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「シビウ国際演劇祭」シンポジウムへーー『リチャード三世』が日本で上演できたこと

2017年10月、佐々木蔵之介さん主演の舞台『リチャード三世』(東京芸術劇場)を取材しました。

その暗く美しい世界、この舞台が日本で上演され高い評価を受けたことで「ルーマニア演劇の魅力」に引かれ、2018年6月にはルーマニアのシビウ国際演劇祭に行くことに。


それはめくるめく10日間でした……痩せるほどに幸せな日々……!
(↓2日目の様子/野田秀樹さんの日本大使の英語コメントあり)


帰国し、すっかりルーマニア演劇の面白さに魅せられた私は、シビウ国際演劇祭プロデューサーのキリアック氏の講演&シンポジウムが池袋であると聞いて駆けつけました!

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 <目次>
1)2018年シビウ国際演劇祭の様子
2)第一部:キリアック氏による講演
3)第二部:シンポジウム
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1) 2018年シビウ国際演劇祭の様子

講演会&シンポジウムの内容に入る前にちょっとだけ。

このシビウ国際演劇祭は、今年21年目を迎える“ヨーロッパ三大演劇祭”とも言われる大規模フェスティバルです。
2018年は、シビウ市内73ヶ所の会場で演目数525本、73ヶ国から3300人のアーティストと1日約7万人の観客。朝から夜まで溢れかえるアートエンターテイメント!(意外とみんな夜は早く寝る。22時以降コンビニもないので空腹で泣ける。そして痩せる)

シビウは人口約17万人と大都市というわけではないので、地元の人たちがボランティアとしてフェスティバルを盛り上げています。高校生だけでも400人近くいて、海外からのボランティアも多く、なんと半数は日本からのボランティアです!2018年にはコカ・コーラボトラーズジャパンがボランティアプログラムのスポンサーになってくれたりと、日本側も力が入っています。
ちなみに11/3には日本人ボランティアの報告会もあります(ぜひいらしてください!)

今年2018年、私がシビウ国際演劇祭に訪れた一番のお目当ては『リチャード三世』を演出した巨匠シルヴィウ・プルカレーテのレパートリー2作と新作1作を観ることでした。

『ファウスト』はゲーテの名作。プルカレーテの人気演目です。


『メタモルフォーゼ』は野外劇。火が吹き、野菜が飛び散り、混乱の悦楽!


新作『THE SCARLET PRINCESS』。
歌舞伎「桜姫東文章」を下敷きにした大注目公演。日本上演も検討中!?


そのほか、ルーマニア各地の劇場がやってきて上演(欧米は基本的に、劇場がお抱え劇団とレパートリーを持っています)。そのどれもが独創的でレベルが高く、正直、ルーマニアの公演でハズレはゼロだった。もちろん応募総数15000の中からきちんと厳選しているからだろうけれど。
(後述しますが「ルーマニアの俳優は演劇の基礎がありレベルが高い」と聞きました)

そんな国際演劇祭のプロデューサーが、コンスタンティン・キリアック氏。
彼はなんと、本業は俳優なんです。何度も日本公演で主役を演じています。そしてシビウの国立劇場・ラドゥスタンカの芸術監督でもあります。

プロデューサーでも演出家でもなく、いち俳優が1997年に始めた国際フェスティバル。しかしそのわずか8年前まで、ルーマニアは独裁政権下にありました。その時の経験が、キリアック氏に影響を与えたと言います。


2) 第一部:キリアック氏による講演

講演会でまずキリアックが口火を切ったのは、来年2019年のシビウ国際演劇フェスティバルについてでした。
「来年のテーマは『与える』です。文明化された社会において、『もらう』ではなく『与える』ことの重要性が高まっています。ラドゥ・スタンカ

キリアックは自分の人生を、ルーマニアの革命の歴史とともに話します。

今でこそシビウ市はルーマニアの中でも多文化都市としていろんな人種が住んでいますが、キリアックが学生だった頃は厳格な社会主義でした。
倍率1/521というブカレストの演劇学校で学んでいたキリアックですが、当時の独裁者チャウシェスク(ルーマニア初代大統領〜1989年)は文化を蔑ろにしていました。卒業後にキリアックがシビウへ移り住んで理想的な友人に出会う中で、チャウシェスクは「文化のためでなくお金のために演技をしろ」と、1年に400公演以上を上演させます。酷い時にはマイナス5度という環境の中です。また離婚、堕胎のほか海外旅行を禁じられ、国民はパスポートを持つことができなかったそうです。

「この経験は我々を強靭にしました」

キリアックはお茶目な顔で「当時、ブカレストにいた美しい日本人と付き合っていたんだよ。でも監視も厳しかったし、結局彼女は帰国して、日本で結婚してしまったんだ」と話してくれました。

1989年の『ルーマニア革命』で、ついにチャウシェスクが失脚&亡命先で公開処刑されます。その死者数は1000人未満とも64000人以上とも言われており、正確なことはわかりません。
その後やっとパスポートを手に入れたことで、初海外ベルリンへ。「自由だった。初めて舞台上で裸を見て驚いたよ!」。それ以来25年間で125ヶ国へ訪れ、日本にも69回来たそうです。大海へ出た蛙のように、世界のさまざまな光景に目を見張っただろうキリアックを想像してしまいます。よかったなあ。

ついに1997年、演劇祭の立ち上げを決意。初回は3ヶ国8公演での開催でした。同年にはシビウ大学に演劇学校を立ち上げ、2000年には当時州立だったラドゥ・スタンカ劇場の支配人になります。2004年にはラドゥ・スタンカ劇場が国立となり、今やレパートリー121演目を上演する劇場になりました。常勤俳優68人で毎年400公演。演目は全て完売するそうです(フェスティバル含む)。

ちなみにラドゥ・スタンカ劇場は、演出家の串田和美さんいわく「日本じゃありえないほどボロボロの劇場」とのこと。私も行きましたが、確かにそレほど大きな劇場ではありません。300席弱かなあ。

串田さんはこの日のシンポジウムの後半で、「キリアックが言うことは大きく聞こえるかもしれないけれど、もともと古い映画館。日本人は「これを国立と呼ぶなんて恥ずかしい」と言うかも。でもそれはルーマニアの歴史や背景があってのことで、手作りでここまでやってきた。ここで芝居ができることは、積み重ね。お金じゃできないことです。誇らしい」と愛たっぷりのコメントで、キリアックも照れたような笑顔を浮かべました。


さて話を戻すと、2013年にはシビウの街内にハリウッドを模した『ウォークオブフェイム』を設置。毎年ルーマニアの文化に貢献した世界の人々を表彰し、現在38人の名前が並びます。日本からは演出家の串田和美さんと、故・中村勘三郎さん。そして2018年には野田秀樹さんも。(2018年の様子)


その後も廃工場を劇場にしたり、教会を劇場にしたりと工夫に工夫を重ね、“ヨーロッパ三代演劇祭”とまで呼ばれるようになります。

「ヨーロッパ最大の演劇祭はエディンバラ(スコットランド)だと思われていますが、実際にはフリンジ(アマ・プロ、有名・無名を問わず、資格審査はまったくない)がほとんどなのはご存知の通り。『レベルの低い演劇を観せても罰せられることはありません』よね。エディンバラ・フリンジや、もう一つの三大演劇祭アヴィニオン(フランス)のオフ(自主公演制)のうち70%はかなり低レベルでしょうね。個人の考えですけれど」。(実際には「ゴミみたい」と言っていました。言うね〜!それがいいんですけど!)

革命からたったの30年弱。自分たちの手でひとつひとつ作ってきた歴史には、情熱のこもった手垢と汗、そして埃が感じられました。

最後に、「これまでフェスティバルを続けるにあたり、世界中を関係を築いてきました。それこそが創造的なフレンドシップの輪につながるのだと思います。ですから『もらう』のではなく『与える』ことを大事にしたい」と改めて来年2019年のコンセプトを語ったキリアック。日本の多くの演劇人やボランティアの功績に感謝を述べ、「日本と我々が共に成し遂げてきた最大のものは「信頼」だったのだ」と締めました。


3) 第二部:シンポジウム

シビウ市は、ほかの国とも比べて多くの文化予算を得ています。
「1都市の文化予算が1%を超える都市はそんなにないのでは?」とキリアックは言いますが、ちなみに日本は国単位で見ると0.11%(2015年)。わお!シビウが市予算の12%が文化に当てられているのが驚異的な数な気がしてきます!

ちなみに日本の国家予算だとこんな感じ。

しかもシビウでは、キリアックらの功績が都市振興に繋がったことで、文化収入は16%に。つまり……儲かってる!黒字だ!そのおかげか、なんとシビウ市長はルーマニアの大統領にまでなったと言う……文化、すげえ……。

さてシンポジウムでは、タイトルを『ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場とシルヴィウ・プルカレーテ』としてそれぞれの思いを語ります。要約した一部になりますが、紹介します。

■登壇者(敬称略)
司会/立木燁子
七字英輔:演劇評論家。1993年くらいからシビウ演劇祭へ。
串田和美:俳優、演出家。
穴澤万理子:明治学院大学教授。
野田学:明治大学教授。
キリアック

Q:ルーマニア演劇の特徴、その中でのラドゥ・スタンカ劇場の役割

キリアック氏「東ヨーロッパの特徴でもあるが、演劇やほかの芸術、オペラ、音楽、サーカスなどが社会的にパワフルです。
チャウシェスクは独裁主義の時代に、自分のイデオロギーに反する作品創りに対して敏感でした。例えば、当時に『リチャード3三世』を上演すれば、横暴な主人公はチャウシェスクを現していることになります。そんな環境の中で、当時の演劇人にとって「自由」とはユニークなものでした。『劇場に行く=共に在る』ということを意味し、人々は劇場に行くことで「自由を獲得するのだ」という思いを共有し、また、笑い飛ばす役割があった。そこから関連付けたことは「独裁者は人を感動させられないのではないか。人を動かすのは恐怖の涙ではなく、笑いなのでは」ということでした。

ルーマニアの周辺国を見ると、ロシアの場合は、素晴らしい脚本家や俳優はスタニスラフスキーやチェーホフなどに関連づけられます。イタリアは、コメディアデラルテ(仮面即興劇のひとつ)の即興性や音楽やサーカスが融合され、新しい文化と結びつけることができます。ドイツは、正確に表現する高い技術や美術がひとつの特徴です。フランスも、演劇が文化の発展に果たした役割はとても大きなものでした。
ルーマニア演劇の場合は、チャウシェスクの独裁主義の前と後ではまったく違う文化なのです。私たちは独裁主義を起点に、笑いと悲しみの距離を捉えるようになりました。そして対話は、言葉とイメージ、即興と詩……その間にあるんです」

Q:『リチャード三世』の上演で、日本でもプルカレーテファンが増えました。プルカレーテの拠点はフランスですが、ラドゥ・スタンカ劇場とプルカレーテの関係は?

キリアック氏「まず、彼とは友人です。それは私が、東京芸術劇場と仕事をしている背景に、野田秀樹さんや高萩副館長と仕事をしているという思いがあるからです。仕事の背後には人がある。
プルカレーテは80年代からの古い友人で、チャウシェスクの独裁政権時代にも一緒に作品を創っていました。90年代にプルカレーテがエディンバラフェスティバルに招聘されるなど国際的に評価されている頃には、彼は演出家で私はその舞台の俳優という関係でした。2000年以降も国内17作品を一緒にプロデュースし、13作のオペラや演劇を全世界でプロデュースしてきました。友情がすべての背後にあるんです」

評論家や学者のみなさんがそれぞれプルカレーテ作品への思いを語っていく中、唯一アーティストだった串田さんがルーマニアでのエピソードを語った話が印象的でした。

串田和美氏「廃工場で公演した時、会場内が暗くならないから暗転できないんですよ。しかも芝居中に頭上を鳩が飛んでる。出演していた自由劇場の笹野高史さんが「理想の劇場でしょう?」と言う。僕もすぐさま「うん、理想の劇場だ」と。
通訳の女性がね、泣くんですよ。「辛い思いのある場所で、こんな風にお芝居をしてくれる。ここがそんな場所になってる」って。お金を積んでもできないことですよ。

プルカレーテのような才能のある人がキリアックと出会ったことや、独裁政権を経てきたという環境や観客が、ルーマニアの歴史を作っているんです。中村勘三郎さんがとプルカレーテの出会いもそのひとつです。中村さんが海外で芝居をした時に一列目の女性が授乳を始めたことがありました。中村さんは「これが歌舞伎だ!」と感じたそうです。そういう人たちが集まれる歌舞伎を大事にしたいとの中村さんの思いに、プルカレーテが手をあげてくれました」

また、ルーマニアの俳優には基礎ができているということも、興味深かったです。それは串田さんが安部公房作『幽霊はここにいる』をルーマニアで演出した時でした。

串田和美氏「9〜16時くらいに稽古をするんですが、ルーマニアの俳優たちが午後からそわそわしてくるんです。聞いてみると「実は今夜1年ぶりに『ハムレット』を演じるんだ」と言う。劇団のレパートリーを順に上演している彼らは、1年ぶりにいきなり過去の上演作を公演するというのはあり得ることです。僕も「それは帰れ!」と、すぐに返しました(笑)面白かったし、楽しかったなあ」

レパートリーとはいえ、しばらく上演していない作品をやるということは、かなり緊張と訓練を強いられると思います。しかしルーマニアの劇団の演劇はどれもとてもクオリティが高いと感じます。そこには、ルーマニアの俳優たちの演劇的教養の深さが関係あるのではないかな、と思います。

串田和美氏「彼らには教えることがないんですよ。「コメディアデラルテをやろう」と言ったらすぐにやってくれる。「コメディアデラルテってこういう風にやるんでしょ?」と知っているんです」

最後に、それぞれが『演劇の現在、これからの演劇交流』についてコメントをして、会は終わりへ向かいました。うち野田学氏のコメントのみ抜粋します。

「『リチャード三世』で初めて日本人の俳優とプルカレーテが一緒に舞台を創って、多くの日本の評論家がこの演出を高く評価していました。多くの人にインスピレーションを与えたんです。串田さんもシビウ演劇祭では現地に大きなインパクトを与えました。「もらう」ではなく「与える」という共同関係が続いていけばいいですね」

キリアックはシビウでの活動について「最大の功績は、新しい観客を作ったこと」と言います。「タクシーに乗ると「あなたからお金は取れません」と言われることが何度かありました。それが一番、やっていて功績を感じる時ですね」。

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今まさに時代を創り、人々や社会を文化の力で動かしているルーマニア・シビウ。来年の国際演劇祭は、2019年6月14〜23日。
また来年も、ルーマニアと日本の『与える』関係が紡ぐ歴史の一編みを目撃しに行きたいと、今から意気込んでいます!

最後に、11月3日(土)に日本人ボランティアの報告会が吉祥寺シアターあります。入退場自由のラフな会ですので、ルーマニアのお菓子など食べながらぜひ聞きにいらしてくださいませ。

お待ちしております!


ボランティア2018年ボランティアスタッフを着た日本人スタッフと見上げる、シビウ国際演劇祭オープニング花火。綺麗だったなあ。

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