことは本当に何もしなかった。
 いつも楽しそうで些細なことを嬉しそうに話し、それを聞いているとこっちも幸せな気分になれるような、そんな子だった。

 親しかった人の死を具体的に見た礼拝堂で、「人生は一度きりなのに、やりたいことではなくやれることをして終わって行くのは勿体無いんじゃないか」と思った気持ちは、その時は少し心を撫でていっただけだったのに、存外に燻って消えなかった。

 教会の外の世界に出てみたい。
それは、昔からずっと思っていたのだ。

 自分がここを出て行くことは教会の跡を継ぐ者がいなくなることに他ならなかったし、何の不満もない恋人と別れることでもあった。衣食住も将来も保証されている環境を捨て、しかもそれを捨てれば帰る家自体がきっとなくなるだろうに、この選択肢のどこに利点があるんだと理性ではわかる。だが、外の世界を見たい気持ちは募る一方だった。
 別れを告げた時、いつも笑っている彼女が泣いているのを初めて見た。
自分の人生は自分だけのものではないのに、これは自分一人のわがままだ。育ててもらったことを、愛してもらったことを、期待してもらったことを。全部捨てて行くなんて、本当に自分は何てことをしているんだろう。
 それでも、教会を残すためにとかあなたと結婚するためにとか、自分の選択を、いつか誰かに押し付けてしまいそうなのであれば、そして少しでも押し付けてしまったのならば。それは自分の一生消えない汚点になるような気がして、二度と顔を上げて神の前には立てないと思ったのだ。

 次に付き合った女性は職場の同僚だった。同じ医療関係とはいえ衛生兵の彼女とカウンセラーの自分とは職域が全く違う。それがちょうど良かったのか10年近く付き合うことになり、いい加減籍を入れた方が便利じゃないかという話になっていた。

 体がどこか変だと思って診察に行った時には、ちょっと薬をもらって帰って来るつもりだったのに、やけに色々検査をされ、結果もなかなか教えてもらえない。
 最終的に伝えられたのは、寿命がほんの1年にも満たないことだった。
「このままの極みの使い方をし続ければ」という条件はあったが、使い方に気をつけたところで、その寿命は10年すら伸びはしなさそうだった。

 半永久的にあると思っていた時間が一気に刈り取られたことを知った時に、これが自分への罰かと、忘れかけていた自分の罪を思い出した。
 神の前に立てないという理由で自分に向けられていたものを全て無下にしたくせに、ジャンニはもはや神を信じても期待してもいなかった。
 けれどいろんなことを積み重ねさせた上で暴力的に刈り取って行く手法は逆にそれが神のいる証拠のような気もして、こんなことで神を感じる皮肉さを思っていた。

 すぐに殺してくれればいいものを、自分に投げられたこの一年という時間は何なのだろうか。短いようで長い時間の扱いを考えてみたが、考えたところで、成し遂げたいことや成し遂げられそうなことは何もなかった。
 1日過ごせば1日分、目に見えて死に近づくことを思うと焦り、そのことに対しては何もできない自分の気持ちを持て余した。その持て余す気持ちが苦しすぎて、どうせ死ぬのなら今死んでもいいんじゃないかと、確実で迷惑がかからない方法を、夜になるといくつも考えた。
 それでも仕事を続けていたことは、次の日に予約が入っているからという理由で何度も命を繋げさせたと思う。そして仕事に行くと、仕事以外のことは忘れることができた。

 一方で、それらの全てのことを、付き合っている相手には言わなかった。
 一番頼りたい時に最も頼れるはずの相手に頼らなかったのは強さのためじゃない。
 心配をさせたくないというのは綺麗な言い訳で、話してこのことに改めて向き合うのが嫌だとか話した時に起き得るであろうことへの対処が面倒だとか、もっと卑怯なことを言えば、別れる別れないの話に直面するのが嫌だった。いつか破綻するに違いないのに、今の状況を少しでも長く保ちたいと思う弱い自分がいて、長引かせれば長引かせるほど大変なことになるぞという、自分の理性の声を無視し続けた。
 それでも多分ジャンニは今までとは違っていて、それを彼女も敏感に感じていて、何となくすれ違うようになり最終的に別れることになった。
 その時、心のどこかで少しほっとしたのは確かだ。
 結局、本当のことは最後まで言わないままだった。

 ハズキの開発力のおかげで、言われた寿命はもうとっくに越え、あれから3年以上経った。
 別れた彼女は一般人と結婚し子どももでき、子育てが一段落してから近所の医院に再就職している。
 一年に一回、規定になっている心理検査を受けるために彼女が来る。たまには子どもを職場で預かったりもし、今更ながら当時のことも伝えることができた。
 寿命が1年弱と聞いた時は、1年以上生きていられるのなら残りの人生はおまけだと思っていたが、そろそろおまけと言うには長くなって来た。

 これは今までの続きでありながら、新しい人生と言っても良いのではないかと。
一度きりの人生を二度生きられているような気持ちで、今ジャンニは思っている。


③ルーチェ

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