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献血の帰りにいなくなってしまったあの子


ときどき思い出す女の子がいる。
その子は、献血が好きだったらしい。

らしい……というのは、わたしと出会う前に彼女が亡くなってしまったからだ。

 

わたしは大学で演劇を学んでいた。
4年生の時、卒業に必要なレポートを書くため、大学の図書館で演劇関連の本を借りられるだけ借りてきていた。どの本もとても役に立って、おかげでかなり充実した気持ちでレポートを仕上げることができた。というかその本達がなければわたしのレポートは散々だっただろうな、と思う。

それらの本のうち何冊かには、最後のページに同じ紙が貼られていた。

そこには、わたしと同じ年に同じ学科に入学する予定だった女の子が、直前の3月に亡くなったこと。演劇を学びたがっていたその子の思いを汲んで、ご両親が寄贈した本であることなどが書かれていた。

 

3月のある日、その子は献血に向かったそうだ。誰かの役に立つのが好きで、高校生の頃から献血に通っていた。18歳になったら献血できる量が倍になるということで、彼女は誕生日を迎えてすぐに献血に行った。そして、それまでの200mlではなく400mlの採血をした。

「献血には慣れている」、という思いがあったのかもしれない。いつもの倍の採血をしたその子は、帰りの駅のホームで貧血をおこし、線路に落ちてしまった。そして、帰らぬ人になってしまったそうだ。

 

同じ年に入学するはずだった。
同じ学科で学ぶはずだった。
一緒に演劇について語り合い、
親友になっていたかもしれない。
まったく好みが合わなくて、
大ゲンカをしていたかもしれない。
それでも、同じ教室で同じ授業を受けるはずだった女の子のことを、わたしは卒業レポートを書くまで4年間も、その存在すら知らなかった。

 

わたしは居ても立ってもいられなくて、自己満足だとはわかっているけれど、図書館の担当員の方に「彼女のご両親にお礼の手紙を書けないか」と相談した。その願いは巡り巡って、結果、アドミッションセンターの部長が共感して尽力してくださり、ご両親が手紙を受け取ってくださることになった。

手紙の内容は、手書きだったので手元に残っておらず、細かいことは覚えていない。

同じ年に入学するはずだったこと。
同じ学科で学ぶはずだったこと。
同じ教室で授業を受けるはずだったこと。
それらは実現できなかったけれど、卒業を目前にした演劇のレポートを完成させられたのは、間違いなくその子の思いを汲んだ本がここにあったからだという感謝を、なんとかかんとか懸命に書いた。

数日後、部長の丁寧な添え書きとともに、ご両親からの温かい返事をいただいた。今でも大切にしまってある。

 

ちなみにそのことがきっかけで、わたしは産まれて初めて献血に行った。わたしでも少しは役に立てるかな、と思ったから。まぁ、行ってみたら「あなたからは採れません……むしろもらう側です!」と断られたくらい貧血体質だったんですけど……

だから、献血がしたくてできる人はちょっとだけ羨ましい。

でも、気をつけてほしい。
帰りに貧血をおこさないように。
どうやら献血ルームではお菓子が食べられて、ジュースが飲めるらしい!!(入ったことないので知らない)。なんとハーゲンダッツが食べられるところもあるらしい!!(入ったことないのでただの耳年増です)。もう、たくさん食べて、たくさん飲んでほしい。そして元気で、帰ってほしい。行ったことないやつが何を言うかって感じかもしれないけれど、ご両親からの手紙を受け取って、ただ願う。元気で家に帰ってほしい。

 

いま、わたしは演劇関連の仕事をしている。
仕事の合間に、ふっと思うことがある。

「もしかしたらどこかの現場で一緒に仕事していたかもなぁ」……なんて。

顔も知らない、声も知らない、
体格も性格も知らない同級生。
彼女のことを思い出すたびに、
「お仕事がんばろう」と思う。

そして、最近は貧血で倒れることもなくなったし「そろそろ献血に行こうかなぁ」なんて考えている。もちろんジュースもお菓子もハーゲンダッツも、しっかり食べるつもり。

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