河野 桃子

ライター・インタビュアー・編集(紙)。パフォーミングアーツほか海外、経営、製造業など。…

河野 桃子

ライター・インタビュアー・編集(紙)。パフォーミングアーツほか海外、経営、製造業など。演劇&舞台制作→海外あちこち→週刊誌&TV(報道)→車で全国移動生活→業界誌編集長→フリー。インスタ率高め。 Twitter:momo_com、Instagram:momoko_kawano_

マガジン

  • これまでのお仕事(編集者・ライター 河野桃子)

    これまでのお仕事をまとめていきます(※絶賛途中)

  • 舞台(演劇/ダンス)

    舞台に関することを書いています。 国内外かかわらず、ストレートプレイ、小劇場、ミュージカル、ダンス、落語、なんでも観ます。

  • コラム・エッセイ

    日々のコラムです。 思いついたこと、思い出したことを、つらつらと。

  • 海外/旅

    これまで30ヵ国くらいを旅したこと(日本ふくむ)

  • SDGs

    国連の定めたSDGsの取材をいくつかしています

最近の記事

  • 固定された記事

遺族取材をやめたかったマスコミのひとりとして。

毎日のように、悲惨な交通事故のニュースが目に入る。 母娘が亡くなってしまった池袋の事故のあの後はどうなっただろう(事故7ヶ月後にして書類送検となるらしいです/2019年11月追記) そして、園児たちが巻き込まれる大きな事故もあった。 園長先生による記者会見が、さまざまないびつさを持っていた。そもそも園が会見をしなきゃいけなかったこと。事故当日の詳細を質問された園長先生。なぜ、いまここで、この方がそれに答えなければいけないのか? なんのために? 目的のわかりづらい質問に多く

    • 2024年のおしごと(随時更新)

      インタビュー新連載「板尾のめ゙」(板尾創路/カンフェティ) ◆パンフレット内インタビュー レポート劇評・レビュー◆国際交流基金(JF)が一般社団法人EPADと共同で配信する演劇作品のうち4作の広報文を作成 ・やしゃご『きゃんと、すたんどみー、なう。』 ・劇団あはひ『流れるー 能“隅田川”より』 ・ニットキャップシアター『カレーと村民』 ・EPOCH MAN『オーレリアンの兄妹』 【毎月定期】ローチケ “今月の”優先順位高めです 編集◆公演パンフレット ◆緊急事態舞

      • 「これは歴史の旅ではありません、政治の旅です」 ー パレスチナの国際演劇祭へ行ったときのこと

        はじめてパレスチナからエルサレムへ移動したときのこと。 ベツレヘムからエルサレムへ向かう片道45分の民間バス。 突然、バスが停まった。乗客の何人かが立ち上がってバスから降りる。なんだかわからないままキョロキョロしていると、銃を持った若いイスラエル兵がバスに入ってきた。その武器の大きさにドキッとしていたら、彼らは無表情で興味がなさそうに、わたしのパスポートを確認した。 窓の外、バスから降りた人たちは、これまた作業のように無表情で、ただじっと並んでいる。 体感としては10分

        • 2023年のおしごと(随時更新)

          公開できるものを随時更新しています インタビュー劇団協議会 「演劇は社会の処方箋」令和4年度やってみようプロジェクト活動報告書 青年劇場(埼玉)「演劇プログラム」を担当 ※若者自立支援ルームに集まる若者に、演劇ワークショップを通して交流し表現することにチャレンジしてもらうプログラムを、さいたま市内2カ所のルームで実施した記録です。 レポート三陸国際芸術祭2022レポート(タブロイド紙にて発行) 芸術文化創造活動の担い手のためのキャパシティビルディング講座2022 実施レ

        • 固定された記事

        遺族取材をやめたかったマスコミのひとりとして。

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        • これまでのお仕事(編集者・ライター 河野桃子)
          3本
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          23本
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          16本
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          10本
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          3本

        記事

          2022年公開のおしごと(一部)

          もう1月のことが遠すぎる。観劇でいえば『hana-1970、コザが燃えた日-』で始まった2022年は、これまで多かったインタビューや劇評などの演劇の仕事もしつつ、演劇や芸能と地域・バリアフリー・アクセシビリティの取材、また編集仕事の割合が増えた1年でした。 演劇のほかにも、ITや製造業や災害支援などに関わることも過去年より多くなり、もともと「演劇のことを発信するお仕事をするにあたって読み手・受け取り手である観客の目線や生活を持ち続けていたい」という思いが形を変えながら続いてい

          2022年公開のおしごと(一部)

          2021年のおしごと

          ※随時更新中です ※一部のみ公開 執筆■雑誌 寄稿(論考) ●『ユリイカ2021年2月号 特集=坂元裕二』(1月27日発売) 「坂元裕二の演劇的言語――“繰り返し”に対峙する物語の力~『またここか』より~」 インタビュー ●『ニノダン+(プラス)-Power of theStage-』 神保治暉さん×フクシノブキさん、谷佳樹さん×鷲尾修斗さん、仲万美さん×三浦香さん、東啓介さん×平間壮一さん、藤田玲さん×藤原祐規さん ●『BEST STAGE PLUS (ベストステージ

          2021年のおしごと

          「高校演劇アワード2020」開催中止となりました

          3月21・22日に予定されていた『いわて銀河ホール高校演劇アワード2020』が開催中止となりました。わたしは審査員のひとりとして伺う予定でした。 中止の理由は新型コロナウイルスの影響ですが、厳密には、高校の一斉休校にともなって登校禁止・部活動禁止となった高校が複数あったことだそうです。稽古もできなければ、部活として岩手県まで遠征することができません。そのため、主催側がコロナウイルスの対策どうこうを検討する前に、開催自体が物理的にむずかしくなりました。 ……ということを、アワ

          「高校演劇アワード2020」開催中止となりました

          障害者と舞台鑑賞 〜 誰も置き去りにしない観劇のために 〜

          劇場で「障害者とそうでない人はフェアになれるだろうか」? というのは、先日行った“障害者と舞台芸術”に関するトークイベントで、「そもそも福祉とアートについて深く議論する機会がないよね」という話題を受けて、あらためて考えたことです。 ※以下、呼称はトークイベントにのっとって“障害者”としています。 わたしは数年前から“障害とアート”についてのプログラムに関わっていて、特別支援学級へのアーティスト派遣や、障害のある人とそうでないパフォーマーの共同作品などの現場にいました。

          障害者と舞台鑑賞 〜 誰も置き去りにしない観劇のために 〜

          なぜか言語化できない、劇団ゴジゲン……っ

          観た演劇を文字にするお仕事をしているのに、何回観てもうまく言語化できないんだよなぁ〜、と思っていた(けど言ってなかった)劇団ゴジゲンを観てきました(言っちゃった!) 今回のタイトルは『ポポリンピック』。終演後、またもや「なんだろうー、なんでうまく言葉にできないんだろうー、うーん」とこまばアゴラ劇場のトイレで首をかしげていて、ふと、その理由がちょっとだけわかってきたような気がしたので、言葉にしてみることにしました。 ……と書き出してみると、ものすごい長さになってきた……。ふだ

          なぜか言語化できない、劇団ゴジゲン……っ

          イランの演劇、その文化と伝統

          おめでたい正月の三が日もあけないうちに、突然世界が混沌とした。アメリカがイラクで、イランのソレイマニ司令官を殺害したのだ。日本はニュースが入ってくるのがやたら遅いけれど、多くのジャーナリストや専門家が発信を続けている。これはとんでもない事態だ。 イラン。というと私たちはどれくらいのことを知っているだろう。一方のアメリカの方はいろんな情報が入ってくるとはいえ、イランは正直身近な国とはいえない。イラン国民は親日で、「日本人だ」と知ると奢ってくれたり泊めてくれたりとものすごくもて

          イランの演劇、その文化と伝統

          お正月、じぶんの運命に出会いなおす

          『運命』なんていうとおおげさに聞こえるかもしれないけれど、ようは、巡り合わせのこと。 お正月は、自分が持ってうまれた巡り合わせがきわだちます。 たぶんたくさんの人が「家族とすごす」のだろうけれど、親戚一同集まるところもあれば、親兄弟と過ごすこともあるし、パートナーの家族とすごす場合もあるでしょう。もしふだんは離れて暮らしているなら、ひさびさに会ってつもる話をしたり、はたまた、苦虫をかみつぶしながら顔を合わせて大ゲンカに発展してしまうこともあるかもしれない。また、集まっても

          お正月、じぶんの運命に出会いなおす

          献血の帰りにいなくなってしまったあの子

          ときどき思い出す女の子がいる。 その子は、献血が好きだったらしい。 らしい……というのは、わたしと出会う前に彼女が亡くなってしまったからだ。   わたしは大学で演劇を学んでいた。 4年生の時、卒業に必要なレポートを書くため、大学の図書館で演劇関連の本を借りられるだけ借りてきていた。どの本もとても役に立って、おかげでかなり充実した気持ちでレポートを仕上げることができた。というかその本達がなければわたしのレポートは散々だっただろうな、と思う。 それらの本のうち何冊かには、

          献血の帰りにいなくなってしまったあの子

          タピオカを煮るように。

          「タピオカを煮る」、と父が言った。 40度近い高熱を出してモウロウとしていた私は、突然のワード"タピオカ"がすぐに理解できなくて「え?あの最近ブームの?」と聞き返した。すると横から母が、奈良名物のチョコ豆『御神鹿のふん』みたいな黒い球がたくさん入った袋を見せて 「うちは数年前からタピオカを煮てるよ」 と答えた。 いつの間にか実家にもタピオカブームが来ていたらしい。毎年2〜3回は帰省していたのに、知らなかったな。まぁタピオカブームは、もともとそこにあったけれど見過ごして

          タピオカを煮るように。

          生きて帰らなければならなかった特攻隊員

          大阪の下町。お世話になっている町工場の社長さんとお昼を食べに行こうと、車で出かけていた。 会社のことや生い立ちなど、なにげない雑談をしていた時に、その方が「僕のおじさんは特攻隊だったんだ」と言った。「必ず生きて帰らなければならない特攻隊だった」と。 "カミカゼ"と呼ばれた特別特攻隊の乗る戦闘機「零戦(ゼロセン)」の積まれていたのは、片道だけの燃料だった。一度飛び立てば帰れない──片道切符の飛行機で、敵艦に突撃したのは有名な話だ。 20歳になるかならないかの青年達は、突撃

          生きて帰らなければならなかった特攻隊員

          「べつにフェミニストじゃないんだけどさ、」と言いたくて

          性別にかかわるなにか考えを言うときに、「べつにフェミニストじゃないんだけどさ、」と前置きしたことが、何度かある。 それは本心からの言葉で、わたしは自分のことをちっともフェミニストだとは思ってなかったし、フェミニズムにも興味がなかった。どちらかというと、名誉男性的な要素が強いと思っていた。 20代半ばには、男性社会と言われるいくつかの業界で働いていたけれど、なんの不便も感じなかった。セクハラらしいことをされても、それがセクハラだと気づかないくらいちっとも気にならない。しかも

          「べつにフェミニストじゃないんだけどさ、」と言いたくて

          はじめて「旅」を知ったのは、20ヶ国を旅したあとだった

          「旅」というには不思議な瞬間だった。 その頃、私は車で生活をしていた。働きすぎた反動なのかとつぜん仕事をやめ、家を解約し、車を買って北へ向かった。これから暑くなるだろうという6月。だったら涼しいところへ行こうと、東京から新潟へ、そして船で北海道へ渡ったのだ。 車生活を選んだ理由は、ヒマだったから。自由な時間があるなら行きたいところに行こう、家が動けば便利じゃん。という単純な理由だった。『ハウルの動く城』じゃーん!みたいな軽い気持ちで、なんの現実感もなく車中泊の日々がはじま

          はじめて「旅」を知ったのは、20ヶ国を旅したあとだった