教師になる人、なれる人

Twitterを見ていたらこんなツイートを発見し、居ても立っても居られない心地がしたので久しぶりにnoteを書こうとおもう。


これを読んですぐに頭に浮かんできたのが教師をしていたかつての友人だ。
私は彼女が昔から教師になりたいと思っていることを知っていたが「お前さんには向いてへんで…」とずっと思っていた。
ついぞその思いは伝えないまま彼女は教師になり、そして一度休職し、復帰し、今はまた産休で前線からは遠ざかっている。2年前までの状況しか分かっていないので今、彼女が何をしているかはよくわからない。

彼女は
・実家が裕福だったのもありバイトの経験なし
・一度仲間だと認定した人はとても大切にするがその範囲は極めて狭く、人の好き嫌いが激しくさらにそれが露骨に外側に表れて敵を量産しやすい
・趣味嗜好がいわゆるパンピやパリピよりではなく人と話をとりあえず合わせるのも苦手
・基本的にワガママお姫様な末っ子体質が抜けずいつも自分が一番大切に配慮されないと気が済まない

我ながら…ひどい書きようです。
私が彼女(とその周辺)から意図的にフェードアウトしていったのも彼女のその気質についていけず、かといってバトルをするのもしんどく、それに新型コロナウイルスの蔓延により彼女関係のコミュニティが活動することが極端に減ったからなんですが、まあこれは余談ですね。
NOと言えない自分が歯がゆいですし、NOと言えず無言で去ることで自分を守ることしかできませんでした。

彼女が教師を目指した理由は
「教師になりたい!」
ではなく
「安定してお金を稼ぎたい!子供を産みたいから産休をしっかりとれてその後の職場復帰もしやすいところがいい!福利厚生が充実しているところがいい!」
という理由でした。
その理由自体が教師を目指すのに向いていないとかそういう事は思っていませんが、彼女の全体的な見通しの甘さが社会にでて通用するのかしら、と危惧していたんですよね。
教員試験の面接のときに「私は僻地では働きたくありません!なぜならメンタルが弱いので実家の支えが必要なんです!」と目いっぱい主張してきたとドヤ顔をしていましたが、案の定初任の学校は大好きな実家から通えない程度の遠さ。やむなく一人暮らしをしていましたが、毎週実家に帰ってきていました。
その学校がある地域は少し特殊なところ。いわゆる部落差別にあっていた地域で、田舎のなかでも特に排他的な傾向が強い場所でした。
私も田舎出身ですし比較的引っ越してきた人が多く同じ県内の中では都会的な彼女の実家周辺とは違う特有の排他的な傾向はなんとなくわかるのですが、かつて部落差別の被害にあり、その空気が色濃く残っている場所というのは正直想像がつきません。
自他ともに認めるメンタル豆腐な彼女が大変苦労したのは想像に難くありません。
結局、彼女は耐えられなかった。
着任して2,3か月も経つと「子供は経済動物!」「ホントあの土地はクソ!」と言い放っていて「いつまでもつのか?」と思っていたら1年持たなかった。
経済動物という表現はおそらく自分の飯のタネになるという意味で使っていたのでしょうし、排他的で閉鎖的な地域の空気が心底嫌だったんだろうなあ。
ただ彼女がそう言っていた地域は私にいつも親切にしてくれる近所のお母さんの出身地でもあり、複雑な気持ちで私(や彼女の友人ら)はいつも彼女の愚痴を聞いていました。

話がちょくちょく脱線しましたが、教師を目指そうと思う人はすごいなあと思っています。私には絶対に無理なので。
教えることは好きだし、子どもも好き、教えるのが上手だという自負もありますが、それだけで教師やれると思うほど自惚れていませんし、教師という仕事を舐めてもいません。
なにより子供の命と未来を預かるという仕事の重責に、私は耐えられません。自分の命と現在(いま)をなんとかすることで精いっぱいだし。

教師の仕事が多すぎることは本当に問題だと思いますし「それ、先生じゃなくてもよくない?」という仕事が多すぎるとは常々感じているし今のままでは教師を目指す人は減り続けるだけだろうなあって思ってます。
なんとかならんものかしら。

それでは、また。

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