Episode Gianni

   ジャンニは、非常に治安の悪い国の片隅にある教会で育った。
 教会前にハガキと共に捨てられているジャンニを教会牧師が見つけたのが10月4日だったので、ジャンニの誕生日は10月4日になった。ハガキにはよろしくお願いしますとだけ書かれており、聖フランシスコ・サレジオが描かれていた。

 本当の名前があったかどうかはわからないが、拾われた日がアッシジの聖フランシスコの日で、ハガキが聖フランシスコ・サレジオだったため、二人の名前からジョバンニ・ディ・サレスという名前をもらった。サレジオとは地名であり、「サレスの」という意味だ。そして当然、洗礼名は聖フランシスコになった。
 プロテスタントで洗礼名があるのは珍しい。だがこの教会の宗派は牧師にだけは洗礼名をつけるもので、洗礼名をもらったジャンニは、自分が牧師になることを期待されていることを知った。

 ジャンニはそう小柄でもないにも関わらず、走るのが早く身軽だった。そのため、帰り道にひったくりにあっても大丈夫なように、買い出しはいつもジャンニの役目だった。
 そんな治安の悪さゆえ、教会には、DVから逃げてきた親子やアルコール中毒者など、行き場のない者がしょっちゅう転がり込んで来た。
 その中に、何回入院しても必ず教会に逃亡してくるキックボクシングの元王者がいて、麻薬中毒者であったその人がキックボクシングを教えてくれた。教えている間は麻薬に手を出さないためそのまま習っていたら、どうも才能があったらしく、思っていた以上に実力がついた。おかげで治安が悪い中でも問題なく生活できるようになった。

 だが結局、その人は麻薬の過剰摂取で死んだ。
 死体は俯きに倒れていた。祭壇の机から引きずり落とした布を片手に抱え、祭壇向こうのステンドグラスに片手を差し伸べたその遺体を見て、ジャンニは、ああ、この人は最後に神に会えたんだなと思った。

 男が死んだことは、ジャンニに変化をもたらした。
ずっとこの教会で牧師として暮らすつもりだったが、教会に所属せずチャプレンになろうと思ったのだ。そして、状況が最も過酷であろう軍隊に所属しようと思い、ヴァサラ軍へ入隊した。働いていく過程で、極みも発動できるようになった。


 目が覚めたのは床の上だった。
すぐに首元に手をやるとロザリオがかかっている。
 …終わったのか…
 ホッとして上向きに転がり、椅子に座ったまま眠っている女性を見る。衰弱しているようだが、表情は穏やかだ。

 女性の記憶は人型で顕現した。それを見た時、これは手こずるなという予感はしていた。その予感は当たり、何度顕現しても何回も記憶が女性に戻る。その度に、女性は、暴れたり自分を傷つけようとしたり、窓を突き破って逃げようとした。
 力が強いジャンニであっても全力で抑え、時には気を失わせなければおさまらない。この人のどこにこんな力があるのかと思い、同時に、この力がこの人の苦しみの大きさなのだと理解した。
「こんなに苦しんでいてすらも、あなたは救いに来ない…」
ポツリと呟くと、ジャンニは体を動かす努力を始めた。

 何回朝と夜が過ぎたのだろうか。指一本動かすのも辛い。
 自分が使っていた椅子に何とか手をかけ半身を起こす。椅子の足に寄りかかると、それだけのことで呼吸が乱れた。
 私がここで動かないと女性が死んでしまう。
背もたれを支えに体を引きずり上げて何とか立ち上がる。近くの壁に体を預けた。
 ドアの外に複数人の声がした。かなり長い日数籠っていたのだろう。物音がしないことで、中で死んでいるんじゃないかと思われている。
 声を出して答えたいが、飲まず食わずでいたため掠れた声すら出なかった

 また息を整えながら、ジャンニは自分を励ますように神に語りかける。

 神よ。あなたは何故もっと早く来ない。

 怒りを力に前へ進む。

 死ねば天国に行けるということでは納得も説得もできない死が毎日量産されているのに、あなたは天国という安全な場所から見下ろすだけなのか。

 壁を持つ手に力を入れ、寄りかかる体を前に引きずり出した。

 そのくせ最後の審判なんてもので、せっかくそれまで生きていた人間まで選別し、あなたのお気に入りだけ連れて行くのか。

 部屋の角まで来て体を預ける。ドアまでもう少しだ。

 ジャンニは、そこに整合性のある理由を探すのはもうやめた。だが、まだ牧師を続けているのは、神は人に宿ると思うからだ。
 ジャンニの神はもう天国にはいない。
 目の前にいる人の、命や魂の輝きそのもの、それがジャンニにとっての神だ。

 ドアまでたどり着いた。ドアノブにしがみつくようにして鍵を開けると、ドアが一気に開き、人がなだれ込んで来る。

 …良かった。これであの女性は救われる。新しい自分としてまた歩んでいける。

  自分を取り囲み助け上げる皆の体温を感じながら、薄くなる意識の中でジャンニは思う。

 この、手が届く範囲にいる大切な人たちの。
 この人たちの神を一つでも本当に救えるのなら。
 私は、全てを捨てても良い。


ジャンニの養女はこちら → Ines

ジャンニが創作隊員皆様に会いに行きます。→ prologue

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